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古本夜話1223 森田思軒訳『十五少年』と白石実三  

 前回ふれなかったが、『巌窟王』を収録した春陽堂『明治大正文学全集』8は『森田思軒 黒岩涙香篇』で、思軒のほうはジュール・ヴェルヌの『十五少年』が選ばれている。これはいうまでもなく、思軒訳を発祥として、その邦訳タイトルに使われることになる『十五少年漂流記』の初訳である。

明治大正文学全集 8 森田思軒「十五少年」・黒岩涙香「巌窟王」 春陽堂

 思軒はその「例言」で、「是篇は仏ロジユウールスヴエルヌの著はす所『二個年の学校休暇』を英訳に由りて、重訳したるなり」と断わり、それも「達意を主として」「義訳」したとも述べている。これもイントロダクションを引いてみる。

 一千八百六十年三月九日の夜、彌天の星雲は低く下れて海を圧し、闇々濛々咫尺の外を弁すべからざる中にありて、断帆怒涛を掠めつゝ東方に飛奔し去る一隻の小舟あり。時時閃然として横過する電光のために其の形を照し出ださる。

 この『十五少年』は博文館の『少年世界』に連載され、明治二十九年に単行本化されたが、少年読み物として大好評で、版を重ねるロングセラーとなった。それもあって『明治少年文学集』(『明治文学全集』95、筑摩書房)にも収録され、また全訳は『二年間の休暇』(朝倉剛訳、「福音館古典童話シリーズ」1、昭和四十三年)があることを付記するとともに、この全訳の冒頭も示しておこう。「一八六〇年三月九日の夜、海上は雲が厚くたれこめていて、視界はほとんどきかなかった。/大波がにぶく光りながらくずれている荒れ狂った海上には、帆をほとんどたたんだ一そうの船がただよっていた。」

明治文學全集 95 明治少年文學集  二年間の休暇 (福音館古典童話シリーズ) (『二年間の休暇』)

 私はかつて「ネモ船長と図書室」(『図書館逍遥』所収)というヴェルヌ論も書いているので、もう少し続けたいけれど、それは慎まなければならない。ここで言及したいのはヴェルヌや思軒のことではなく、『森田思軒 黒岩涙香篇』において、『巌窟王』と『十五少年』の各「解説」、及び「涙香著作年譜」と「思軒の人と作品」を担当している白石実三に関してである。実は白石の長編小説『返らぬ過去』(春陽堂、大正七年)を入手してからと思っていたけれど、長きにわたって見出せないので、あえて書いてみる。

図書館逍遥

 伊藤秀雄の評伝『黒岩涙香』によれば、涙香は『万朝報』を立ち上げた際に、思軒が同情して励ましてくれたことに感謝していた。それもあって明治二十九年に思軒が朝報社に入社したので、人身攻撃を売り物にしていた『万朝報』の品位の向上にもつながった。思軒は坪内逍遥によって、明治文壇における独文の森鷗外、露文の二葉亭四迷と並ぶ英文訳者とされていた。思軒も涙香の苦労がわかるから、遅塚麗水、原抱一庵などの友人たちも入社させ、できるだけの協力をした。ところがである。

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 明治三十年十一月黒岩邸に花を引きに行き、腸チフスにかかって寝ついて一週間目で物故してしまった。この時は鷗外や、その弟の三木竹二も懸命に力を尽くしたが、思軒が平生酒ばかり飲んで身体が弱っていて、折角の薬剤もあまりきかなかったからであった。思軒の一人娘下子は当時七歳だった。涙香は遺族の世話をし、のちに下子と作家の白石実三との縁談をまとめたという美談がある。余談だが、思軒の未亡人は豊子といったが、涙香と仲が良く、朝顔の鉢植えを涙香に送ったり、涙香も涙香邸で催される万朝報関係者の園遊会などに豊子を招いたりしていた。また月末になると、その生活費を貰いにきていたと、涙香の養女の大村華子夫人から聞いたことがある。黒岩正民は豊子と涙香は関係があったから、二人の面倒を見たのだといっていた(黒岩五郎氏談)にせよ、涙香の義侠的一面をよく現わしている。

 最後のところは、これも伊藤が述べているように、涙香の義母の鈴木ますとの関係、その娘真砂子との結婚と離婚、その後の涙香の再婚をめぐる噂やエピソードも作用しているように思われる。

 さて思軒の娘下子と結婚する白石のほうだが、早稲田大学在学中から田山花袋に師事し、明治四十四年の結婚於媒酌人は花袋である。その影響を受けた自然主義的な作品を発表し、一方で冨山房や博文館に勤め、後者では大正八年創刊のポケット的青年雑誌『寸鉄』の編集に携わっていた。その白石の『返らぬ過去』には伊藤がいうところの「涙香の義侠的な一面」がよく描かれているようだ。しかし未読なためにふれられず、残念ではある。だが思軒の娘との結婚、それを描いた『返らぬ過去』の春陽堂からの出版を通じて、『明治大正文学全集』8の編纂に関わることになったのは確実であろう。

 また涙香の『噫無情』連載は『万朝報』の明治三十五年十月から始まっている。これも思軒が全編を翻訳することになっていたが、夭折してしまったので、その宿志を引き継ぎ、思軒手沢の英訳本からの訳出だとされている。『噫無情』もまた入手に至っていない。柳田泉の「黒岩涙香著訳小説目録(未定稿)」(『随筆明治文学』1所収、平凡社東洋文庫)によれば、昭和に入って、春秋社が全集を企画したが、版権問題がこじれ、実現しなかったとされる。また昭和五十年代半ばに宝出版による『涙香全集』の試みがなされたが、七冊刊行されただけで終わったと思われる。

随筆 明治文学〈1〉政治篇・文学篇 (東洋文庫) f:id:OdaMitsuo:20211019155401j:plain


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