郊外をめぐる問題として、カルトや宗教のことにも言及しなければと考えていた。日本と同様にアメリカにおいても、前回のディックの『市に虎声あらん』にみたように、カルトや宗教は必然的に寄り添うようなかたちで出現していた。ここで言及したいのはシャロン・テート殺人事件を扱ったエド・サンダースの『ファミリー』(小鷹信光訳、一九七四年)に関してである。
この事件を起こしたマンソン・ファミリーの背後にはカリフォルニア特有のカルト、ケネス・アンガーのアンダーグラウンド映画、ビート詩人たちとヒッピームーブメント、ロックニュージックなども密接に絡んでいるし、実際に『ファミリー』の著者サンダースはファッグスというロックグループのリーダーでもあった。
しかしこれまで何度も言及を避けてきたのは、カリフォルニアのカルトの源流が、十九世紀末の英国の心霊研究協会の設立、マックス・ミューラーによる東洋諸宗教の経典英訳『東方聖書』に基づく神智学やオカルティスムの発生、及びブラバァツキー夫人の登場にあるというアウトラインは引けるにしても、戦後の明確な見取図が描けなかったことにある。すべてがあまりに錯綜しているし、地下水脈におけるつながりの全貌がつかめないからだ。
なお心霊研究協会に関しては、拙稿「水野葉舟と『心霊問題叢書』」(『古本探究3』所収)、『東方聖書』については本ブログ「古本夜話104」の「『世界聖典全集』と世界文庫刊行会」、ブラバァツキー夫人もやはり本ブログ「ゾラからハードボイルドへ」11の「『デイン家の呪い』 新訳」などで既述しているので、興味があれば参照されたい。
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またケネス・アンガーのことも、「ゾラからハードボイルドへ」12「ケネス・アンガー『ハリウッド・バビロン』 」として書いているが、アンガーの『スコピオ・ライジング』を始めとするアンダーグラウンド映画を見るに至っていないので、それらがビート詩人やヒッピームーブメント、ロックミュージックに与えた具体的な影響を確認できずにいたことも、『ファミリー』にふれてこなかった一因である。昨年アンガーのDVDBOX盤が出されたのだが、限定盤ですぐに売り切れ、購入できなかったことも付け加えておこう。
(ケネス・アンガー マジック・ランタン・サイクル、『スコピオ・ライジング』『ルシファー・ライジング』所収)
ただアンガーのフィルモグラフィといっていいAlice L.Hutchison,Kenneth Anger(Black Dog Publishing,2004)を読み、そこに引用されている映像を観ると、デニス・ホッパーとピーター・フォンダの『イージーライダー』や本連載33のデイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』も、紛れもなくアンガーの映像と作品にその淵源が求められているとわかる。
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そして彼の『スコピオ・ライジング』がエイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』に匹敵する影響を与えた作品で、アンガーの影響はロックミュージックにも及び、ビートルズのアルバム『サージャイント・ペバーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の表紙ジャケットにも、ビートルズを取り巻く多くの著名人たちの肖像の間にあって、二十世紀最大のオカルティストと称されるアレスター・クローリーの隣にいるのはアンガーだと思われる。
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アンガーはクローリーの直系の魔術師として映画を撮ったとされるし、そのようなオカルティスム的環境からビートルズのアルバムが生まれたことを、この表紙ジャケットは物語っている。そこに日本からは何と福助が加わっているのだ。またアンガーの人脈には「沈黙の領域」とされるホモセクシャルの世界へと広く通じていることも書き添えておこう。
このような錯綜したカリフォルニア文化、文学、映画、音楽にまつわるカルト的状況を背景にして、一九六九年のマンソン・フアミリーによるシャロン・テート殺人事件が起きたことは疑いを得ない。サンダースの『ファミリー』はそのカルトの深くて暗い森を彷徨い、精神を病んでいる人々やその犠牲者たちに出会い、またいくつもの殺人事件にも遭遇する。そしてマンソン・フアミリーにおける向精神薬を用いた洗脳法、複合的暗示催眠による犯罪行為、導師(グル)が信者を絶対服従させるテクニックを浮かび上がらせ、それらを通じてファミリーがどのようにして殺人コミューンになっていったかを解明しようとする。
『ファミリー』のマンソンの物語も一九五五年、彼が二十一歳の時から始まっている。彼は自動車窃盗、小切手偽造、売春目的で女性を使役するマン法違反などで、五〇年代後半から六七年にかけて刑務所で過ごし、そこで聖書、オカルティスム、サイエントロジー、催眠術、精神分析学、音楽などを学び、後のマンソン・フアミリー形成の理論の基礎を固めた。
そこで留意すべきはマンソンとSFの出会いで、ロバート・ハインラインの『異星の客』(井上一夫訳、創元推理文庫)から多くの用語やアイディアを借用したという。これはテレパシー能力と権力願望を秘め、火星植民地からただ一人の生き残りとして地球に戻ってきた男の物語である。そればかりか、『ファミリー』でサイエントロジーは「一種の霊魂再来の宗教」と説明されているが、荒俣宏編『世界神秘学事典』(平河出版社)などによれば、サイエントロジーはSF作家のロン・ハバートが創始した新興カルトである。その主張は人間の細胞には過去の恐ろしい衝撃の残存イメージが記憶されているので、それをすべて消滅させ、肉体的にも精神的にも幼児の頃のハイな気分を取り戻す「心理療法」をコアとしているが、それはハバートに莫大な財産を築かせた「頭のよいネズミ講」ともされている。
