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古本夜話30 柳沼沢介と武俠社

北島春石や伊藤晴雨の親しい交流人脈には出版者も加わっていて、結城禮一郎や柳沼沢介の名前も出てくる。結城についてはすでに「結城禮一郎の『旧幕新撰組結城無二三』」(『古本探究3』 所収)でふれ、武俠社の柳沼に関しても、かつて「古本屋散策」(『日本古書通信』連載)で取り上げたことがあるし、ブログ[新刊メモ]の「国木田独歩の遺志継いだ東京社創業・編集者 鷹見久太郎」でもその名前を挙げている。だが結城はともかく、柳沼は晴雨との交流や武俠社の企画も含めて、梅原たちの艶本人脈の近傍にいたと考えられるので、もう一度言及してみる。
古本探究3

私が柳沼のことを「古本屋散策」に書いたのは、犯罪科学研究同好会を発行所とする二冊の本に関連してだった。それらはいずれも昭和五年に刊行されたB5判箱入り上製本で、柳沼編『DIE BILDER ÜBER DIE STRAFE UND UBNORMER=GESCHLECHTS=TRIEB (刑罰及変態性欲写真集)』 (『世界の刑罰・性犯・変態の研究』として昭和五十二年復刻、若宮出版社)、伊藤隆文編『BILD DES VERBRECHENS IN FLAGRANTI (犯罪現場写真集)』であった。この二冊の発行所の住所は芝区佐久間町「武俠社」内との奥付記載から、武俠社の出版物と見なしていいだろう。ここではまず前者についてふれてみる。

私が持っているのも若宮出版社の復刻版だが、この『世界の刑罰・性犯・変態の研究』は復刻当時、どこの古本屋にもあったように記憶しているが、現在ではあまり見かけなくなっている。これは三百枚近くに及ぶヨーロッパや日本の刑罰、性的犯罪、変態、責め研究などの絵画と図版と写真から構成され、刑罰などは前南欧公使大島富士太郎が赴任中に入手した三冊の珍書その他からなると「凡例」での説明がある。そして「責め絵研究篇」に関しては伊藤晴雨の絵や彼が縛った女の写真を十枚ほど掲載し、その中には晴雨が写った一枚もある。またそこに寄せられた「責めの研究」の一文は晴雨によるもので、これらのことと同書のコンセプトを考えると、晴雨自身が企画に加わり、編集の中心メンバーだったのではないかという推測も成立するように思われる。

それならば、発行者の柳沼沢介とはどのような人物なのか。彼は明治二十一年福島県に生まれ、十六歳で上京して興文社に入社する。そして同四十五年に押川春浪や小杉放庵などと『武俠世界』を創刊し、後に独立して武俠社を設立した。ナショナリズムとつながる少年文学を樹立した『武俠世界』は武俠社に移ってから大正十二年頃まで刊行されたようだが、その年までしか確認されておらず、はっきりした休刊時とその休刊前後の事情はよくわからない。しかし昭和初期の「エロ・グロ・ナンセンス」と円本時代を迎えて、雑誌『犯罪科学』、円本の『近代犯罪科学全集』全十六巻、『性科学全集』全十二巻、及び前述の二冊を刊行することになる。

『近代犯罪科学全集』は一冊、『性科学全集』は二冊しか手元にないが、前者は第十四巻の尾佐竹猛解題『刑罰珍書集(2)』で、その「月報」に『犯罪現場写真集』の予告がでていて、当時の反響がしのばれる。

 本書は如何なる探偵小説、犯罪実話も及ばないほどの興味があるもので、各写真には一々詳細なる説明を付した。(中略)利にさとい古本屋が発刊後の市価の昂膽を見込んで多数の註文を申込んで来るには何時も乍ら閉口している有様である。

この写真集は大半がドイツ語の法医学の書物からの流用だと推定でき、付け足しのように日本人の現場写真が十枚余掲載され、無残な写真のオンパレードで、まさに「グロ」そのものだといっていいだろう。会員頒布制の通信販売によっていると思われる同書は、実際に発行の翌月に発売禁止になったようで、それ以後の流通と販売は古本屋が担ったのではないだろうか。

先の「月報」で、第十五巻の『演劇と犯罪』の著者である飯塚友一郎は昔の柳沼沢介と武俠社について、ヒロイズムが看板であったのに、「今日はエロとグロの本元となつている]と述べ、また「エロチックとグロテスク、これが今日のジャーナリストの合言葉である」とも書いている。とすれば、柳沼と武俠社こそはその時代を体現していた出版社だということになる。『近代犯罪科学全集』と『性科学全集』の明細と著者については省略したが、どちらかといえば、双方ともアカデミズムや医学関係者が多く、梅原北明の出版人脈とまったく重なっているわけではない。梅原一派に対抗する柳沼によって、多くが招聘された著者たちなのかもしれない。

たまたま最近出たばかりのダニエル・V・ボツマンの江戸から明治にかけての刑罰研究書『血塗られた慈悲、笞打つ帝国。』 (発行インターシフト、発売合同出版)を読んでいたら、さすがに『世界の刑罰・性犯・変態の研究』は出てこないが、資料として原胤昭・尾佐竹猛『江戸時代犯罪・刑罰事例集』 (柏書房)が挙げられていた。これは再版で、初版は昭和五年とあることから、先述の『刑罰珍書集』二冊の合本復刻であろう。ほぼ八十年後にアメリカ人研究者によって見出され、基本資料ともなったことで、「エロとグロの本元」の企画は時を経て報いられたと考えるべきかもしれない。
血塗られた慈悲、笞打つ帝国。

さて武俠社は円本時代の終焉とともに消滅したようだが、既述しておいたように、柳沼沢介は小杉放庵との関係もあり、国木田独歩が創刊した『婦人画報』を発行する東京社の経営再建を昭和六年に引き受け、見事に立て直し、同八年には『スタイルブック』を創刊し、所謂ファッション誌にも進出することになった。この東京社こそは婦人画報社の前身で、柳沼は昭和三十年代までその経営者であった。ここにもナショナリズム、エロとグロ、婦人とファッション誌へと至る興味深い軌跡をたどった一人の出版者がいる。

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