『水の色 銀の月』のストーリーを紹介することから始めてみよう。これは2巻本だが、1巻と2巻は登場人物が同じであるにしても、主人公も物語も異なるものなので、それは1巻についてだと了承されたい。
亜藤森は日吉ヶ丘芸術大学の6年生で、2浪に2留を重ねているために、すでに26歳になっていたが、街頭で歌い、また仲間の青木たちと「鉄道詩人会」というバンドを組んでいた。ある晴れた日に亜藤は、空の水色を背景に黄色いレインコートを着て、歩道橋に佇んでいる少女を見た。「こんな晴れた日にも雨の降っている人はいるんですよ」と思った。彼はそのレインコートの少女にまぶしさを感じ、ちょうどポケットの中にあった水色の鉛筆で、彼女のその姿を描いた。
数日後の夜、亜藤は商店街に座っていたその少女と出会った。彼女はレインコートではなく、ダッフルコートを着ていた。森は自己紹介し、彼女の名前が星だと知り、あの水色のスケッチを渡すために自分のアパートに連れていく。それを見て、彼女は「水色すき」といい、森も「俺も」と応える。そこに「鉄道詩人会」のメンバーたちが訪ねてきて、話を交わすうちに、小柄な星が高校一年生だと判明する。森と星の外見的キャラクターからすれば、これからロリコン的物語の流れが当然のように予測されるけれども、それは微妙に回避され、二人の心的現象へと移っていく。
森は星を送りながら、彼女の「どうして私に声をかけてきたの?」という問いに対し、「とても素敵な黄色いレインコートがなんだかかなしかったから」と答える。森も「どうしてついてきてくれたの?」と問うと、星は「私は誰でもよかったんだ。ただきっと……人恋しかっただけ」と返した。それはたぶんちがうと思いつつ、森はいう。「なんだっていいよ。それでもこうやって出逢えたんだから」。
このシーンに『水の色 銀の月』の核心がこめられているように思われる。タイトルに寄せて考えれば、空とスケッチに示された水色が二人をつなぐ色彩であり、二人が結ばれる夜は銀色の月が見守っている。それらの水色や銀色は、森と星だけに関係するものではなく、登場人物のすべてを包みこんでいる色彩のようにも見える。ただそれが森と星の場合、明確なコントラストを形成し、物語を開示させたことになるのだろう。当初作者の吉田の意図がそこになかったにしても。
森のその大柄な身体と年齢、何でも受け入れる茫洋とした包容力、誰にでも優しく女好きな性格などが表象しているのは、庇護者的立場とファザーシップである。その一方で、星は森よりも9歳年下で、小柄な高校生という立場からわかるように、庇護されるべき存在のように出現している。
しかしそれは表層であって、彼女が抱えている問題は、母親との関係に起因する屈折した心の揺曳であり、それが晴れた日における黄色いレインコートという格好に表出しているようなのだ。彼女は父と姉との三人暮らしで、外で母と会う日にかぎって、黄色いレインコートを着ていたのであり、それを見て、母が困っていたと姉に指摘される。森はその星の姿を見て、心に「雨の降っている人」がいると直感したのである。彼女は森に告白する。私の両親は離婚している。母は新しい夫と結婚している。母はその人と出会い、好きになったけれど、その時私がおなかにいた。もう両親の気持ちは離れていたのに、私は生まれた。「私はどうしてここにいるの?」。彼女のレインコートはその心に雨が降っていることの表われなのだ。森は彼女にいう。「僕が君の傘を差そう。レインコートじゃなくて」と。
そして周囲からその外見、及び万年大学生と高校生ゆえに、兄妹にしか見えないのだが、「僕の恋人なんです」と告白するに至るのである。でも星は「いらない子」「変な子」として生まれたトラウマから、森が「いつかちがうひとを好きになるよ……」と思う。
このような森と星の関係は、その周辺の人々にも徐々に影響と波紋をもたらしていく。バンドのメンバーで、森のパートナー的な青木哲生は大学を卒業し、星の通う女子高に教師として勤め、美術を教えるようになり、かつての森の恋人華美と関係を持つにいたる。しかしそれはぎこちなく、二人も特有のトラウマを抱えていることが浮かび上がってくる。友達同士が愛人関係に陥ったことから生じる病のようでもある。また学校での森を介在とする青木と星のポジションも、同級生に同様の影響と波紋を投げかけていく。
一方でバンドンメンバーが集う「チロル」という、兄の営む喫茶店を手伝っている元OLの佐和子も、森とつき合うことでトラウマを露出させていく。それは彼女が不倫の恋の後遺症から脱却できていないからだった。
いずれにせよ、森に関わる女たちは何らかのトラウマを抱え、「俺の目に映るものは全て美しい」という森の鏡のような態度に向き合う。そして星のように、トラウマから回復したり、華美や佐和子のようにトラウマをフラッシュバックさせたりする。
この森のような存在は何なのか。作者の吉田は森の名前が大江健三郎の小説からの転用だと注記している。その大江の小説とは『ピンチランナー調書』であり、そこでの「森」は「僕の息子の光」と同じ障害を持った子供として設定されている。そして司修が描いた「ピンチランナー二人組」の版画は、『水の色 銀の月』1巻カバーの森と星の姿と構図に似てもいる。大江の小説に言及すればきりがないので、乱暴にいってしまうと、すべてを受け容れるかのように映る『水の色 銀の月』の「森」も、先天的に病んでいるゆえに、様々な周囲のトラウマを映し出してしまう鏡のような存在なのかもしれない。大江はそこで書いている。「僕の経験ではトルストイのいうところとちがって、幸福が似ていると同様、不幸なアクシデントもたいてい似かよっているものだ」。それゆえに森は両義的な存在でもあり、吉田は先行する『恋風』において、すでに森と星が兄妹であるような物語をも試みている。
また一方の主人公である青木について、少ししかふれられなかったが、彼もその名が示すように、もうひとつの水色と異なる「青」の物語を形成しているのかもしれないし、青木の内実は、その後描かれた吉田の、彼を主人公とする『夏の前日』に示されることになろう。