出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1384 笹沢左保『見かえり峠の落日』と木枯し紋次郎

 前回の峠に関してはただちに本探索1306の中里介山『大菩薩峠』が思い浮かぶけれど、ここでは戦後の時代劇と時代小説にまつわる話を書いておこう。もはや半世紀前のことになってしまうのだが。

大菩薩峠 都新聞版〈第1巻〉

 ひとつは村上元三原作、市川雷蔵主演、池広一夫監督『ひとり狼』(大映、昭和四十三年)で、この映画は人斬り伊三と呼ばれる渡世人を主人公とし、雪の降る信州の塩尻峠から始まり、雷蔵の格調高い演技とその佇まいは忘れ難い。『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』から「裏窓」へ』(「出版人に聞く」12)において、六千人以上の女性を縛ってきた飯田豊一はその緊縛テクニックをどこで覚えたかと問われると、いつも「母親の胎内から生まれ出た時に、手に縄の束を握っていたからだ」と答えていたという。そこで私がそれは『ひとり狼』で雷蔵が博打の才を問われ、「俺は手に骰子を握って生まれたからだ」のセリフのもじりですねというと、飯田から「よくわかったね」との言が戻ってきたのである。

ひとり狼 [DVD]   『奇譚クラブ』から『裏窓』へ (出版人に聞く)

 昭和三十年代から四十年代にかけて、桂千穂、掛札昌裕『本当に面白い時代劇1945→2015』(メディアックス、平成二十七年)にも明らかなように、映画は時代劇の流行を見ていたし、小説や漫画に加え、雑誌編集にも大きな影響を与えていた。そのために年齢は異なるにしても、私たちはそうした時代劇という共同体の住人であり、このような会話を交わすことができたことはその証明となろう。それとともに映画館の暗闇とスクリーンをも共有し、ひとつの想像の共同体が成立し、その影響は『奇譚クラブ』や『裏窓』といったマイナーな雑誌にまで及んでいたのである。

エンタムービー 本当に面白い時代劇 1945→2015 (メディアックスMOOK)

 もうひとつは笹沢左保の『見かえり峠の落日』で、私の手元にあるのは昭和四十八年の角川文庫版だが、その元版は講談社から出され、それを図書館で借りて読んだように記憶している。同書は「峠」の入ったタイトルを五編収録した短編集で、それらは『小説現代』に連載されたシリーズである。現在から考えると信じられないような気もするが、純文学と異なる意味での中間小説・大衆文芸誌『小説新潮』『オール読物』『小説現代』の三誌は毎月合わせて百万部を超える売れ行きを誇り、そこに発表された作品が直木賞候補作の多くを占めていた。『小説現代』の編集長だった大村彦次郎は『文壇うたかた物語』(筑摩書房、平成七年)で記している。

見かえり峠の落日 (講談社版)(角川文庫版) 文壇うたかた物語 (ちくま文庫)

 笹沢左保さんがこの一連のシリーズのなかで、「見かえり峠の落日」を書いたのは、昭和四十五年の四月号であった。まだここでは木枯し紋次郎は登場していない。だが、スピーディな文体、ニヒルな主人公、ドンデン返しのある推理仕立てに、読者からの反響はすばやかった。全国から電話やら葉書が舞い込んだ。(中略)
 「見かえり峠の落日」のあと、笹沢さんは「中山峠に地獄を見た」「地蔵峠の雨に消える」「鬼首峠に棄てた鈴」などタイトルに峠を付けた数篇の作品を書いて、紋次郎誕生のウォーミング・アップをしていた。
 「赦免花は散った」という作品が発表されたのは、よく四十六年の三月号である。三宅島から島抜けする流人たちのなかに、上州新田分三日月村の生れ、その年三十歳になる長身の無宿渡世人、木枯し紋次郎がはじめて登場する。木枯しという俗称は、細い竹の楊枝をくわえて吹き鳴らす音からきていた。

 『見かえり峠の落日』所収のもう一篇は「暮坂峠への失踪」で、これらの「峠」の付された作品がスプリングボードとなって、「赦免花は散った」に始まる木枯し紋次郎シリーズへと結実していたったことがよくわかる。これらの作品の主人公の名前を紋次郎と変えるるだけで、そのまま紋次郎連作ともなるし、まさにキャラクターとストーリーは重なっているからだ。

 昭和四十七年から中村敦夫主演、市川崑監督による『木枯し紋次郎』のテレビ化放映が始まり、そのオープニングシーンには必ず山と相まって峠のシーンも映され、それに上條恒彦の「どこかでだれかがきっと待っていてくれる」という歌詞で始まる主題歌が流れていた。その歌は前回の柳田国男が語っていた峠の物語を暗示させるし、笹沢も資料として、青木書店有紀書房の『峠』を参照していたにちがいない。私もファンだったことを思い出すし、「赦免花は散った」の菅原文太主演、中島貞夫監督『木枯し紋次郎』(東映、昭和四十七年)も観ている。そのような孤独な渡世人木枯し紋次郎がヒーローだった時代もあったのだ。

(青木書店) (有紀書房)

 ところがである。『小説新潮』の元編集者の校條剛は笹沢左保と川上宗薫を論じた『ザ・流行作家』(講談社、平成二十五年)で、「『木枯し紋次郎』の誕生」という章を設けている。彼はそこで「紋次郎作品」を分析した後、『見かえり峠の落日』の初版が七千部、最初の紋次郎本の『赦免花は散った』が六千部だったことを示し、木枯し紋次郎は小説、テレビ、映画とブームを引き起こし、社会的事件となっていたにもかかわらず、その後の紋次郎本も一万部を超えることがなかったと述べている。

ザ・流行作家   木枯し紋次郎 (一) 赦免花は散った (光文社文庫)   木枯し紋次郎 [DVD]

 その理由のひとつとして、校條は紋次郎の物語がテレビ人気に支えられた負のヒーローで、池波正太郎の「剣客商売」シリーズに比べて、「家族も友人もなく、喉に流し込んだだけの粗末な食事をし、寝るのもほとんど野宿、目的もなく歩き続けるだけの紋次郎」は「インテリ好みであるが大衆の人気を長く保つことは難しい」ことを挙げている。

 確かにそうなのだ。池波の時代劇は家族、飲食、愛人や友人関係といった日常生活を必ず背景として描き出し、江戸の風物、行事なども取りこまれている。それに対して、紋次郎の物語は殺風景だというしかないのである。現在でも池波が読まれ続けているにもかかわらず、笹沢の木枯し紋次郎が絶版のままなのはそのことによっていよう。だがそのような孤独なヒーローを生み出した笹沢も、近代出版史と文学史の落とし子のような存在であることを忘れるべきではないし、いずれそれも書くことになろう。


odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら