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古本夜話1214 椎名其二『野へ』とヱルノス

 『近代出版史探索外伝』の表紙カバー写真に一九〇六年のフランス語版『ゾラ全集』の書影を使っていることを既述しておいた。前回の榎本秋村訳『沐浴』がこの第十八巻所収の『新ニノンへのコント』だと判明したが、やはり同巻の短編集『ナイス・ミクラン』(Nais Micoulin)に Aux Champsの収録を見出し、これが椎名其二訳『野へ』なのかと気づかされた。

近代出版史探索外伝 Nais micoulinNais Micoulin

 そこで未入手だった『野へ』を「日本の古本屋」で検索すると、在庫があったので購入することができた。訳者に関しては「椎名其二と円本」(『古本屋散策』所収)などを書いているし、『野へ』の翻訳も承知していたけれど、「ルーゴン=マッカール叢書」ではないことは確実だったし、古書価も高かったので、入手を見送っていたのである。

野へ (kindle版『野へ』)古本屋散策

 届いた『野へ』は四六判上製一二三ページで、函の有無は不明だが、口絵代わりにアールヌーヴォーのイラストをあしらったフランス語での本扉を置き、そこにはAUX CHAMPS ET AUTRES CONTES PAR EMILE ZOLA とあり、版元はERNOS,TOKIO と記載されていた。椎名による序や解説はなく、巻末に「目次」が見え、「野へ」「死へ」「洪水」「サンプリイス」「種子を播く」の五編が並んでいる。つまりフランス語タイトルに示されているように、この一冊は実質的に『野へとその他の短編集』である。

 タイトルとなる「野へ」は「郊外」「森」「川」の三つのセクションから構成され、私は二〇世紀「郊外」の研究者でもあるので、このゾラの「郊外」に注目せざるをえない。それに拙稿「ロベール・ドアノー『パリ郊外』」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)などを書いていることもあって、ゾラの「野へ」は写真家ドアノーたちの原風景にして、パリの「郊外」の誕生を物語るものだと了解する。ゾラはそれを次のように始めている。

パリ郊外 ドアノー写真集 (4) 郊外の果てへの旅/混住社会論

 巴里人は、いま田野に対して過度の愛好を持つてゐる。巴里が日にゝゝ大きくなるにつれて樹木がなくなり、そして市民は緑色を奪はれ、一隅、一隅の野でいゝから自分たちのものとして所有したいと夢見つゞけながら暮らしてゐる。

 これは言外に、パリが消費社会化するかたわらで、郊外が必要とされてきた事柄を告げているし、実際に日曜日にはパリの住民の四分の一に当たる五十万人が郊外へと繰り出したという。また消費社会の誕生を描いた『ボヌール・デ・ダム百貨店』(『貴女の楽園』)において、ヒロインのドニーズたちが郊外ピクニックに出かけるシーンも描かれている。

ボヌール・デ・ダム百貨店

 だがその一方で、郊外の南部は十九世紀後半のオスマン改造計画から締め出された貧民や犯罪者たちが住み着く「ゾーン」を形成し、そこに住む人々は軽蔑をこめて、「郊外居住者」と呼ばれていたのである。ゾラも「郊外」でふれている。

 私は巴里をめぐる此の最初の地帯ほど汚ない不吉なるところは知らない。すべての大都会は、同じやうな荒廃した一地帯を持つてゐる。(中略)即ちそれは残骸の山であり、運搬車が汚物を空ける残屑の穴であり、半ばぐらゞゝになつた塀、野菜類が下水の中に萌え出る促成菜園、十字鍬で一打すれば崩れてしまひそうな土と板で築かれた建物などだ。巴里は絶えずその周囲に、彼の泡(あぶく)を投げつけてゐるものゝやうに思はれる。そこには大都会のすべての醜悪、すべての罪悪が見出される。(後略)

 それはパリの北部にも見られ、「恐るべき悲惨な場末」で、「人間の塵屑、飢ゑに迫つた賤民」が群れ、「潰れかゝつた荒屋が小屋の小路の両側にずらりと並」び、「ぼろゞゝの着物を着た餓鬼共が、ぬかるみの中にごろゞゝ遊んでゐる」のだ。

 このようなゾラの郊外論を翻訳した椎名は先の拙稿で、在仏四十年に及ぶ特異な日本人思想家として紹介し、蜷川譲による『パリに死す 評伝・椎名其二』(藤原書店)も挙げておいたし、ここではあらためて言及しない。その代わりにヱルノスという出版社を取り上げておきたい。この版元は下谷区清水町の福田藤楠を発行者とするもので、ヱルノスも同書に置かれている。ただ福田にしてもヱルノスにしても、初めて目にするのだが、意外なことに巻末に「ヱルノス・シリーズ続刊書目」が掲載されていたのである。ということは、ゾラの『野へ』はその最初の巻として出版されたことになるので、「同続刊書目」を挙げてみる。1は『野へ』としてリストに入れない。

パリに死す―評伝・椎名其二

2 ワイルド、日夏耿之介訳 『獄中記』
3 ドウデ、石井暢夫訳 『隊商の宿』
4 ローザノフ、片山伸訳 『落葉集』
5 ハウプトマン、舟木重信訳 『幻影』
6 ゴーリキー、片山伸訳 『吾が大学』

 念のために、『明治・大正・昭和翻訳文学目録』で確認したけれど、これらはヱルノス名では一冊も掲載されていなかった。その代わりにアルツィバーシェフの梅田寛訳『女奴隷』が見出されたが、同シリーズとしてなのかは確認できない。『野へ』の奥付によれば、大正十五年一月再版とあり、大正時代のトリとしてのゾラの翻訳だったにしても、再版したことで、シリーズ化が目されたのではないだろうか。しかし続刊は果たせず、幻の「ヱルノス・シリーズ続刊書目」として終わったのであろう。

 もちろん紅野敏郎『大正期の文芸叢書』にも見えていない。


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