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古本夜話1390 小尾俊人と高杉一郎

 またしても飛んでしまったが、みすず書房創業者の小尾俊人は『昨日と明日の間』(幻戯書房、平成二十一年)所収の「高杉一郎先生と私」で、次のように書いている。

昨日と明日の間―編集者のノートから

 私が高杉先生のお仕事のお手伝いをいたしましたのは、昭和二十九(一九五四)年からのことです。『エロシェンコ全集』(一九五九)やスメドレー『中国の歌ごえ』(一九五七)の訳などです。しかし、仕事(編集者)の人間として、軍隊生活(第二次大戦)への従軍兵として、また片山敏彦先生の「片山教室」の生徒として、二人は共通の世界がありました。
 しかし、先生は当時四十五歳、私はまだ三十三歳、経験で及ぶべくもない大先輩でありまして、いくたの接点で示された「人間、高杉一郎の生きている思想」の美しさへの嘆賞あるのみです。

 これは平成二十年の高杉の百歳を目前にしての死への「高杉一郎追悼」の再録のようだが、ここにくっきりとみすず書房、高杉、小尾の三位一体の関係が刻まれている。それに加えて、本探索1385でふれた太田哲男『若き高杉一郎』にしても、やはり小尾が同書の「藤田省三さんの思い出」でふれている、その他ならぬ藤田の勧めによって成立したのである。

若き高杉一郎: 改造社の時代

 管見の限り、ここで小尾は高杉の側から語られていない、自らを含めた高杉とみすず書房の関係について語っているわけだが、そこには編集者ならではの韜晦のニュアンスを感じてしまう。小尾の高杉に対する思想の「美しさへの嘆賞」を肯うにやぶさかではないけれど、二人の間には編集者と従軍兵、「片山教室」の生徒としての共通点はあったにしても、どこかですれちがってしまうような瞬間が生じたのではないだろうか。

 どちらかといえば、私は高杉の代表作ではない『ザメンボフの家族たち』(田畑書店、昭和五十六年)に触発されるところが多く、本探索で続けて書いていくつもりでいる。そのタイトルと副題の「あるエスペランティストの精神史」は象徴的で、彼の戦中戦後史を物語っているように思える。これは高杉がシベリア復員後、新聞雑誌の求めに応じて書いた短い文章の集積から、その半分ほどを選んだものである。その「あとがき」で、彼は書いている。「戦争の時代を通り抜けてきた私たちの世代は、つねにどう生きるかという問題から頭が離れないので、私の書く文章はどれも地味にくすんでいることを、私は自分でもよく承知している」と。

 小尾は高杉の思想の「美しさへの嘆賞」を語っているが、高杉のほうは「どれも地味にくすんでいる」と自覚しているのだ。それは「片山教室」の戦前と戦後の生徒の相違にも表われ、小尾は『ザメンホフの家族たち』所収の「片山敏彦の書斎」を長く引用しているけれど、高杉の「くすんでいる」部分には及んでいない。

 それは戦後のエピソードで、彼は静岡大学教師として、学内の「ロマン・ロラン友の会」の講演にきた片山と再会し、片山たちの雑誌『花冠』にも原稿を書いたりした。そして続けている。「しかしどういうわけか、あの戦争中のような熱っぽいゆききはもう二度と私たちのあいだにはよみがえらなかった」。片山の死は昭和三十六年で、これは昭和四十七年の『片山敏彦著作集』の「月報」に寄せられたもので、ツヴァイクの『権力とたたかう良心』(『ツヴァイク全集』17)の翻訳も同年であった。

  

 それからこれは『征きて還りし兵の記憶』(岩波書店、平成八年)の「スターリン・言語集』論文」の章に見えるエピソードである。高杉は宮本顕治と義妹の再婚の自宅での披露宴に招待される。彼女は高杉夫人の妹だったことになる。それは宮本百合子の死後五年経った昭和三十一年のことで、中野重治、窪川鶴次郎、壺井繁治、蔵原惟人といった日本共産党の幹部たちが呼ばれていた。披露宴にもかかわらず、義妹は台所と間を忙しく往復して働いていた。そこで高杉は思うのだった。

征きて還りし兵の記憶 (岩波現代文庫)

 私は、ここに集まっているのは『新日本文学』の指導者たちのはずだが、フェミニズムのひとかけらもないのだろうかとふしぎに思った。これからこの家の主婦になろうとしている女性をなぜ会話のなかにひきいれようとしないのか。(中略)いま、ここに集まっているのは、古い日本の風俗のなかで育てられた亭主関白ばかりなのか。
 私は起ちあがっていって、その晩のホストである宮本顕治のすぐ横にひとつの座蒲団をおき、義妹には「あんたはここに坐っていなさい」と言って坐らせると、みずからの形をあらためて言った。
 「結婚記念の歌をうたいます。男が新妻に終生の愛を誓う歌です」

 それはドイツ語の歌で、高杉が歌い終えると、中野重治が「おい、日本語で説明しろよ」というので、「あんたは独文出身じゃないか」と応じたのだった。

 高杉のどれも「地味にくすんでいる」文章に対する自覚、及びこのようなエピソードに表出しているのは、『極光のかげに』におけるシベリア抑留、そこでの『スターリン体験』に起因するものに他ならないであろう。

  スターリン体験 (同時代ライブラリー)


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