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古本夜話1281 円本としての「囲碁大衆講座」

 やはり前回の典昭堂で、平凡社の「囲碁大衆講座」第九輯を見つけた。これも昭和六年の出版で、前回の『世界裸体美術全集』と併走するように刊行されていたのである。平凡社の

  

 拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』)所収)では実用的な講座物と見なし、円本リストには挙げなかったがけれど、やはり円本時代の出版物で、奥付に「非売品」記載はないが、円本と同様の予約出版だと考えられる。『平凡社六十年史』で確認すると、昭和五年八月に当初は全十二巻、一円五十銭で刊行され始め、翌年十月に完結とある。ただ好評ゆえか、全十五巻と増巻されたようだ。四六倍判の和装本仕立てで、各ページの半分以上が碁譜で占められている。

 古本探究 

 私は碁を解する者ではないので、内容には踏みこまず、その出版事情を見てみたい。著者に当たる講師として、いずれも六段の加藤信、小野田千代太郎先生の名前が表紙に明記されている。だが奥付著者には井上完治の名前も加えられ、三人の連名となっていて、この井上が「囲碁大衆講座」の実質的な企画編集者だと推測される。そのことを示すように、おそらくこれは全巻の冒頭に置かれているのであろう「玄関の幽鍵」という序文は「編者」の井上の生で記されている。

 そこではまず「元禄宝永の高潮から、文政店舗の爛熟を経て。斯界のルネッサンス期にも擬すべき、現代」と謳われている。そのような時代を迎えての「我加藤小野田両国手の本講座に臨まるゝや、まづ新しき葡萄酒を新しき革袋に盛るの信條を以て」、この「講座」が編まれたとされる。

 この「囲碁大衆講座」とほぼ同時代に刊行され始めた、やはり平凡社の『大百科事典』の「囲碁」を参照してみた。すると囲碁の歴史に関して、明治の世に入ってからの有為転変が述べられ、明治末期における日本棋院の創立と棋界革新の大施下の統一がトレースされている。これが井上のいうところの「ルネッサンス期」の内実であろうし、その時点での日本棋院有段者は九段一人、七段六人、六段九人とされ、加藤と小野田はそのうちの二人で、日本棋院の代表的幹部だったことになる。またこの四段五ページに及ぶ「囲碁」の項の執筆は「加藤、井上」とあり、これも「囲碁大衆講座」の二人によるもので、井上を通じての日本棋院と平凡社の関係もうかがわれる。

 そこであらためて『平凡社六十年史』の「同発行書目一覧」を追ってみると、「囲碁大衆講座」に先行して、「昭和五年六月に雁金準一、高部道平「大衆囲碁講座」全二巻、後の七年には本因坊秀哉指南、広月絶軒注「名人囲碁講座」全十二巻が刊行となっている。それらに続いて九年には木谷実、呉清源、安永一『囲碁革命新布石法』『実践新布石』、瀬越憲作『入門囲碁新講』、『囲碁年鑑』、十年には本因坊秀栄原評・本因坊秀哉補表、広月絶軒註『素人碁鑑』上下が出され、類似企画として「将棋大講座」全八巻も発刊されている。

(『囲碁革命新布石法』)(『素人碁鑑』)

 これらの雁金や本因坊といった人名から判断すると、平凡社は「大衆囲碁講座」を発端として、日本棋院との関係が深くなり、井上によって円本の「囲碁大衆講座」が企画編集された。それが好調だったことから、以後も囲碁が続き、おそらくそうした趣味実用書の流れの上に、「将棋大講座」も成立したのであろう。

 そこで想起されるのは『近代出版史探索』168の広津和郎が円本時代の昭和二年に大森書房を興し、『名人八段将棋全集』全八巻を刊行したことだ。広津は芸術社の『武者小路実篤全集』の失敗にもめげず、金儲けのために「赤本」の出版に挑む。当時は実用書のことを「赤本」と呼んでいたのである。ところが金星堂からまさに競合類書の「将棋大衆講座」全十二巻も刊行され、円本時代特有の広告合戦となってしまった。そして広津の大森書房のほうは売れ行き不振と相次ぐ返品によって追い詰められ、紙型は誠文堂に売られ、それは『将棋大全集』として譲受出版されるに至る。『名人八段将棋全集』の校正に携わった保高徳蔵は広津に、出版における「ドン・キホーテ的風貌」を覚えてしまうのだった。

(『名人八段将棋全集』) (『武者小路実篤全集』)(「将棋大衆講座」)(『将棋大全集』)

 平凡社の「囲碁大衆講座」は広津の試みから四年後で、サバイバルしたであろう金星堂のタイトルをそのまま移し、しかも百戦錬磨もいうべき下中弥三郎が手がけたものである。それゆえにかなりの成功を見たことから、平凡社の囲碁シリーズは続いたと思われる。

 しかし広津の例ではないけれど、『全集叢書総覧新訂版』を確認してみると、誠文堂が昭和八年に『明解図式囲碁大辞典』、九年に『現代囲碁大系』全十三巻、十一年に『囲碁大講座』全八巻を刊行している。昭和六年における平凡社の第一次経営破綻との関係は不明だが、誠文堂の企画としても、単なる後発出版と考えられないこともあり、様々な事情も絡んでいるのではないだろうか。誠文堂の小川菊松自身も、『出版興亡五十年』において、平凡社も「七転八起の苦難を嘗めて来ている。この詳細は遠慮して書くことを控える」とまで言っていることからすれば、さらなる裏事情があると見なすべきだろう。
 
全集叢書総覧 (1983年)   

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