出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

43 その後の紀ノ上一族

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1
17 伏字の復元 2
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』
19 モーパッサン『ベラミ』
20 ゾラ『ナナ』
21 人種戦としての大衆小説
22 東北学院と島貫兵太夫
23 日本力行会とは何か
24 日本力行会員の渡米
25 アメリカと佐藤吉郎
26 ナショナリズム、及び売捌としての日本力行会
27 『黒流』のアメリカ流通
28 浜松の印刷所と長谷川保
29 聖隷福祉事業団と日本力行会
30 日本における日系ブラジル人
31 人種と共生の問題
32 黄禍論とアメリカ排日運動
33 日本人移民の暗部
34 『黒流』のコアと映画『カルロス』
35 石川達三『蒼氓』
36 航海と船の中の日々
37 ブラジル上陸
38 久生十蘭『紀ノ上一族』
39 排日と紀ノ上一族
40 メキシコ人と紀ノ上一族
41 パナマにおける紀ノ上一族
42 紀ノ上一族の少年たち


43 その後の紀ノ上一族

紀ノ上一族(沖積社版)

第三部「カリブ海」は五人の子供と妻と生き別れになってしまった松右衛門たち紀ノ上一族のその後がテーマである。一族はブラジルで生まれた五人の子供を連れ、カリブ海にあるデンマーク領の無住のマリング小島を買い、紀ノ島と名づけ、米作りにとりかかったが、三年続きの大旋風、貝殻虫の発生などもあり、困難な中でようやく成功への道をたどりつつあった。これらのカリブ海の島々が現在に至って、それこそタックスヘイブン諸島になることを誰が予想したであろうか。
とりわけ紀ノ島のあるヴァージン諸島は世界有数の金融センターになっている。語り手の「私」は松右衛門の甥の吉次郎で、マイアミに住んでいたが、紀ノ上一族から「生前ノ交誼ヲ謝ス」という電報を受け取り、その謎めいた電文が気になり、紀ノ島に赴くべく、週に一回しか出ない船に乗った。同じ船に海外移住の先達にして農学博士である新井槐南もいた。デンマーク領だった島を世話したのは新井で、彼も同じ電報を受け取り、島を訪ねるところだった。
その時水平線の向こうに、半マイルの高さにも及ぶ、水蒸気とも煙ともつかぬ巨大な雲の柱のようなものが湧きあがった。その根元に濃い朱色の焔が揺らめき、海面を真っ赤に染めた。それから次々に爆発が起こり、椰子の枝や岩塊を噴き上げ、灼熱した岩片が飛び交っているのが見えた。その小さな島こそが紀ノ島だった。しかし島に近づくと、それらのすさまじい光景は消えてしまい、匂うばかりの穏やかな夏の海に戻っていた。
しかし二人が海岸沿いに目撃したのはすさまじい破壊の後の光景で、渚の椰子の木は吹き飛ばされ、その実が転がり、無数の亀が白い腹を出して浮かび、それらは無慈悲なまでの明るい陽の光に照らされていた。火山の爆発でも大旋風でもなかった。まさしく砲撃の跡だった。紀ノ上一族はどうなったのか。一体誰が砲撃しているのか。どうもアメリカ領のサンタ・クルズ島からのようだった。アメリカはこの島とセント・トーマス島と紀ノ島の三島をパナマ運河の外側防衛地とする意図を秘めていた。二人の目に映った島の荒涼たるイメージが書きこまれている。

 思いなしか、谷も丘もうち沈んだ死蔭の相を帯び、もの悲しい濛気のようなものが陰々と島の上に立迷っているように思われ、なにか悪寒に似たものが惻々と膚に迫ってくる。

そこへ旧式な単発銃を持った十三、四歳の少年が出てきた。それは松右衛門の次男の芳松だった。現在この島にいるのは四人の子供だけだという。もう一人の子供は「野放図(のほぞ)な弾丸」で吹っ飛ばされた。父と源十は「黒人(くろんぼ)の労働者(てつだいひと)」を死なせるわけにいかないので、イギリス島へ送りにいき、不在であった。芳松の話によれば、毎朝八時に「メリケンのやつ」が「空からドサドサと爆弾を落して」来る。

 槐南も言う。

 「迂闊だったね……今年の春、ダグラスというえらい爆撃機(ボムベヤー)が出来たことをすっかり忘れていたよ……なるほど、うまいことを考えたもんだ。この島は高空爆撃の演習にはまさに持って来いだからね。人間も、施設も、国旗も、ちゃんと揃っているんだからな」

あたかも数年後に迫っている本土大空襲を予告しているかのようだ。
さらにこの紀ノ島にはふたつの墓石まであり、一方には「大日本帝国りやうど 大正九年七月九日之をたつ」、他方には「大日本 和歌山けん 那賀ぐん 紀ノ上むら 澁上松ゑもんいか 五めい この島にて死す」とあり、その裏には五名の名前と死亡日が刻まれ、その日付からすると、源十は明日、松右衛門は明後日に死ぬことになっていた。
それでも子供たちに迎えられ、間もなく松右衛門と源十は戻ってきた。ふたりは思いがけなく槐南と吉次郎を前にして、涙を流し、「この島で死なせてくれ」と頭を下げた。そこまでこの島に執着しなくてもと言う槐南に松右衛門は説明する。この十五年間外国の土地で働き、その間に自分の土地を持ったが、日本の領土だとただの一度も思ったことがない。ところがこれが同じだとするとどうなるのか。松右衛門は続けて言う。

 「自分の土地なら、没義道(もぎどう)に凹まされて立退くもよかろうが、それが天子さまからお預かりした土地だということになったら、たとえ首を千切られようとオメオメ明渡すなどということは出来んはずや……加州でもオレゴンでも、日本人ともあろうもんがあんな非道な目に逢いながら、生命(いのち)を賭けておのが権利を守ったということをただの一度も聞いちゃおりません……自分の土地は日本の領土、という考えに立って生命(いのち)を捨ててかかったら、一廉(いつかど)に守るべきものを守り終わせたろうと思いますがいし」

源十も「日本人というものが、この島でどういう死に方をしたか、メリケンだけが知っていてくれれば」と言う。松右衛門と源十も日本の国旗を振りながら、ダグラスの爆撃を身をもって引き受け、死ぬつもりなのだ。
夜が明け、ダグラスのすさまじい爆撃が始まり、源十は死に、残された七人も負傷まみれだった。槐南は蝦を獲る「掠拐冊(パルモロ)」に四人の子供たちを乗せて、島を脱出させると言った。またしても夜明けが迫っていた。松右衛門に別れを告げた。かれは「もう生きている人間のようではなく、この島を守る地霊が人のかたちに凝固(こりかたま)ってそこに立っているのとしか思われなかった」。
舟は風と八重波に押され、外海に出て、浮礁にたどり着いた。そこから見ると、向こうに紀ノ島が難波船のように浮かび上がり、岩の丘の頂に国旗を持った松右衛門の姿が小さく現われた。日の丸の旗が振られると、爆煙が上がり、炎が流れた。大きな振動が起き、松右衛門の身体が毬のように吹き上げられた。

三日後に六人の脱出者はオランダ領のサバ島に落ち着いた。そして『ニューヨークタイムズ』のカリブ版の隅に紀ノ島の記事を見つけた。そこには「マリング島に、連日、猛烈な噴火があり、九月に至って同島は全く壊滅した」とあった。

次回へ続く。