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古本夜話723 小谷部全一郎『増補改版成吉思汗は源義経也』

 前回の尾崎士郎『成吉思汗』において、尾崎が小谷部全一郎の『成吉思汗は源義経也』の一節を引いていることを既述しておいた。その小谷部全一郎の著書が手元にあるので、これも書いておこう。

成吉思汗(外函)

 その前に書誌的なことを述べておけば、『成吉思汗は源義経也』は大正十三年に冨山房から刊行され、発売して二ヵ月にもならないうちに十版を重ねたという。しかし翌年になって、国史講習会の『中央史壇』が臨時増刊号として、『成吉思汗は源義経にあらず』を編み、批判の矢を放った。その特集は金田一京助、藤村作、三宅雪嶺、鳥居龍三などによるもので、それに対し、「反対論者に答ふ」べきところの小谷部は『成吉思汗は源義経也著述の動機と再論』を刊行し、これも十数版に及んだようだ。この特集目次明細と同書の書影は土井全二郎『義経伝説をつくった男』(光人社)に掲載されている。
f:id:OdaMitsuo:20171028180357j:plain:h120  『義経伝説をつくった男』

 この大正末のベストセラーと見なしていい小谷部の二冊が昭和五年になって、「上下二巻合本新版」の『増補改版成吉思汗は源義経也』として、厚生閣から刊行に至っている。その際にはやはり義経絡みの『静御前の生涯』も新著として出されている。これは本連載108でふれておいたように、小谷部の『日本及日本国民之起原』が厚生閣にいた春山行夫の編集によったことで、全二作も冨山房から版権が移されたと推測される。

 少しばかり前置きが長くなってしまったけれど、私が入手したのはこの厚生閣の第三版である。その表見返しには見開きで、「義経平泉ヨリ蒙古オノン河畔マデノ図」が置かれ、義経が平泉から北海道、樺太を経て、支那へとわたり、蒙古に至る道程が黒い線で示されている。同じく裏見返しには「成吉思汗行軍之図」が見え、蒙古に至った義経が成吉思汗となり、西へと行軍していくラインで、やはり語られている。

 小谷部は肩書に「ドクトルオフフイロソフエー」を付しているように、アメリカの大学で学び、英語に堪能だったことから、大正七年のシベリア出兵に陸軍通訳官として随行した。それは『成吉思汗は源義経也』に述べられているように、満州や蒙古における義経の事績を探り、積年の史疑を氷解させようとしたからだった。そのために公務の余暇を使い、ひたすら成吉思汗の遺跡研究に励み、それはシベリアや前回の大興安嶺と小興安嶺山脈にはさまれたチチハルにまで及んだ。

 その義経と成吉思汗をたどる研究活動は『成吉思汗は源義経也』の口絵写真に明らかで、「西比利亜ニコリス市に在る通称義経碑の台石」や「オノン河畔の仏閣と成吉思汗の遺跡」などは、本連載665における佐伯好郎の景教碑の発見を彷彿とさせる。それから同じくアメリカで神学を学び、シベリア出兵に通訳として同行し、後にユダヤ陰謀論者になっていった同110などの酒井勝軍をも想起させる。実際に『日本及日本国民之起原』もテーマは日ユ同祖論と見なしていいからだ。

 そうして『成吉思汗は源義経也』に秘められたモチーフも、次のようなクロージングに露出しているので、それを引いてみる。

 成吉思汗逝いて茲に七百余年、(中略)盖日本にして倒るれば、瀕死の亜細亜は自ら滅亡し、世界は白人の占有に帰するものと妄想するが故なるべきも、(中略)再び英雄の其間に出づるありて、逆まに非道を膺懲せむること昭然たり。日本は一たび白禍の東侵を奉天対馬に阻止するを得たるも、之を以て禍根は終局せるものと視倣すべきにあらず。由来歴史は繰返へさるゝ事実に徴するも、成吉思汗の時代に於けるが如き東西の軋轢訌争は遂に後避く可らざるなり。嘗ては成吉思汗の源義経を産したる我が神洲は、大汗が鉄蹄を印して第二の家郷となせるアジアの危機に際し、之を対岸の火視して空しく袖手傍観するものならんや。成吉思汗第二世が旭日昇天の勢を以て再び日本の国より出現する盖し大亜洲存亡の時機にあるべき耳。

 これが源義経=成吉思汗伝説にこめられた衝動なのだ。それゆえに『同著述の動機と再論』に、本連載565などの大川周明の賛同や後の満洲の夜の帝王たる甘粕正彦の絶賛の言葉も収録されるに至ったのだろう。

 成吉思汗の前名テムジンは日本語のテンジン、すなわち天神だとか、成吉思汗はゲン・ギ・ス、源義経は音読すれば、ゲン・ギ・ケイ、これは他の国で訛ると、ゲン・ギ・スとなる。「此の理を推して成吉思汗は源義経の名を音読せるものなり」という見解はまったく首肯できないけれど、この時代において、それはひとつのブームのようにして浸透していったのだろう。

 高橋富雄『義経伝説』(中公新書)や森村宗冬『義経伝説と日本人』(平凡社新書)を読むと、江戸時代に起きた義経生存説運動とも称すべきものが、大正時代のナショナリズムと、後の北進論と大東亜共栄圏幻想にリンクし、ひとつの倒錯的物語を造型していったとわかる。そしてそれは戦後の高木彬光の『成吉思汗の秘密』(光文社文庫)まで継承されていったことになる。

『義経伝説』 『義経伝説と日本人』 『成吉思汗の秘密』


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