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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話129 田代金宣『出版新体制の話』と昭和十年代後半の出版業界

小島威彦と仲小路彰たちによって、昭和十四年に立ち上げられた世界創造社、戦争文化研究所、スメラ学塾のかたわらで、日本では国家総動員法が公布され、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が起きていく。そして翌年には日独伊三国同盟が調印され、「新体制運動」が始まり、大政翼賛会が発足する。

「新体制運動」は当然のことながら、出版業界にも波及し、生産、流通、販売のすべてにわたってドラスティックな影響を及ぼしていく。明治二十年代に誕生した出版社・取次・書店という近代出版流通システムはそれまでに半世紀の歴史を有し、著者・出版社・取次・書店・読者によって形成される近代読書社会を出現させた。もちろんそこには各時代の政府における検閲、公的出版物としての教科書をめぐる文部省との関係や利権の問題などはあったにしても、出版社や取次や書店はあくまで、個的で民間の営み、ある規模に至っても私企業であり、近代出版流通システムは国策によって構築されたものではなかった。それゆえに多様な雑誌や書籍の出版、多彩な著者の出現が可能だったのであり、それらを通じての国家と民間の表現の攻防から、奥行の深い日本特有の読書社会を形成するに至ったと考えられる。

しかし「新体制運動」の始まりとともに、出版業界もそれに組みこまれ、大いなる変貌にさらされることになった。それに関して、本連載126でふれた『伊太利亜』や『独逸大観』を刊行した電通から、文字通り『出版新体制の話』(復刻、金沢文圃閣)が田代金宣を著者として、昭和十七年に出されている。著者の田代は昭和十三年に新聞社を辞め、内閣情報部へ入ったと記しているので、出版新体制を上から推進する立場にあった。それが類書の見当たらない同書の特色で、「附録」として、日本出版文化協会、日本出版配給株式会社の定款を始めとする、十六に及ぶ「出版新体制関係諸法規」が同書の三分の一を占める、百ページ近くにわたって掲載されている。これらはみすず書房の昭和十年代の『マス・メディア統制(二)』(『現代史資料』42)にも収録されていないので、昭和十年代後半の出版史資料として重要な文献に位置づけられるかもしれない。

田代は「ロクデモナイ書物ばかりが横行濶渉してゐる」出版旧体制から新体制へと向かわなければならない必然性について、次のように述べている。

 出版界でも「儲け第一主義」で、それには手段方法を選ばない。儲けるには国民一般が飛びつくやうな「興味本位」にするが手つ取り早い。さふいふ次第で、俗悪な煽情的出版物が一番売れるといふことになつて了つてゐたわけである。この思想的には自由主義、個人主義、経済的には営利主義、儲け主義の出版界が、時代の転換と共に転換しなければならなくなったことは、(中略)今更申す迄もないことである。(中略)殊に出版界は出版物を通じて一般国民の思想啓発になくてはならぬ役割を受持つ本質を有してゐるから、(中略)その重要さは想像以上で、出版新体制の成否は国家全般の新体制の成否に関すと言つても決して言ひ過ぎではない。

私は統制官僚的な田代と異なり、「思想的には自由主義、個人主義、経済的には営利主義、儲け主義の出版界」をまったく支持するものであるし、まさに出版の本質はそこに存在すると考えている。だが「手段を選ばない」「儲け第一主義」は現在のほうがより深刻で、それこそ「出版新体制」を構築しないと、日本の出版業界そのものが壊滅してしまうのではないかとさえ思う。だがその改革とは昭和十年代後半の上や外からの「出版新体制」であってはならず、出版業界の内側から実行されなければならない。

それはともかく、この「出版新体制」とは具体的にどのようなものだったのだろうか。ここからは『出版新体制の話』に示された議事録のような報告ではなく、具体的に語られている清水文吉の『本は流れる』(日本エディタースクール出版部)などを参照し、それを描いてみる。同書には田代が内閣情報局情報官として出てくる。
日本近代文学大事典

「出版新体制」は内務省と商工省の官僚たちによって進められ、田代はその一人だったと見なすべきだろう。それはまず出版の生産と流通の一元化として表われた。まず出版社については日本雑誌協会がいち早く解散を決めたことで、大小二十を超える出版諸団体も次々と解散し、昭和十五年十二月に日本出版文化協会が創立された。これは実質的に出版社の監督団体であり、出版用紙配給決定権を持ち、十八年には日本出版会へと改組され、用紙配給権を背景にして出版企業整備を進めた。その結果、三千七百近くあった出版社は十九年には二百二十三社に激減してしまった。

次に取次だが、全国大中小二百四十二社を数えていたが、日本出版配給株式会社へと一元化され、ここに国策取次日配の誕生を見たのだった。そのために昭和十六年六月以降の出版物の奥付にはかつての東京堂などの大手取次の名前が消え、「配給元 日本出版配給株式会社」と明記されるようになった。

さて最後に書店であるが、こちらも全国各地の小売書店組合が解体され、新たに設立された東京小売商組をモデルにして次々に商業組合として改組され、こちらも十九年になって書店整備として、一万六千店のうちの四千店が間引きされ、一万二千店に減少したのである。

かくして国家による出版統制に他ならない「出版新体制」は情報局と商工省の監視下に、出文協が生産、日配が流通、各県小売商組加盟の書店が販売を担うという国策出版システムによって、昭和十六年からの出版物が刊行されていったのである。それゆえに本連載でずっと言及してきた様々な大東亜共栄圏をめぐる奇怪な言説、すなわちベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」ならぬ「妄想の共同体」を造型せんとする書物の群れも、そのような国策出版システムの中から生まれてきたことを記憶しておくべきだろう。

江藤淳は戦後日本のアメリカ占領下の出版物をめぐって、『落葉の掃き寄せ』(文藝春秋)を書き、サブタイトルに「敗戦・占領・検閲と文学」とあるように、その時代に封殺された言論と表現を発掘している。オキュパイド・ジャパンも確かに検閲の時代ではあったが、昭和十年代後半は、それ以上の監視システムによる国策出版物の時代であった。だがそれは占領下の出版物以上に解明されていないように思える。

次回へ続く。

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