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古本夜話468 八雲書店、石川達三『ろまんの残党』、久保田正文『花火』

前回、八雲書店の名前を挙げたが、これにもモデル小説があるので、それも紹介しておこう。『書肆「新生社」私史』を著した福島保夫は新生社の倒産後、八雲書店に移り、それからさらに暮しの手帖社、荒木書房、河出書房など、次々と職場を変えざるを得なかったようだ。それもそのはずで、八雲書店も河出書房も倒産しているからだ。どのような経緯があって、福島が八雲書店に入社したかは定かでないけれど、彼は丹羽文雄に連れられ、太宰治の告別式に出て、丹羽が八雲書店の社長中村梧一郎に大当たりだなと話しかけ、中村がそうなんですと答える場面に立ち会っていたのである。

福島は八雲書店が刊行していた『太宰治全集』について、次のように記している。

 当時八雲書店は、『太宰治全集』第一回配本(注・昭和二十三年四月)を終えたばかりであり、第二回配本の『二十一世紀旗手』が発行される直前、太宰氏入水という事件が持ち上がったわけである。誰しもが、まさに千載一遇の好機を迎えた出版元を、不謹慎ながらも羨望の眼で見ていることは瞭らかである。それを判っきり指摘されても、中村氏は隠し立てすることなく、皆さんそう仰有いますと、笑みを浮かべるのであった。

野原一夫の『回想太宰治』(新潮社)によれば、全集企画は八雲書店と実業之日本社からほとんど同時に申しこみがあり、亀島貞夫という熱心な編集者の存在によって、八雲書店に決まったようだ。しかしこの全十八巻の全集は八雲書店が倒産したために、第十四回配本で中絶してしまった。野原の本の中にも中村梧一郎の名前が出てくる。
回想太宰治

この中村はそれ以前にもふたつの小説のモデルとして登場している。まずは石川達三の『ろまんの残党』(『石川達三作品集』第5巻所収、新潮社、中公文庫)にその姿を見せている。この小説は石川と仲間たちの同人誌『新早稲田文学』時代を描いたもので、昭和初期における文学と同人誌の熱い関係を生々しく伝え、そこに集った人々の栄光と挫折を浮かび上がらせている。

中村をモデルとするその中の一人の竹村可七郎は印刷会社の校正係から始めて、地方青年を相手とする雑誌の編集責任者となり、三百枚の傑作を書くと豪語しながら一枚も書かず、出版社を立ち上げ、工業関係の高価な大著を会員組織で刊行し、大きな成功を収めていた。だが彼の出版事業はいささかロマンチックで、「自分が書くべくして書き得なかったものを、他の作家に期待していた。期待する情熱が、出版への情熱となった」。

また石川達三の『改造』選外佳作となった『蒼氓』を他の同人誌に勝手に発表し、第一回芥川賞受賞のきっかけをつくったのも竹村であった。『石川達三作品集』に寄せた久保田正文の「解題」によれば、『ろまんの残党』は八雲書店の季刊雑誌『芸術』に昭和二十二年に発表され、同年に単行本化されている。『芸術』は大判二百ページの豪華な雑誌で、新庄嘉章を編集顧問とし、久保田もまた八雲書店の編集者を務めていた。

蒼氓

その久保田も中村と八雲書店をモデルとして、小説『花火』を『近代文学』に発表し、昭和三十一年に北辰堂から刊行している。『花火』において、中村は草村、八雲書店は叢書房として、次のように紹介されている。少し長い引用になるが、まったく忘れられている小説であるし、戦時下から戦後にかけての出版社の業態が記され、出版史の事実として重要なので、引用しておこう。

 社長の草村吾市はまだ三十八歳である。二十二、三歳ころまでは、派手な小説をかいて、同人雑誌にも発表して多少批評の対象になったこともあった。今では文壇で目立った存在になっている木山竜造が、同じ同人雑誌仲間だったというのが、彼の語りぐさである。しかし草村吾市自身は、その相応の資質を自覚したと言うべきかもしれぬ。小説家にならないで、戦時インフレの波にのってとにかくひとつの出版社をはじめた。工業関係の外国書籍のリプリントをやったのがあたった。つまり「海賊版」であった。宣戦布告でペルヌ(ママ)条約が停止になったという解釈のもとで、勝手にリプリントが行なわれた。(中略)貧乏な大学は、高い原書の一割くらいの値段で、すこし印刷の鮮明は欠くけれど、オフセット印刷だからまったく誤字のない書物が手に入るということで大いに徳とした。理科学・工学関係の書物、語学辞典などがとくに希望された。要するに、学者が海賊に協力したわけである。この利益で、叢書房は文学書を出しはじめていた。

木山が石川であり、会員組織の高価な大著の刊行が洋書の海賊版リプリントだったことが明かされている。このような辣腕家で、「金にも女にもつよかった」草村にしても、敗戦直後の出版すれば、一万部は売れた時代が過ぎると、『芸術思潮』の他に堅実な農業雑誌や娯楽雑誌『光と影』、それに話題の『座台領全集』を刊行していたにもかかわらず、組合問題も派生し、倒産に追いこまれた。この『芸術思潮』が『芸術』、『座台領全集』が『太宰治全集』であることはいうまでもないだろう。

また最後の出版になるはずだった伊丹青磁の代表的な長篇小説『石狩軽吉の理想と現実』の第一稿は行方不明になり、他の出版社から刊行された。伊丹の親友の評論家仙沼繁がその解説で叢書房崩壊と第一稿紛失のことを書いた。「つまり叢書房の末路はめでたく戦後出版史に名前をとどめたわけである」。これは伊藤整『鳴海仙吉』で、仙沼繁は瀬沼茂樹だと思われる。
鳴海仙吉

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