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古本夜話278 柳川春葉『生さぬ仲』と代作者北島春石

前回、渡辺霞亭の『渦巻』が中央公論社の『日本近世大悲劇名作全集』に収録されていることを記しておいた。この八巻本の全集にはその他に、家庭小説の源とされる尾崎紅葉の『金色夜叉』から、その分野の代表作といえる小杉天外の『魔風恋風』、菊池幽芳『己ケ罪』、村井玄斎『小猫』、柳川春葉『生さぬ仲』、小栗風葉『青春』、泉鏡花『婦系図』までが収録されていて、『日本家庭小説全集』と称んでもかまわないラインナップになっている。

金色夜叉 魔風恋風 [f:id:OdaMitsuo:20130202105023g:image:h130] 婦系図 

なお近年出た真銅正宏の明治大正の流行小説を題材とする『ベストセラーのゆくえ』(翰林書房)の中でも、この『日本近世大悲劇名作全集』が論じられている。

ベストセラーのゆくえ

これらの作品の中でも、大正元年から翌年にかけて新聞に連載された柳川の『生さぬ仲』は、一人の子供をめぐる継母と生母の争いを中心とし、それに実母の数奇な人生と金融と会社乗っ取りを絡ませたもので、熱狂的人気を博し、芝居としても上演されたという。『明治文学全集』の一巻に『明治家庭小説集』が編まれているが、『渦巻』『生さぬ仲』は大正時代の作品ということもあり、そこには含まれていない。それゆえに『日本近世大悲劇名作全集』は現在でも同様のものがない、明治、大正を通じての『日本家庭小説全集』として、あり続けているといっていい。

明治家庭小説集 [f:id:OdaMitsuo:20130202110343j:image:h120]『生さぬなか』 [f:id:OdaMitsuo:20130201114315j:image:h120]『奈落の作者』
このうちの柳川春葉の『生さぬ仲』も所持しているので、この家庭小説にも言及しておきたい。実はこの『生さぬ仲』も、特価本業界に身を置いていた作家による作品と見なせるからだ。柳川は泉鏡花、小栗風葉、徳田秋声と並んで、紅葉門下四天王の一人とされ、多くの家庭小説を刊行しているが、代作も多く、『生さぬ仲』は北島春石によるものとされ、これは『日本近代文学大事典』の柳川の項にも指摘がある。おそらくその根拠は桜井均の『奈落の作者』(文治堂書店)における証言に基づくと考えられる。本連載27などで既述しているように、桜井は春江堂の編集者で、北島のところに親しく出入りし、彼の小説を出していたのである。まずは桜井の証言を引いておこう。おそらく桜井によってしか、春石のプロフィルは描かれていないと思われる。

日本近代文学大事典

 北島春石と云っても、今は知る人はあまりあるまいが、当時は一応知られた硯友社系の小説家で、青年の頃は尾崎紅葉の門にあったが、紅葉の死後、同門で先輩だった柳川春葉の弟子になり、既に多くの小説を書いていた。二流の小説家であったが、筆は立つ人で、ひとの代作も幾つかしている。それが何れも評判をとった小説に多い。中でも東京日日新聞と大阪毎日新聞に同時に連載され大当たりをとった柳川春葉の『な(ママ)さぬ仲』は実は北島春石の代作だったのである。それがあまり好評だったので、新聞社は予定の回数を延ばし更に書きつづけることを春葉に依頼した。ところが原稿料のことで春葉と春石の間にイザコザが起こり、春石が執筆を拒否したため春葉自身が後を書かねばならなかった、という曰くつきの小説だった。

本来であれば、代作とはまったく代わりに書くこと、及び本連載167で示した小栗風葉による『金色夜叉』の続編のように、未完に終わった部分を代作者が代わって引き継ぐことを意味しているが、『生さぬ仲』の場合はそれが逆だったことになる。それを確かめるつもりで、この『生さぬ仲』を読んでみた。この家庭小説は前、後篇七百五十ページに及ぶ長編で、初版は大正二年に金尾文淵堂から出されていて、この四巻本はかつて古本屋で見ている。

確かに桜井がいうように、春石は「筆の立つ人」で、次のごとき「帝国劇場」の章に示された一文は、紅葉ばりの美文を継承してあまりあると思われる。総ルビはさらに効果を盛り挙げているけれど、それは省略するしかない。

 千代田の杜を茜に染返した夕日の影は、魚鱗の如き雲の模様を初秋の空に織出して、なほ其余光を御濠の外に西面して建つた帝国劇場の硝子窓に投げた。其れも暫時、鮮明な雲は都会の煤煙に薄れて、大空の夕染も色が褪せると、地主は人顔も朧に、やがて今迄の大きい、和な日の光に代るべく、アーク燈、瓦斯燈其他諸もろの強い小さな光が一斉に夜の目を睜いた。

これは五百七十ページに及ぶ前篇に見える文章であるが、前篇にはこのような美文と描写が散見する。しかし後篇の百八十ページは前篇に比して、それらはほとんどなくなり、会話を主体とする物語展開となっている。もちろん断言はできないし、明確な区別は無理だとしても、前篇が春石の代作、後篇を春葉が書き継いだと見なしてもいいような印象を受ける。

それに桜井も書いているように、様々な売れない作家や編集者たちが集っていた「春石部屋」は多くの代作場として機能していた。そのうちの一人である倉田啓明については本連載27でふれ、同275で大川文庫によった、よくわからない作家たちの名前と、彼らが書いた家庭小説のベストセラーをもじったタイトルを挙げておいた。当時の浅草や上野周辺には「春石部屋」のようなトポスがいくつもあったにちがいない。そしてそこに集った、無名で「二流の小説家」たちが、文壇に出ている人気作家たちの代作者を務めるだけでなく、特価本業界の著者や執筆者だったのではないだろうか。

桜井はそれらの作家たちの名前を挙げている。彼らは市村俗仏、渡辺黙然、森暁紅、南海夢楽=安岡夢郷、宮崎一雨、小川集川、大橋青波、篠原嶺葉、小島孤舟、淡路呼潮、平井晩村などで、さらに桜井は付け加えている。「二流、三流いくらでも居る」と。もちろん彼らは文学事典などでも大半がきちんと立項されていない。

もう少し詳しく、桜井の筆による北島春石にふれておけば、春石は胸を病み、いつも喉に白い布を巻いていたが、美髯をつけ、眉は濃く、気さくで、笑うと愛嬌があり、物事にあまりこだわらない親分肌の鷹揚さも合わせ持っていた。その夫人は少女時代に剣舞小屋の舞台に立ったこともあり、芝居小屋の引き手をしていた頃に、春石と懇ろになり、一緒になったとされ、「二人とも人生の下積みの苦労は相当嘗めており、そして酸いも甘いも知り尽している方だった」と桜井は述べている。それゆえに「春石部屋」は文人たちの溜り場として、特異な賑わいに充ちていたのである。

しかしその春石もわずか四十を超えたあたりで、胸の病に加え、風邪による急性肺炎を伴い、重態となって急死してしまう。桜井は春江堂から、春石の単行本『女の誓』『一すぢ路』『風流色三味線』『春色五人女』などを出し、急死する前には『わかれ潮』を手がけていたが、その春石が心待ちにしていた新刊は、仏前に供える結果になってしまったという。まだ春石の作品を読める機会を得ていない。だがいずれそれを実現したいと考えている。

なお『生さぬ仲』については、黒岩比佐子の「古書の森日記」でも言及している。

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