出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

16 伏字の復元 1

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題


16 伏字の復元 1

このほかにも数字だったり、一行に足りない短い伏字部分もあるが、それらは省略した。十八箇所の伏字部分は「…………」も多用されているので、合計すれば三十ページ近くに及ぶであろう。したがって『黒流』は全ページの五%近くが伏字処理されていることになり、その中でも最長の部分は11で、何と十ページに及んでいる。その内容紹介で示したように、それらは主としてラブシーン、セックスシーンであり、阿片吸引、賭場の描写もあり、つまるところ一度は紙型を組んだにもかかわらず、発禁処分を考慮し、伏字という処理を施したと推定できる。これは言葉で説明してもよくわからないと思われるので、一例として1の部分をそのまま記載しておく。

見ればわかるように、この部分はほとんど判読不可だが、何とか復元出来る場面もあるので、それらを示してみよう。

 未亡人は堪え難い愛欲を感じた様に彼の膝の上へどつかと凭れかかつて来た。そしてまるで猪の様な勢いで彼の額中へ接吻するのであつた

これは5で、ロツドマン未亡人が荒木にセクシャルな行動に至る場面である。「豊満な肉体」の持ち主である彼女は「堪え難い愛欲を感じ」、「猪の様な勢い」で彼に接吻するのだ。しかも彼女は白色人種の女であり、彼は「白人種から下劣なものに思はれて居る黄色い皮膚」の東洋人という設定なのだ。だが『黒流』の物語構造はとりあえず「人種戦」における有色人種の勝利の追求にある。だから荒木はそれを体現する特権的ヒーローとして、それこそア・プリオリに位置づけられなければならない。白色人種の女は言う。「何と立派な御風采でせうね。ヤンキー娘は屹度迷はされますわ」。そしてここで荒木は阿片の力も借り、白色人種の資産家である美しい未亡人を征服したのだ。それは女の肉体の動きによって象徴的に描かれなければならないし、その「堪え難い愛欲」から生じる「猪の様な勢い」の接吻などという描写は、同時代の日本文学の位相からかけ離れた表現であったように思われる。

なぜならば、このようなディテールを含んだ小説に出会うのは、戦後になってからなのだ。それは昭和三十九年に発表された大藪春彦『蘇える金狼』(角川文庫)の中に再現されるのである。主人公の朝倉は平凡なサラリーマンを装っているが、暴力と奸計によって会社の乗っ取りを図るために、身体を鍛え、拳銃を入手し、資金強奪、殺人、麻薬取引を重ね、上司の情婦京子に近づく。そして朝倉は京子を横浜の中華街に誘い、南方系中国人が営んでいるらしい広東楼(カントンロウ)の個室へと連れこみ、ビールにヘロインをひそかに混ぜ、彼女を籠絡するのである。そこに描かれた京子の動きはロツドマン未亡人のそれと酷似している。

 料理の最後の頃には、京子は欲情した牝の表情を露骨に見せていた。立ち上がった朝倉が京子の横に席を移すと、啜り泣くような声を漏らして、朝倉の首に両腕を廻し、自分から横の寝椅子に倒れこんだ。
 接吻のツバで朝倉の顔をベトベトにし、(中略)動物的な呻きさえも絞りだす京子からは、先ほどまでの傲慢さが想像出来ない。

このあまりにも『黒流』に酷似した場面を読むと、佐藤吉郎は大藪春彦のはるかな先達者のようにも思えてくる。『蘇える金狼』において、この場面は「人種戦」ではなく、上司の情婦と部下の男の「階級戦」として描かれているのだ。しかし共通するのは女を動物的メタファーで捉えていることであり、プラム・ダイクストラ『倒錯の偶像』富士川義之訳、パピルス)で指摘しているように、十九世紀末に男によってもたらされた悪しき幻想としての女性像なのだが、『黒流』の中にも流れこみ、戦後の『蘇える金狼』にまで継承されている。

それゆえに『黒流』におけるロツドマン未亡人を始めとする白人女性たちはきわめて早い時期に日本文学に描かれた「倒錯の偶像」であるのかもしれない。しかし日本人の春子は荒木自身が動物のように振る舞う対象、受け身の存在として描かれている。これは復元できない1の部分の前にある記述である。荒木はまるで「猛獣の様に彼女の身体を抱き緊めたり、振り廻したり、接吻したりした」。春子にとっても、「愛する男から其の様に振舞はれる事は女として無上の幸福であり、快楽であつた」。アメリカ人女性と日本人女性が表面的には対照的に描かれているが、それはメダルの裏表の関係であり、春子もまた「倒錯の偶像」であることを免れてはいない。

倒錯の偶像

次回へ続く。