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古本夜話538 高畠素之『マルクス十二講』と新潮社

新潮社版『資本論』は入手していないけれど、高畠素之の『マルクス十二講』は所持しているので、それを参照し、もう少し高畠と新潮社の関係をトレースしてみる。

新潮社の大正四年から始まる「思想文芸講話叢書」については、本連載181「加藤武雄と『近代思想十六講』」などで取り上げているが、高畠の『マルクス十二講』もこのシリーズの13として、大正十五年に初版が刊行されている。手元にあるのは昭和二年十一月の第十四版で、この売れ行きは高畠の大正時代を通じての『資本論』翻訳出版に伴うマルクスへの注視と関心の高まりを伝えていよう。しかしその中心に位置する高畠は翌年の十二月に亡くなり、それは新潮社版『資本論』完結から二年後のことだった。

この『マルクス十二講』の企画も『資本論』の改訳刊行とパラレルに進められたものであったろうし、それは第一講「マルクスの生涯及び事業」から始まり、その「唯物哲学説」などを経て、第十二講「マルクス地代説」に至るもので、五二六ページに及んでいる。またその巻末広告は高畠の関連出版物で占められ、当時の新潮社と高畠の同伴関係を浮かび上がらせている。

それらは安部磯雄による「立派な、良心的な」「信頼に値する翻訳」は「日本では坪内さんのシエークスピア全集と、高畠君の資本論」だけだという推薦の辞を掲げた『資本論』、次に高畠著で第九版とある『社会問題辞典』、同じく高畠編輯の「マルクス思想叢書」が続いている。とりわけ「マルクス思想叢書」は、新潮社と高畠人脈の「マルキズム」コラボレーションを象徴していると考えられる。この「叢書」は完結に至らなかったようだし、また書誌研究懇話会編『全集叢書総覧』(八木書店)にも掲載がないので、その明細を挙げておく。*は既刊を示す。

 1*エンゲルス、 石川準十郎訳述 『マルキシズム根柢』
 2 アドラー、 小栗慶太郎訳述 『マルキシズムの哲学』
 3 ケルゼン、 高畠素之訳述 『マルキシズムの国家論』
 4*カーン、 小栗慶太郎訳 『マルクス資本論の展開』
 5*カウッキー、 松下芳男訳述 『マルキシズムの人口論』
 6 クローチェ、 矢部周訳述 『マルクスの唯物史観』
 7 ケルゼン、 堀真琴訳述 『マルクスの歴史哲学』
 8*カウッキー  安倍浩訳述 『マルキシズムの擁護』
 9*シンコヴィッチ、 神永文三訳述 『マルキシズムの崩壊』
10*パヴェルク、 神永文三訳述 『マルクス価値説の終焉』

ここで挙げられた記述者のほとんどが売文社の関係者にして、高畠の門下と推測できる。田中真人の評伝『高畠素之』(現代評論社)(現代評論社)において、「売文社の同人たちの多くは定職を有していない者がほとんどであった。このため『御大高畠』としては、若い同志たちに糊口の機会を与えることが必要とされた」ので、「新潮社から発売された七五〇ページの大冊、高畠素之編『社会問題辞典』も小栗慶太郎、矢部周、神永文三、宮崎市八らの仕事にかかるもの」だったという記述を見出せる。

それを補足すれば、『マルクス十二講』の「序」には「友人神永文三君の助力を受くること少なくなかつた」とあるので、同書もまた神永に多くをよっているのだろう。またその巻末広告に「思想文芸講話叢書」16として、小栗慶太郎『進化思想十二講』が掲載されているが、これも高畠を通じての企画出版と見なしていい。

したがって、『社会問題辞典』『進化思想十二講』がそうであったように、「マルクス思想叢書」も「御大高畠」が「若い同志たち糊口の機会を与える」ために企画したシリーズだと考えていいだろう。しかし「同叢書」の「若い同志たち」である石川準十郎、小栗慶太郎、松下芳男、堀真琴、安倍浩、神永文三のはっきりしたプロフィルはつかめない。もちろの田中の『高畠素之』には前述したように、彼らの名前が出てくるけれど、ほとんどが肉づけされたキャラクターとして描かれておらず、「門下」として一括扱いされている印象が強い。

また彼らの名前は黒岩比佐子の堺利彦と売文社をテーマとする『パンとペン』(講談社)にも見えないが、それでも『近代日本社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ)には、小栗慶太郎と神永文三が立項されていた。だが二人とも生没年不詳で、右翼の天野辰夫の愛国勤労党に属する国家主義者とされている。ただ小栗のほうは高畠が国家社会主義を唱え、大衆社を立ち上げると、それに参加し、その後は日本国家主義団体の統一運動が行なわれる中での国家社会主義系の活動家とある。一方で神永は高畠との関係についての何の記載もなく、平凡社の下中弥三郎の新日本国民同盟の調査部長となり、国民思想研究所に参加するとあった。
パンとペン 近代日本社会運動史人物大事典

このように小栗にしても神永にしても、大正時代から昭和初期にかけて、高畠の近傍にあったマルキスト的プロフィル、及びそれらに関連する出版活動に携わった事実にはまったくふれられていない。それは「御大高畠」も同様だけれど、どのような回路を経て、国家社会主義者へと転回していったのだろうか。本稿に挙げた高畠「門下」の人々のマルキシズム以後の著作や論考を読むことができれば、それらの一端がつかめるかもしれない。

なおその後、念のためにネット検索をしたところ、ウィキペディアに石川準十郎、松下芳男、堀真琴が立項され、神永文三に関する言及を見出したことを付記しておく。

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