そのような刑務所生活を経て、六七年にマンソンは釈放された。そこで身につけた様々な知識、アイディア、テクニック、あるいは開花した音楽的才能、それらはベトナム戦争時のアメリカカリフォルニアにおいて、まさに受け入れられるスキルに他ならなかった。そこはヒッピーたちであふれ、あらゆる分野においてアングラ文化の流れが生じていたし、それにLSDといったドラッグなども絡み、時代は激変しつつあった。その中で聖書引用狂で、キリストの再来を思わせるマンソンはファミリーを形成し始め、「マンソンと彼のファミリーにとって、ロサンジェルス中いたるところにドアは開いていたのだ」。
それに加え、様々な人物たちがマンソンに近づいてくる。ケネス・アンガーと親しく、その映画『ルシファー・ライジング』で悪魔の役を演じたボーソレイユ,ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソン、ドリス・ディの息子で、資産家のレコードプロデューサーのテリー、かつての囚人仲間や百人以上いたとされる若い娘たち。
サンダースは書いている。
サンセット大通りで、マンソンは成功したロック・ミュージシャンたちの落ち着きのない世界に深く潜入し、映画や音楽産業の大物たちの子女の、錯綜したサークルのなかで冒険をつづけた。それは、社会病質者の楽園だった。地下の水脈を見つける魔法の占い棒のように、小柄な催眠術中毒患者チャーリーは二つのアメリカ的シンボルにくいついていった。
「二つのアメリカ的シンボル」とは一連のヒットを生み出すビーチ・ボーイズとドリス・ディのことで、その表象代行たるウィルソンとテリーであり、マンソンのセレブティ志向を物語っている。シャロン・テートとその夫のポランスキーもハリウッドに象徴される「二つのアメリカ的シンボル」ということになろう。
その一方で、マンソンの周囲には暴力志向の悪魔崇拝教のバイカーたちも集まるようになり、セックスやドラッグコミューンの色彩の強いファミリーに影響を与えた。だがそれ以上に連続殺人を引き起こす「あの暴力的な狂気の体験(フリーク・アウト)」を培養したのは、ロサンジェルス一帯に存在する「ゾンビのような信奉者をつくりだすことを専門とするグループ」だとサンダースは次のように指摘している。
それぞれの結社の秘伝や門弟の地位には段階がある。あるときは催眠術に非常に似通った教化の方法を用いる。大聖(アデブト)の心の中にある秘教偏執狂(オカルト・パラノイア)がさらに拡大され、それによって秘教の信者の心をとらえる妖しげな信仰の網をはりめぐらすために、教化のひとつとしてある種の薬物が用いられることもある。
これらの秘密結社の構造はファッショ的であり、集団の指導者クラスがすべての権力を吸いあげるようになっている。たいていの場合、指導者は、命令と服従の社会体制からとりのこされた、権力崇拝狂の、屑のような独裁者タイプの人間であることが多い。
そしてマンソンは「ヘルター・スケルター」という白人と黒人間の一大人種戦争の勃発を唱えるようになっていく。同じような人種戦争の起きることを信じていた秘密結社のひとつとして、サンダースは一章を割き、OTOのソラー・ロッジを挙げている。これは『ファミリー』の訳語に従えば、「東方の聖堂騎士結社」の「太陽神の結社支部」で、一九一一年にクローリーが英国支部を創設しているが、こちらはジョージナ・ブレイトンという女性が率いた教団で、その夫は南カリフォルニア大学の哲学科教授だった。彼女は大学校門近くに、魔術用品店と書店を開き、その勢力を広げていた。
『イージーライダー』のアートディレクターもそれに属していたようであるし、ここにもクローリーとアンガーの影響は明らかだが、ドラッグの乱用によって教団を支配していたという。それはともかく、この書店の外側にはエジプトの太陽神の目が描かれていたことから、「ホーラスの目書店」と呼ばれていたとされる。
私は前回のディックの『市に虎声あらん』を読んで、主人公のハドリーが勤める電器販売店「モダンTV」の窓ガラスに大きな穴を開け、頭から突っこんで片目を失う場面のところで、この「ホーラスの目」を思い出した。これも片目の絵であったはずで、ディックもそれをどこかで見ていたかもしれないのだ。
またさらに訳者の阿部の「ディックの『眼球譚』―訳者解説に代えて」において、この小説の登場人物たちにモデルがあり、実際にディックもバークレーの電器販売店でアルバイトし、そこが大学生たちのたまり場だったことを教えられた。その中には左翼やモダニスト、神智学やシュルレアリスムの近傍にいた詩人たち、それからゲーリー・スナイダーやギンズバークのようなビート派詩人、後に『路上』を書くことになるジャン・ケロアックなどがいた。
彼らへの言及や前述のアンガーやボーソレイユの映画写真の掲載もある海野弘の『癒しとカルトの大地 神秘のカリフォルニア』(カリフォルニア・オデッセイ4、グリーンアロー出版社)にはソラー・ロッジに選王するOTOのカリフォルニア支部のことがレポートされているので、ディック周辺の人々も関係していたにちがいない。それゆえにディックの六〇年代のSFとマンソン・フアミリーによる連続殺人、「あの暴力的な狂気の体験」は、共通するカリフォルニアのカルトの光と闇の交錯する磁場を背景にして生じたといっていいように思われる。
シャロン・テート殺人事件にまでは至らなかったけれど、ファミリーによるその後の光景が描かれているので、それを引用し、閉じることにしよう。
ナイフと衣服を手にして、一同が引きあげてきた。「まるでたましいのない生ける死者(ゾンビ)のようだった」と、のちに彼女は書いている。死人のような目をした生きる死者の群れ。
これは殺人者の供述で、それはこのような事件を通じて、本連載35の『ゾンビ』が出現してきたことを告げているかのようだ。
なおこの一文を書いてから、アンガーの映画集成として「マジック・ランタン・サイクル」(アップリンク)が出されたことを知った。早速購入し、そのカルト的映像をようやく見ることができたので付記しておく。