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古本夜話472 小村雪岱と新小説社

本連載428「長谷川伸、新小説社、『大衆文芸』」で、長谷川が昭和八年に私家版で出した和本詩集『白夜低唱』にふれておいた。しかしそれが小村雪岱の装丁であることには言及してこなかった。実はそのことに気づかなかったのである。それを知ったのはしばらく後で、古本屋でやはり新小説社から昭和九年刊行の里見�嘖の感想・随筆・小品集『自然解』を入手したことによっている。この四六判、濃紺布地装、五百三十ページ余の一冊は裸本であるけれど、丁寧な編集と造本で、あらためて新小説社の本を見直す気持ちにさせられた。

それをさらに印象づけたのは一点一ページの巻末広告で、それぞれに「装釘」者の名前も付され、著者と内容とが三位一体のような佇まいであった。煩をいとわず、それらの組み合わせを列挙してみる。長谷川伸『段七しぐれ』『白夜低唱』『母親人形』、邦枝完二『絵入草紙おせん』、長田幹彦『島の娘・月夜鳥』がいずれも小村雪岱、里見�嘖『渦心』、甲賀三郎『犯罪・探偵・人生』が恩地孝四郎、長田幹彦『祇園囃子』は竹久夢二、長谷川伸『耳を掻きつゝ』は田中咄哉が「装釘」者となっていて、新小説社のクォリティの高い造本方針をうかがわせている。それでいて、新小説社がその種の出版社としてほとんど注目されてこなかったように思われる。
そうした時にたまたま出版されたばかりの大越久子の『小村雪岱―物語る意匠』(東京美術)に出会った。かつて『芸術新潮』(二〇一〇年二月号)の特集「小村雪岱を知っていますか?」を読んでいたが、それよりもはるかに書影が多い大越の著作によって、「物語る意匠家」としての雪岱が装丁に携わった二百数十冊に及ぶ書物に小出版社のものがかなりあることを再認識させられた。そしてその筆頭に挙げられるのが新小説社であることも。
 『犯罪・探偵・人生』『祇園囃子』 小村雪岱―物語る巨匠 芸術新潮

前述のものと二重にならないように、新小説社の著者と作品を示しておく。

長谷川伸 『暗闇の丑松』『荒木又右衛門』
子母沢寛 『突っかけ侍』
長田幹彦 『祇園しぐれ』『芸者三代記』『鹿の子草紙』

『祇園しぐれ』
それに千章館、平和出版社、止善堂、昭和書房が続くが、これらは春陽堂の所謂「鏡花本」の系譜に属し、新小説社のような時代小説も含めた流れとしては、次のような著者と作品と出版社になる。邦枝完二『お伝地獄』の千代田書院、同『喧嘩鳶』の興亞書房、『邦枝完二代表作全集』の新日本社、遅塚麗水『東京大観』の有文堂書店、三田村鳶魚『大衆文芸評判記』の汎文社、大仏次郎『怪談その他』の天人社、水谷八重子『舞台の合間に』の演劇出版社、吉井勇『墨水十二夜』の聚芳閣、水上瀧太郎『亞米利加記念帖』の國文堂書店、同『月光集』の大岡山書店、鏑木清方『銀砂子』の岡倉書房、鈴木敏也『近代国文学素描』の目黒書店、久保田万太郎『薄雪双紙』の鈴木書店などである。

これらの出版社に関して、本連載40で大岡山書店、同313で昭和書房、同391で天人社、同396で千代田書院にふれてきたが、このような機会だから千章館に関して記しておく。雪岱の装丁本というと必ず挙げられるのは、大正三年に千章館から出された泉鏡花の『日本橋』で、それは大越の著作も例外ではなく、この一冊から始まっている。『日本橋』は近代文学館から復刻されているので、その本当にすばらしい装丁を出たばかりの感じで味わうことができる。箱は地味だが出してみると、本体の表裏に土蔵が河岸に立ち並び、蝶が乱舞する日本橋風景が出現してくる。そして見返しには日本橋の四季が描かれている。
[f:id:OdaMitsuo:20150106162611j:image:h120] 日本橋 『日本橋』

雪岱にとって最初というべき『日本橋』の装丁は鏡花の指名によってで、雪岱の画号を授けたのも鏡花であった。そのような装丁事情はこの『日本橋』が書き下ろしで、千章館は泉家と親類同様の法学士堀尾成章が営む版元だったことに由来している。『日本橋』が好評だったことから続けて同じく鏡花『愛染集』、長田幹彦『祇園夜話』、久保田万太郎『下町情話』、武者小路実篤『死』がやはり雪岱の装丁で出されていく。『日本橋』の装丁から始まる鏡花との交流を通じ、他の著者たちとも知り合い、装丁の依頼が増えていったと見なしていいだろう。

新小説社の場合、長谷川伸を後ろ盾にして、昭和八年島源四郎によって創業されている。それは島が長谷川の義弟であったことに加え、春陽堂の編集者だったことによっているし、そのような事情もあって、長谷川の著作が多く出されることになったのである。その経緯を考えると、島が春陽堂時代に「鏡花本」も担当し、雪岱とも交流が生じ、新小説社を発足させるにあたって、装丁家として雪岱も選ばれた可能性が高い。

だが雪岱は大正十三年から舞台美術の仕事も手がけるようになり、昭和六年初演の長谷川伸作、尾上菊五郎主演の舞台装置を担当してもいた。この公演は大当たりで、現在でも舞台装置はそのまま踏襲されているという。なおその舞台装置と他の含めた様々な原画は、先の『芸術新潮』に掲載されている。この事実から見れば、長谷川が雪岱の仕事を気に入り、自らの著書の装丁を頼んだとも見なせるのである。

いずれにせよ、雪岱の時代小説の装丁と挿絵の仕事は、昭和九年に新小説社から出された邦枝完二の『絵入草紙おせん』へと結実していき、雪岱はこれによって装丁家としてのみならず、挿絵画家の地位を不動のものにしたと伝えられている。
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