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古本夜話1381 国画創作協会同人、大阪時事新報社編『欧州芸術巡礼紀行』

 本探索1365の島崎藤村の「水彩画集」ではないけれど、そのモデルの丸山晩霞のみならず、水彩画の先駆者である大下藤次郎や三宅克己も、明治三十年代に欧米旅行に出かけている。

 それは大正時代を迎えると、第一次世界大戦後の円高の影響も受けてか、画家たちの集団旅行も可能になり、その証左のように国画創作協会同人による『欧州芸術巡礼紀行』が出版されている。同書は大阪時事新報社編として、大正十二年大阪市南区長堀橋南詰東の十字館から刊行され、発売所は『近代出版史探索Ⅴ』930などの宝文館である。これも浜松の時代舎で見出した一冊だが、初めて目にする十字館は大阪時事新報社との関係から版元を引き受けたと推測されるし、発売所の宝文館も同様だと思われる。

 その「序」は大阪時事新報社編輯局雄上杉弥一郎名でしたためられ、「天才画家隊の一行が足かけ三年に亙る其芸術巡礼に於て」、「支那に始まつて海峡植民地、錫蘭島、エジプトを経て普く欧州各国」の「世界の芸術を隅々まで漁つて歩いた」嚆矢の紀行とされている。装幀者の記載はないけれど、機械函入にもかかわらず、本体はフランス装であり、表紙絵に土田麦僊のスケッチが使われていることからすれば、国画創作協会同人が担ったのであろう。

 さてその同人名を挙げてみよう。それらは土田麦僊に加えて、野長瀬晩花、小野竹喬、黒田重太郎の四人である。この中で画集を見ているのは土田だけで、他の画家たちは目にしていない。ただその「紀行文」を書いているのは黒田に他ならず、彼は『日本近代文学大事典』に見出されるので引いてみる。

 黒田重太郎 くろだじゆうたろう 明治二〇・九・二〇~昭和四五・六・二四(1887~1970)画家。滋賀県大津市に生れ、京都に没す。明治三七年、鹿子木孟郎に洋画を学び、翌年、浅井忠の門に入る。大正五~七、一〇~一二年、フランスで研究、一二年、二科会会員になり、翌年、小出楢重らと大阪に信濃橋洋画研究所を開き、関西の洋画家を育てた。四四年、日本芸術院恩賜賞を受賞。文章をよくし、『画房襍筆』(昭和一七 湯川弘文社)はじめ十余種の著書がある。
 

 この立項によって黒田が「巡礼紀行」に重なるかたちで、大正十年から十二年にかけてフランスに滞在していたことがわかるし、それとともに「文章をよくし」たために、「紀行文」をまかされた事情も了解できるのである。なお小出のことは以前に「宇野浩二、小出楢重、森谷均」(『古本屋散策』所収)を書いている。それはともかく、黒田の筆致は画家らしく観察が細かく、上海から巴里、さらにローマからマドリッドまで、興味の尽きることのない風景も含めた「巡礼紀行」であったことを伝えている。それでもやはり印象的なシーンはフランスにおいてで、パリに入る前にアヴィニヨンで一泊する。その翌朝四人でロシエ・デ・ドムの丘に登ると、南仏のアヴィニヨンの絵画的風景が一望のもとに眺められていく。

古本屋散策

 丘の根元を繞つてロオヌの急流が迂回しながら流れる、河の中程に断えた聖ベネゼ橋が横はり、中島の木立を越して橄攬の野が拡がり、ヰルヌウヴの城址や廃塔が赤い甍の村落を裾に控へて屹立ち、雪かともみられる白い崖の断続した遠山影が地平を割つて連つてゐる。南仏蘭西の秋は酣であつた。所々に点綴された黄な白楊の葉が、黝緑のシプレスと照り映えながら淡い日ざしを浴びてゐた。なる程いゝ所だなと先づ土田君が感嘆の声をあげた。小野君や野長瀬君も其れに同じだ。

 「巡礼紀行」の中でも、四人が揃ってその風景に「感嘆」するのはこのアヴィニョンに他ならないので引いてみた。ただ残念なのはこれも揃ってスケッチを残していないことで、その風景にひたることが優先されたとも考えられる。

 この他にもパリで、黒田が「ドミエーの旧家」のスケッチを示しながら、裏町にあるドーミエの少年時代の家を訪ねていくところ、あるいはルドンの展覧会で売れ残った水彩画や素描、ルドンの蒐集家の重要な作品を見た感慨は印象深い。その石版画には「見えざる世界と云ふものは、果たしてあり得ないものだらうか……」という言葉が記されていたのである。

 『近代出版史探索』196などのゾラ『壊滅』が描いた普仏戦争から帰還したルドンは、最初の石版画集『夢の中で』に続いて、多くの作品を発表していく。だが大正十一年=一九二二年時点の展覧会では数十点が売れ残っていたとの黒田の証言からすれば、ルドンの評価はまだそれほどでもなかったと思われる。

壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書)  

 そのルドンの石版画ではないけれど、『欧州芸術巡礼紀行』には各地における四人のコロタイプ写真版による一ページの「スケッチ挿画」が百点収録され、表紙絵が土田の「マドリッドの広場」だとわかるし、ルドンのことも想起させてくれる。しかしあらためて奥付の大正十二年十月の発売年月を見ると、関東大震災の翌月の出版であり、大阪でしか印刷も出版もできなかったことを示唆していよう。


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