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古本夜話340 アトリエ社、浜田増治、『現代商業美術全集』

アルスの円本時代の出版物として最も異色で先駆的といえるのは『現代商業美術全集』全二十四巻であろう。これはその後の美術デザインを始めとする多くの出版物の範となり、また広く実用的にも参照され、商業美術の現場にも大きな影響を与えたと思われる。このB5判のピクチャレスクな全集のうちの二十冊を二十年ほど前に入手している。かなり痛みもあり、箱が欠けている巻が五冊混じっていたせいか、古書価は確か一万円だったように記憶している。

現代商業美術全集 (復刊、ゆまに書房

これはアルスが発行し、箱や表紙にもアルスと表記されているが、実際には奥付に明記されているように、北原義雄を編輯者とし、アトリエ社を編集所とする出版物であって、アルスは発行所を担っていたことになる。既述しておいたように、北原義雄はアルスの北原鐡雄の弟で、アルスを経て、大正十三年にアトリエ社を創業している。同時に創刊された美術雑誌『アトリエ』は義兄にあたる山本鼎との共同企画で、小崎軍司の『山本鼎評伝』(信濃路)に目を通すと、山本は北原兄弟の妹いゑと結婚したこともあって、アルスとアトリエ社から多くの著作などを刊行している。

それらのことを知っていたので、最初は『現代商業美術全集』山本鼎人脈からの企画ではないかと思いこんでいた。ところが実際にこの全集に少しずつ目を通していくと、そうではなく、まったく別のラインからの編集によって刊行されたことがわかってくる。まず「編輯委員」の名前を挙げてみる。それらは浜田増治、渡辺素舟、田附与一郎、仲田定之助、宮下孝雄、杉浦非水の六人である。

この六人のうちですぐわかるのは仲田定之助と杉浦非水で、仲田は東京風俗史として定評のある正続『明治商売往来』青蛙房ちくま文庫)の著者、杉浦は改造社の円本『現代日本文学全集』の装丁者としてよく知られているし、おそらく『現代商業美術全集』の装丁も杉浦の手によるものと推測される。

明治商売往来 正  明治商売往来 続  現代日本文学全集 『現代日本文学全集』

さて他の人物たちであるが、ずっと参照してきた飯沢耕太郎『「芸術写真」とその時代』筑摩書房)の中に、大正時代における出版ジャーナリズムの「広告写真」(商業写真)」やポスターへの認識の高まりにふれた部分で、つぎのような一文が置かれていた。

 震災後になると、杉浦非水、新井泉、小池巌等による「七人社」(大正14年)、浜田増治、多田北烏、室田庫造等の「日本商業美術家協会」(大正15年)の設立に見られるように、日本にもようやく職業としての商業デザイナーが登場し、モンタージュ、レイアウト、タイポグラフィーといった、グラフィック・デザインの技法の研究も盛んにおこなわれるようになっていく。

七人社はポスター研究を中心にしていたようで、第一巻の『世界ポスター集』には杉浦と並んで田附、宮下の名前も見え、後の二人も七人社のメンバーではないかとの見当がつく。また仲田も第十四巻の『写真及漫画応用広告集』の広告写真に関するメインの執筆者であり、彼もその近傍にいたと思われる。

しかし彼ら以上に特筆すべきは日本商業美術家協会の浜田増治で、彼は全巻にわたって必ず寄稿している。それゆえにそのポジションとスペースからいって、増田がこの多種多様な広告、写真、カット図案、コピー、チラシ、ショーウインドー、看板などの集成である『現代商業美術全集』の企画編集、執筆の中心人物だったと断言していいように思われる。

それを第十七巻『文字の配列と文案集』付録の「商業美術月報」第十六号の浜田の名前と住所入りで出されている「編集室から」という一文にうかがうことができる。

一九三〇年の光栄ある初頭、御厚情を以つて本全集を支援下さる皆様に御挨拶申上ます。(中略)私の任務は主として全集全体の立案並びに材料の蒐集而して其完成への責任を持つてゐた次第であります。然るに本全集は常に他の全集に比べて実に多難な道を切り開くものであつて、すべての点に於いて未知を探り創造を欲し、系統をたてなければならないため、其困難は言語に絶してゐたのであります。(中略)然し乍ら本全集がなした功績については、自負するところ乍ら、其一切の系統を整備したことでありまして、今日商業美術界指導の指針とした点であります。(中略)私の念願其処に到達し、凡そ商業美術なるものゝ概念を得るに本全集を措いて他に無いとなつた時、私等の努力は即ち報いられたと信ずるのであります。(後略)

昭和三年に第一回配本があったにもかかわらず、五年になってようやく第十六回配本という進行の遅れを詫び、「私の責任実に重大」で、読者の「此際一層の御厚情を以つての御支援」を乞うていることになる。最終配本の巻はもれているので、それを確かめられないし、予告された配本事情もつかんでいないが、それでも昭和五年のうちには完結したと思われる。最後に付け加えておけば、浜田は東京美術学校出身である。

ただどのようなプロセスをたどったのかは不明であるにしても、この浜田の「編集室から」の文章によって、浜田が「全集全体の立案並びに材料の蒐集」に携わっていたとわかる。つまり浜田の商業美術家協会、杉浦の七人社、北原義雄のアトリエ社、鐡雄のアルス、それにこれも「月報」第十二号の写真入りの訃報「逝ける本全集顧問内田魯庵氏」とあることからわかるように、集古会周辺の人々も参加したことによって、この画期的全集は完成をみたのである。私のこの『現代商業美術全集』ベンヤミンならぬ、日本の『パサージュ論』とよびたいように思う。

パサージュ論

なおこの全集は近年ゆまに書房から復刻された。

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