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古本夜話1222 黒岩涙香『巌窟王』

 黒岩涙香のことは『近代出版史探索』102、103で、『天人論』や『現今名家碁戦』などの朝報社の出版物に言及しているが、本探索1218の堺利彦『哀史梗概』に関連づけられる涙香の『巌窟王』や『噫無情』の翻訳にはふれてこなかった。

 涙香は明治二十五年に『万朝報』を創刊し、『鉄仮面』『白髪鬼』『幽霊塔』などに続いて、三十四年に『巌窟王』、三十五年に『噫無情』を連載した。それらの人気もあって、『万朝報』は十二万部という、かつてない東京の新聞界の部数に達したとされる。伊藤秀雄は後に評伝『黒岩涙香』(三一書房、昭和六十三年)を著わすことになるが、『黒岩涙香―その小説のすべて』(桃源社、同四十六年)において、「この二篇を『万朝報』に連載された時代が最も華やかな頃で、涙香の人気、評判もこの頃が頂点であったろう」と書いている。この二作は明治三十八年から翌年にかけて、扶桑堂から『巌窟王』が四巻本、『噫無情』が二巻本で刊行され、当時のベストセラーとなった。扶桑堂に関しては先の拙稿で言及している。

f:id:OdaMitsuo:20211018115506j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20211018120050j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20211018120503j:plain(『巌窟王』、扶桑堂版) f:id:OdaMitsuo:20211018143547j:plain(『噫無情』、扶桑堂版)

 『噫無情』は手元にないが、『巌窟王』は『近代出版史探索Ⅵ』1098の春陽堂『明治大正文学全集』8に収録があるので、以前に目を通している。この作品は四六判上下二段組、六一四ページに及び、未見だが、四巻本で刊行されたことが了承される。巻末に涙香の「探偵物語の処女作」という一文が置かれ、当時の新聞小説事情と自らが読物を書くに至った経緯が書かれている。

明治大正文学全集 8 森田思軒「十五少年」・黒岩涙香「巌窟王」 春陽堂

 それによれば、読者に「裁判と云ふものは社会の重大なものぞ」と知らしめるために、「筋書を話して其頃の戯作者即ち小説家に書かせ」た。ところが「当時の戯作者は爾ういふ物語を書く時には、何時も編年体であつて其人物の生立から筆を立てゝ、事実を順序正しく書く」ので、最初から悪人、善人、盗賊が知れて了つて、読者を次へゝゝ引く力が無い」。それで自分が引き受け、「先ず読者を五里霧中に置く流でやりましたが、意外にも大当り」したのである。それが翻訳小説の処女作『法廷の美人』だった。これは『法庭の美人』として明治二十二年に薫志堂、小説館から刊行され、先の伊藤の『黒岩涙香―その小説のすべて』に書影と内容紹介を見ることができる。

 それはともかく、実際に『巌窟王』における涙香の翻訳というよりも翻案を見てみよう。ナポレオンがエルバ島に流されてから十ヵ月ほど経た一八一五年二月二十四日、エルバ島近くを航海した後、マルセーユに巴丸という帆前船が入ってきたと始まり、次のように続いていく。ルビは省略する。

 是は此の地で余ほどの信用ある森江商店の主人森江氏の持船であるので、波止場に居合わす人々が、立つてその近寄る状を見てゐると、すでに港の口に入つてゐるのに何故か岸の傍に来るのが遅い、何か船中に間違ひがあつたに違ひないとの心配が言はず語らす人々の胸に満ちた。
 けれど船其者に故障が出来たとは見受けられぬ、船は無事に、前、中、後、三本の帆柱を上げ、軸には水先案内の傍に年十九か二十歳ばかりの勇ましい一少年が立つて、殆ど船長かと見ゆる程の熟練を以て介々しく水夫等を差図してゐる。それだのに何と無う尋常ならぬ所がある。

 これだけで、ナポレオンのエルバ島への流刑、船との関係、異変の気配、船長の不在と主人公らしき少年の出現、それらを見守るセーヌの港の人々が重なり、『巌窟王』の物語の行方を暗示させようとしている。何ともの見事なデュマのイントロダクションだが、先の涙香の「先ず読者を五里霧中に置く流」も発揮され、しかもそのシーンを三分の一の抄訳で提出している。『近代出版史探索Ⅴ』829において、『モンテ・クリスト伯』の訳者の山内義雄はその「序」で、いきなり「これは息吹である。この書が『巌窟王』の名に於いて初めてわが国に移植されてからすでに二十余年、これを読んで誰か、この大いなる息吹に触れて胸を高鳴らさなかつたものがあつたであらうか」と始めていることを紹介している。それはこのようにして、幕開けとなった涙香の『巌窟王』がいかに多くの読者を得たかを物語っていよう。

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 それにエドモン・ダンテスは団友次郎、船主モレルは森江氏、タンデスの婚約者メルセデスはお露、仇訳のダングラールは段倉と日本名に置き換えられ、そのことによって日本の物語としても受け止められ、そこにナポレオン伝説も内包されたように思われる。

 丸谷才一は『梨のつぶて』(晶文社)において、ジェーン・エアの『嵐が丘』のヒースクリフに象徴されるように、英国の十九世紀の小説の主人公はどこからか帰ってきた男ばかりだと指摘していた。その範となったのはまさに『モンテ・クリスト伯』のエドモン・ダンテスではなかったか。彼は周囲の人々に裏切られ、罠にかけられ、恋人との仲も引き裂かれ、長きにわたって孤島へと幽閉され、かろうじてその脱出後、モンテ・クリスト伯として甦り、復讐を果たしていく。これらの物語ファクターは多くの大衆小説や映画、演劇や漫画へと取りこまれていったはずである。

梨のつぶて―文芸評論集 (1966年)

 私が最初に読んだのはもちろん涙香訳『巌窟王』ではないし、児童向きの世界文学全集の一冊であったと思う。しかしその後、大衆小説や漫画の主人公たちが等しく帰ってきた男たちであることに気づかされた。柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』(新潮文庫)の狂四郎にしても、白土三平『忍者武芸帖』(小学館)、結城重太郎にしても、どこかの孤島から帰還してきていた。それだけでなく、戦後の大衆文学の主人公たちにしても、満州や朝鮮や台湾などの植民地から帰ってきた人々だった。今になって考えれば、私たちはそれらを戦後の『巌窟王』のようにして読んできたのかもしれない。

眠狂四郎無頼控(一) (新潮文庫) 忍者武芸帳影丸伝 1 復刻版 (レアミクス コミックス)


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