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古本夜話292 貸本屋、白土三平『忍者武芸帳』、長井勝一『「ガロ」編集長』

読者としてのマンガと貸本屋体験も語っておくべきだろう。以前にも雑貨屋兼貸本屋のことを記していて、それと相前後し、読んだ貸本マンガに関して、どちらが先だったのか、記憶の混同があるかもしれないが、書いてみよう。

あれは昭和三十五、六年のことではなかっただろうか。私は農村に住んでいて、昔の言葉でいえば、床屋がなかったので、散髪のために町まで出かけなければならなかった。それである日床屋に行ったら、その前は何であったのか思いだせないけれど、隣に貸本屋ができていた。入ってみると、これまで見たことのないほどのマンガがあった。もちろん数坪の小さい店であったにちがいないのだが、小学生の私にとっては広く見えた。

その下の棚に『忍者武芸帳』というマンガが七、八冊ならんでいた。ざらざらするカバーがかかり、現在のコミックより大判だった。値段は忘れてしまったが、当日返しは安く、散髪料のおつりで借りられる金額だったので、二冊借りて床屋に入り、散髪してもらう間に読んでしまった。それまで読んだことのないマンガで、その面白さはきわめつきだった。謎に包まれた魅力的な登場人物たち、躍動する物語のうねりとリズム、残酷にして荒々し戦い、この続きはどうなるのか。おつりと持ってきた金で、もう二冊借りることができると計算した。そして貸本屋に読んでしまった二冊を返し、続きの二冊を借り、床屋の椅子に腰かけ、読み続けた。

忍者武芸帳  

さらに二ヵ月後に同じことを繰り返し、『忍者武芸帳』の七、八冊を読み終えたのだが、その続きは棚に入ることなく、半年もしないうちにその貸本屋はなくなってしまった。そのために全巻読むことを果たすのは、小学館から昭和四十一年に全十二巻が出るまで待たなければならなかった。

その後しばらくして、村の雑貨屋が貸本も商うようになった。しかしここにも『忍者武芸帳』はあったが最初の巻だけで、シリーズ物は揃っていなかった。こちらでは佐藤まさあき『黒い傷痕の男』水木しげる『鬼太郎夜話』を読んだように記憶しているが、いずれも『忍者武芸帳』と同様に、全巻ではなかったと思う。だがこの雑貨屋の貸本も一年足らずのうちになくなってしまった。今になって考えれば、貸本屋の衰退期に当たっていたことになる。

黒い傷痕の男 鬼太郎夜話

そして時代は二十年ほど飛んでしまい、昭和五十七年に筑摩書房から「私の戦後マンガ史」とサブタイトルのある、長井勝一の、『「ガロ」編集長』が刊行され、前述の三作が長井の三洋社から出版されたことを知った。またさらに後になって、長井の本が『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』を補足する重要な資料だとも実感させられた。同書に「上野畑」と呼ばれるグループが登場していて、彼らは敗戦後に他業界から参入してきた特価本問屋の人々なのだが、長井もその一人だったのである。
「ガロ」編集長  「ガロ」編集長

長井は赤本の販売、特価本の卸から始め、大阪の赤本マンガブームを受け、足立文庫の名前でマンガの出版に乗り出す。だが結核にかかり、四年間の病院生活を終えると、貸本マンガの時代になっていた。そこで昭和三十一年に日本漫画社の看板を掲げ、貸本マンガの出版を始め、白土三平と出会い、『嵐の忍者』『忍者武芸帳』などを刊行するが、三十三年にバーを開店するためにマンガ出版を止めてしまう。
嵐の忍者

ところが長井はバーの経営に失敗し、特価本の卸の仕事に戻ると、問屋仲間の二人から資金の面倒は見るので、またマンガの出版をやらないかと勧められたのである。その二人について、長井は次のように説明している。

 相手は、小出英男といって、大洋図書という特価本の卸をやっているわたしよりひと廻り下の男と、夜久勉という一歳下の男。夜久さんのほうは、そのころの神田日活の裏に人生劇場というパチンコ屋を持っていたし、(中略)そのうえ日本文芸社という出版社もやっていて、実話雑誌や実用書のたぐいを出版していた。二人ともマンガは疎いようだったが、商売にかけては相当の凄腕で、それは同じ業界のことでよく知っていた。

二人は白土三平のマンガも出そうといい、社名は三人だから三洋社に決まった。かくして『忍者武芸帳』の第一巻が三十四年に出版されるのである。初版は六千部、定価は百五十円だった。しかし説明は省くが、三人は「悪徳出版界のボス的存在」と噂され、「貸本マンガの世界も特価本の世界も、表街道の出版文化の世界と違っていつでも荒っぽい、戦国乱世のような状態」の中に置かれていた。足立文庫も小出書房も夜久書店も「上野畑」の人々として、『三十年の歩み』に姿を見せている。

長井は昭和三十九年に青林堂から始めて雑誌『ガロ』を創刊するまで、出版の素人ではなかったが、取次や書店と縁がなかったという。「それは雑誌が初めてというだけでなく、東販とか日販とかいう大手の取次を通して、一般の書店に自分の出版物を出すということが、初めてだったのである」。つまり足立文庫、日本漫画社、三洋社に到るまで、長井のマンガ出版の歩みは、通常の出版社・取次、書店というルートではなく、アウトサイダーとしての特価本業界における卸や問屋を経て貸本屋へと至る流通販売によっていたことになる。

私が小学生の頃、貸本屋や雑貨屋で読んだ『忍者武芸帳』『黒い傷痕の男』『鬼太郎夜話』にしても、そのようなルートで届けられ、それらはさらに様々な流通を重ね、雑貨屋のような末端の貸本現場へも回されていったのであろう。だが長井は三十六年に再び倒れ、『忍者武芸帳』の最後の第十六巻上下を三洋社から出すことができず、やはり「上野畑」の東邦漫画出版社から刊行されるのである。おそらく貸本屋や雑貨屋に全巻が揃っていなかったのはそのような事情も絡んでいたのであろう。

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