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古本夜話763 東京堂、本間久雄、『日本文学全史』

 前回ふれた芝書店の内情はともかく、保田与重郎にしても中村光夫にしても、印税はまとに得られなかったけれど、いずれも芝書店から最初の著書を出し、ともに第一回池谷信三郎賞を受賞したことによって、それなりのデビューを飾ったといっていいだろう。

 さらに保田の場合、前回その名前を挙げておいた、芝書店のアンドレ・ジイド『文芸評論』の訳者の一人である辻野久憲の導きによって、『日本の橋』の上梓に至ったと推測される。辻野は東京帝大文学部仏文科在学中に、昭和五年に武蔵野書院から創刊された『詩・現実』の同人となり、伊藤整、永松定と共訳でジョイスの『ユリシイズ』第一部を連載し、その後第一書房の『セルパン』編集長を務めたが、昭和十二年に二十八歳で若死している。

ちなみにこの編集同人は北川冬彦、飯島正、淀野隆三たちで、同誌のジイドの訳者であり、それが芝書店の『文芸評論』として刊行され、同様に中島健蔵、佐藤正彰共訳『ボオドレエル芸術論集』も同誌掲載だった。それも芝書店から出されたことからすれば、『詩・現実』と芝書店の関係は密接で、芝隆一はその近傍にあったのかもしれない。またシエストフの訳者の河上徹太郎や阿部六郎は、小林秀雄とともに『山繭』の同人であり、ジイドの訳者の飯島正や秋田滋が芝書店の『小説(ロマン)』の編集者だったので、前回挙げた『文学界』に加え、これらの三誌の延長線上に、芝書店の出版物は生み出されたと思われる。

 そうした中で、『詩・現実』同人だった辻野が保田を芝書店へとつなげたことによって、保田の『日本の橋』の処女出版は実現したのではないだろうか。それは保田の三冊目の『戴冠詩人の御一人者』も同様で、その「緒言」における保田の次のような言に見えている。

 本書の上梓については総べて、本間久雄氏、増山新一氏の好意の結果になる。深く感謝する次第である。故人辻野久憲は生前この書のなることを常に鞭撻してくれた。既にその日より一年を経て、漸く一書となる形を与へられた。私は故人の霊にこの一部を献じたく思ひ、いつか感傷の言を弄するのである。

 保田と辻野の関係は詳らかにされていないと思われるけれども、このような既述からその親密さがうかがわれるであろう。

 それから他の本間久雄と増山新一だが、増山は昭和初年に、『東京堂月報』などの雑誌の他に単行本も刊行するようになった東京堂出版部の責任者である。その増山の手になる『東京堂の八十五年』によれば、昭和八年から西村真次『日本古代経済(交換編)』全五冊などの「大物出版」を始め、十年には「東京堂が出版を復興して以来、最も本格的な予約全集」として、『日本文学全史』全十二巻を発表した。
東京堂の八十五年  

 この企画は前年の春から着手したもので、日本文学史のたよるべき大著に欠けているところから、上代から明治まで、時代別の文学史を刊行して、研究者ばかりでなく、一般読書人の渇望をいやそうという意図であった。それには、一時代を一人の著者が執筆すること、文献的研究に止るところなく、各作品の内容梗概を述べて、原典を味わせること、図版挿図を豊富に入れて理解を助けること等の特色を出して魅力ある文学史を作ろうという編集方針を決めた。

 それに沿って、上代文学史は佐佐木信綱、平安期文学史は五十嵐力、鎌倉、室町文学史は吉沢義則、江戸文学史は高野辰之、明治文学史は本間久雄という「五博士」「各時代の最高権威者」に依頼し、難航したけれど、「この全史に対する本間博士の熱意は並々ならぬもの」があり、昭和十年五月に第一回配本の、高野の『江戸文学史』上巻を発行した。その初版四千部はすぐになくなり、重版が続き、十六年には全十二巻が完結となった。
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 『東京堂の八十五年』には、『日本文学全史』の編集会議における「五博士」の写真、またその書影の下に次の一文が置かれている。「この『日本文学全史』は、国文学の画期的な名著として、久しく版を重ねたが、同時に、出版界における東京堂出版部の地位を高めることが出来た」と。

 その本間の『明治文学史』上巻だけが手元にあるが、確かに図版も豊富で、装幀も優れ、索引も付され、奥付を見ると、昭和十年七月発行、十二年一月再版となっているので、『東京堂の八十五年』の記述を裏づけている。また『日本近代文学大事典』は、その後全五巻に及んだ『明治文学史』について、「最初の日本近代文学史」と位置づけている。さらに本間はそれに先駆け、昭和九年にやはり東京堂から『英国近世唯美主義の研究』という大著を刊行し、これは未見だが、日本芸術が英国唯美主義に与えた影響を指摘した前人未踏の研究だとされる。
f:id:OdaMitsuo:20180214200214j:plain:h120(『英国近世唯美主義の研究』)

 このような東京堂出版部における本間の立場、及び『日本文学全史』刊行に当っての尽力と功績を背景にして、彼は日本の美学、もしくは唯美主義を保田に見出し、それゆえに増山に『戴冠詩人の御一人者』の刊行を推奨し、上梓の運びとなったように思われる。

 保田が『戴冠詩人の御一人者』の「緒言」において、本間と増山に謝意を述べる前に、「我らの歴史と民族との英雄と詩人に描かれた、日本の美の理想は、今こそ我らの少年少女の心にうつされなければならない」と記しているのは、そのことを言外に伝えているのではないだろうか。


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