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古本夜話285 坂東恭吾と博文館の月遅れ雑誌

本連載261で、私が出版業界の寅さんとよんでいる坂東恭吾のことを書いておいたが、彼は特価本業界のパイオニアであり、その走りとしての月遅れ雑誌を最初に扱った立役者だった。坂東が寅さんたるゆえんはその販売の語り口に求められ、彼の口上の無類の面白さはロングインタビュー「三冊で一〇銭! ポンポン蒸気の中で本を売る」(尾崎秀樹・宗武朝子編、『日本の書店百年』所収、青英舎)によく表われている。

さてここでその坂東と月遅れ雑誌のことを語る前に、『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に述べられた次のような事実を確認しておこう。

 この縁日や高町こそ、地本業界にとりもっとも有力な末端販売者でした。当時の庶民にとって本というものは、特定の本を書店に求めに行くものではなく、目で見、手で触れて安ければ買ってみようかという程度の偶発物、受動的なものでした。したがって、露店商人のなかに本や雑誌を扱う商人が混じり、口上面白く売っていることはもっとも書籍を購入しやすい場の提供であったといえます。しかも露店商が扱う書籍や雑誌は、仕入れを安くし、最小限の利益で安価に提供されるのが常道でしたから、地本業界にとってぴったりの販売網であったわけです。

このような縁日や高町の風景を記憶しているのは、昭和二十年代に生まれた私たちの世代が最後かもしれない。子供の頃、町の祭には必ず月遅れ雑誌を売っている露店が出ていて、よく父に買ってもらったものだ。それも一冊ではなく、何冊かを束ねたものだった。しかしそうした光景の記憶は昭和三十年代までで、四十年代に入ると消えてしまった商売のように思われる。

坂東は明治二十六年新潟生まれで、蔵前の上田屋に入る。上田屋は博文館の出入りの紙屑屋だった。当時十九歳であった坂東は博文館の倉庫の奥で、女たちが大量の雑誌をばらしているのを見た。それらは残本で、表紙、口絵、広告と分け、本文の針金を抜いている光景だった。その紙は東北のリンゴ袋などに再利用されていたのである。雑誌が月遅れであったにしても、中身は変わるはずもないし、自分がつぶし雑誌で勉強しているように、安く売れば、自分と同じくつぶし雑誌を読む人もいるだろうと坂東は考え、博文館の了承を得て、明治四十四年十二月五日の日本橋人形町の水天宮の縁日に出してみた。彼の証言を聞こう。

 大八車一台に博文館の残本雑誌を山と積んで出かけ、ムシロを敷いてどれでも一冊二銭五厘均一と云う立看板を出し、向う鉢巻きに蔵前上田屋と染め抜いた印絆天を着て、さあさあ人の読まない新しい雑誌がどれでもよりどり一冊二銭五厘だという調子でハタキ売りをやったのです。

するとわずか二時間ほどで売り切れてしまった。また香具師(てきや)も車内で売る汽車(はこ)売や汽船(うき)売をするようになり、上田屋は月遅れ雑誌の元締めとして、「お前はどこだい。なに、公園の何々組み。何組持っていくんだい。一〇〇。さあ、ネタが揃うかどうかわからないけれども出してやりな」といった調子で現金売りをするようになった。このような口上は、渥美清の寅さんではなく、高倉健が「昭和残俠伝」シリーズなどで似たような場面を演じていたことを思い浮かべてしまう。

昭和残俠伝

それはともかく、博文館に続いて、実業之日本社や講談社なども月遅れ雑誌を出すようになり、大正時代に入って雑誌のリサイクルが常態化していったのである。しかしここで留意しておかなければならないのは、月遅れ雑誌の特価販売が始まったこの時期こそ、実業之日本社による『婦人世界』を始めとする雑誌の返品委託制が導入されたという事実だろう。

このことによって、明らかに雑誌の過剰生産と膨大な返品が生じる時代を迎えたのであり、それは次第に書籍へとも及んでいくことになろう。つまりまず雑誌に関して、博文館の買切時代の残本どころではない大量の返品を、実業之日本社や講談社は放出することになったと考えられる。だが幸いなことに、この時代の出版流通は都市部が中心で、地方においては需要と供給のバランスがとれていなかった。大正初期に、書店はまだ全国で三千店にすぎなかったからだ。一方では大量の返品がありながらも、他方では雑誌というメディアを享受できない多くの人々が存在していたのだ。安い月遅れ雑誌はそうした読者層の飢えを充たした商品となったのである。『三十年の歩み』も次のようにいっている。

 月おくれ雑誌の販売により業界が活気づき、全国の山村僻地にまで雑誌を行き渡らせた文化的功績は大きいといえます。従来、地本業界、赤本業界と呼ばれていたわが業界は、この時から特価本業界と呼ばれるようになったことも特筆に値するといえましょう。

坂東恭吾の特価本業界のおける波瀾万丈の人生は、前述した本連載261『書店の近代』(平凡社新書)などでも記しておいたように、まだまだ続いていくのだが、ここでは月遅れ雑誌のことだけにとどめよう。なお『三十年の歩み』には「坂東恭吾の足跡」という一ページ紹介も掲載され、彼の簡略な出版販売史ともなっている。

書店の近代

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