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古本夜話350 安藤更生と春陽堂版『銀座細見』

今和次郎、吉田謙吉編著の『モデルノロヂオ』が、昭和五年に春陽堂から刊行されたことを既述しておいた。その翌年にやはり同様に、安藤更生の『銀座細見』が出されている。これは中公文庫での復刊を見ているが、『モデルノロヂオ』と同じく春陽堂版で読まないと、当時の銀座のリアリティと臨場感が伝わってこないように思われる。それにこの『銀座細見』もまた銀座の考現学であり、今たちの考現学の影響を受けて成立した一冊ではないだろうか。

 (中公文庫)

手元にある『銀座細見』は四六判四百頁近くに及び、束は三センチ、天と小口は黒、黄色のカバーは「銀座」という小さな文字で埋めつくされ、本文の言葉を借りれば、「銀座の洪水」である。本体の装丁も芸者の着物と柄のように、黄色を主調とするカラフルなもので、また写真もかなり挿入され、文庫本からは想像もつかない佇まいの単行本に仕上がっている。

安藤は『銀座細見』を、「銀座・銀座・銀座、夜の銀座、昼の銀座、男も銀座、女も銀座、銀座は日本だ」という一文から始めている。そして銀座が日本の都市生活の檜舞台で、そこには何でもあり、選ばれたものが集められ、あらゆるものが輝き、銀座を歩き、買物をして享楽することは全国的な渇望となり、全国に銀座の地名があふれているように、「銀座であることが現代文化の象徴」なのだ。まさに「今の日本は銀座時代」を迎え、銀座はモダニズムの先端を体現している。だがその表象たるジャズ、映画、断髪、短いスカートとセーラーパンツ、ダンス、スポーツはアメリカの資本主義文化であり、そこに真の解放はなく、未来に対する不安と絶望を一時的な感覚の享楽によって麻痺させようとしているだけだ。さらに安藤はいう。

 銀座はバラックの見すぼらしい街である。そこの享楽には何の深さもない。無上の楽園ではなくして絶望の困迷だ。軽いダンスのステップで歩るく爪先は地についてゐない。それは明日のない街だ。幻影に踊る果敢(はか)ない亡者の集団だ。(中略)
 銀座は日本の玩具だ、「造られた町」だ。資本主義が演出して居るあぶない舞台だ。幕の閉ぢるのも長くはない。

そして安藤は銀座の歴史をたどり、それが古き江戸を壊滅させた関東大震災後の現象であることを明らかにしていく。かつての銀座は「銀ブラ」という街頭享楽に象徴されるように、フランス文化の下にあり、芸術青年が君臨していたが、アメリカニズムとモダンボーイにとって代わられてしまった。大正十年頃の銀座は少しばかりさびれかけていて、商業中心地は東京駅付近へと動きつつあったが、大震災がそれを引っくり返してしまい、銀座だけが急速に勃興し、殷賑をきわめるようになったのである。

それは三越松屋松坂屋などのデパートの進出、総合雑誌による銀座記事の頻出、『キング』と『現代』の読者に代表される大衆の登場によっている。確かに、本連載230でふれた大正七年の山口孤剣の『東都新繁昌記』に銀座は取り上げられていないし、『銀座細見』と同様に、中公文庫で復刊された松崎天民の『銀座』の銀ぶらガイド社からの出版も、昭和二年のことだった。
[f:id:OdaMitsuo:20120805151535j:image:h150] 銀座細見 (中公文庫)  銀座 (ちくま学芸文庫)

安藤はその銀座の変化と差異について、北原白秋の「銀座の雨」と沙良峯夫の「銀座青年の歌」の全文を引用し、明治と大正の二十年間を隔てる両詩を通じ、まったく異なった時代と文化の色の表出を見ている。

だが安藤は「デカダニスト」として、このエフェメラの街である銀座を愛しているのだ。それは銀座が若い者の街にして、若きインテリゲンチャの街であり、ブルジョワ的倦怠の中にある青年たちは、都会的享楽の新奇と世界の大都市との共通性、西欧文化に対する早くて強力な吸収性に魅せられているからだ。

そのようなアングルから、安藤は銀座の「細見」に入り、まずは「銀座の王」たるカフェを取り上げ、銀座のカフェの起源としてのカフェ・プランタンから始めていく。この明治四十四年に開店したプランタンこそが日本最初のカフェであり、多くの文人たちが集い、ここを中心にして日本の新しい文学運動や芸術が起きたと説明され、本連載でも登場している多くの人々が常連として出入りし、次にカフェ・ライオンができる。

安藤はそれ以後の「カフェ列伝」を大阪カフェ進出に至るまで、さらに七十ページ近くにわたって語り、「カフェは銀座の王である」ことを自ずと示し、またその記述からして、安藤が突出した銀座の「カフェ通」だという事実を知らしめている。カフェ関連の記述は女給、客、文士などのことも含めれば、さらに続き、本書の四分の一以上を占めていることになり、『銀座細見』はその内容からすると、「銀座カフェ細見」といった色彩に覆われているといっていい。

その後も安藤は銀座の夜店や物売り、様々な飲食店、街頭の人々について語っていくのだが、カフェに関する記述と比べると、油絵に対して水彩画のような感じがする。それだけ安藤は十五年近くの銀ブラを通じて、カフェを愛していたことになろうか。

安藤の『銀座細見』はその「跋」にあるように、この「銀座学校の卒業論文」はカフェの酒の味と女給の名前と尖端的な都会のからくりを勉強させてくれた「偏へに我が銀友なる岡康雄、木村輸(ママ)吉両名の好意の賜」と記されている。岡は安藤と同じ会津八一門下の友人で、春陽堂の編集者、木村は奥付に印刷者として名前が挙がっているので、彼も春陽堂関係者だったとわかる。

なお私家版『安藤更生年譜・著作目録』(同年年譜作成委員会編輯、安藤きよ発行、昭和四十七年)の昭和六年のところに、次のように書かれている。

 二月、春陽堂より著書『銀座細見』を刊行。この年のベストセラーとなるも、借財多くして掌中に銭なし。会津八一より「少しく仏教美術を知り、少しく銀座を知るものか」と叱咤さる。
 この頃、秋草堂出入差止めとなる。間もなく岡康雄の介にて許さる。

ここにも岡の名前が見え、『銀座細見』の波紋を知るのである。
なお『銀座細見』の見返しと巻末広告に、「世界大都会尖端ジャズ文学」十五冊のラインナップが並び、同書とこのシリーズが共鳴していることを教えてくれる。これらの企画は誰によっているのだろうか。

本文でもふれた、この『銀座細見』の装丁について、古書日月堂に詳しい言及があるので、ぜひご覧あれ。

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