出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1350 宮嶋資夫と『禅に生くる』

 神近市子の近傍にいた宮嶋資夫の『坑夫』は復刻版が出されていないようなので、『日本近代文学大事典』における書影しか見ていないが、その後、彼が仏門に下り、「蓬州」として著した『禅に生くる』は浜松の時代舎で入手している。四六版上製函入で、昭和七年十一月に大雄閣から出版され、購入した一冊は同八年一月第二十版とある。



 宮嶋の自伝『遍歴』『宮嶋資夫著作集』第七巻、慶友社)の「月報」に文化人類学者の岩田慶治が「最後の転換」という一文を寄せ、『禅に生くる』が「往年のベストセラー」だったと述べているのは、わずか数ヵ月での版の重ね方から了承させられる。岩田は京都の天龍寺慈済院に下宿し、その隣室に出家した宮嶋も住んでいたのである。版元の大雄閣は『近代出版史探索Ⅲ』505で既述しておいたように、高楠順次郎の息子の高楠正男が立ち上げた出版社で、タゴールの思想小説『ゴーラ』『同Ⅴ』933のシルヴァン・レヴィ『仏教人文主義』などを刊行し、『遍歴』にも彼の依頼で『禅に生くる』が書かれたと記されている。

(続、『禅に生くる』)
 
 『禅に生くる』の巻末出版目録を見ると、高楠順次郎の著作を始めとする仏教書が並んでいるが、そうした高定価の専門書ばかりでなく、普及版廉価版の「大雄叢書」、『禅に生くる』のような体験記や随筆、まったくジャンルの異なるローマ法や会計法も見られ、大雄閣の出版企画が変化しているとわかる。それに加えて、奥付は刊行者名が高楠ではなく、酒井淳三となっているのはそのことと関連しているように思われる。それからこれも先の「月報」の宮嶋秀「戦時中の父」で教えられたのだが、昭和十七年に宮嶋は仏教雑誌『大法輪』顧問となり、朝霞市の平林寺から『近代出版史探索Ⅵ』1115の石原俊明社長の神田須田町の持家へと移り住んでいる。宮嶋の『新篇禅に生くる』などが大法輪閣から刊行された事情が判明する。

 (新篇『禅に生くる』)

 宮嶋の場合、その他にも『近代出版史探索Ⅱ』332のアルス版『ファブル科学全集』の訳者の一人、同293の斎藤佐次郎の金の星社からの『たのしい童話集』の出版と特価本業界との関係、拙稿「野依秀市と実業之世界社」(『古本探究』所収)との親交などは、プロレタリア文学というよりもアナキズム人脈を通じてのものだと思われる。それは彼の仏門入りも同様だったのである。

 そうした宮嶋ならではのアナキズム人脈の交流、『坑夫』というプロレタリア文学の先駆者、大杉栄、伊藤野枝、神近市子の三角関係への批判者といったポジションによる視座は社会主義者たちにも向けられ、彼らの利用者的体質をも透視し、『坑夫』創作の頃を回想し、『遍歴』で次のようにいっている。『坑夫』に「序文」を寄せているのが、堺枯川と大杉栄であることをふまえて読むと、それはさらにリアリティを帯びるというしかない。

 (前略)プロレタリア文学が漸く世に認められようとしたのも、その頃からの事であつた。堺、荒畑などといふ人々は、彼等自身文学を愛好するにかかわらず、文学そのものの価値は認めようとしなかつた。ただ、主義のために利用し得るもの、それだけが彼らにとつての存在価値だつた。私も懐疑があつた。主義に熱中し主義のために創作する。文学から見ればそれは、第二義的なものかも知れない。然し作者が真に燃焼してゐればそこに純真なるものが成立するに違ひないのである。純粋の文学からすれば、軌道をはづれてゐるといふかも知れない。が、文学はそれほど狭いものではないわけである。つまらない創作を読むよりも、極端に言へば、資本論の労働価値説を読んでゐる方が、遙かに文学的感興を与へらえるのである。

 ところが宮嶋は『坑夫』以後、文学に燃焼できず、その代わりにアナキズム運動の中にそれを見出そうとするが、いずれの道でも燃焼へと至らなかった。それは宮嶋のみならず、プロレタリア文学につきまとっていた現実であり、出版の困難と発禁処分をふまえた上でいえば、全盛が短かったことへともつながっていったのではないだろうか。

 宮嶋は『禅に生くる』の序で、自分は「こだわる者」だとして、「こだわるだけこだわつた」「結局は対象に反感を持つ」に至り、清算すべきとの結論を得たと述べている。そうして「私の憧憬の的となつたのが、僧堂の生活」「簡素故没の極致」にして、「綿々たる人情の纏ひを許さない場所」ということになる。そのようにして、宮嶋はプロレタリア作家、アナキズム運動家、僧堂の生活者という道を歩んでいったのである。

 戦後になって書かれた『遍歴』(慶友社、昭和二十七年)は宮嶋の「こだわる者」としての自伝で、前述のような三つのプロセスを歩んできた果てのものであるゆえに、他の社会主義者たちとは一味異なる歴史と人物への証言となっていると見なしてかまわないだろう。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1349 八木麗子と宮嶋資夫『坑夫』

 神近市子の夫の鈴木厚の陸軍画報社との関係から、少しばかり迂回してしまったが、『神近市子自伝』に戻る。八木麗子に言及しなければならないからだ。神近は八木麗子、佐和子姉妹に関して『蕃紅花』の同人で、姉は『万朝報』の記者、妹は神田の英仏和高女の仏語高等科を出て、そのまま母校の教師をしていると述べていた。

 この妹の佐和子は本探索1320の『女人芸術』創刊号にドーデの翻訳「アルルの女」を寄せている八木さわ子のことで、私も本探索1205でふれておいたように、戦後にハンナ・アーレント『全体主義の起原』(みすず書房)などの翻訳者となる大久保和郎の実母である。一方で姉のほうはプロレタリア作家の宮嶋資夫と結婚し、この二人を通じて、神近は山川均や堺利彦などの社会主義人脈へと接近していき、アナキズム研究会にも出席し、大杉栄とも知り合うことになる。

 (『女人芸術』創刊号) 全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】

 なぜ八木麗子のほうを知らなかったかというと、『日本アナキズム運動人名事典』では八木姉妹は立項されておらず、同姓の八木秋子のほうが女性アナキストとして著名で、長く立項されていたことによっている。しかもさらにややこしいことに、彼女も『女人芸術』編集者と執筆者と兼ねていたので、これまで混同していたともいえる。そこであらためて八木麗子は宮島麗子として立項されていたことを確認した次第だ。また『日本近代文学大事典』の宮嶋の立項では八木うら子、『婦人公論』記者とあり、妹と同様に混乱が見られる。これは『日本アナキズム運動人名事典』に見える万朝社の『婦人評論』が正しいと思われるし、自伝などを残していない人物の職歴をたどることも難しいと実感してしまう。

日本アナキズム運動人名事典

 さてその宮嶋のほうだが、彼の代表作『坑夫』を読んだのは、本探索1341でふれたばかりの『全集・現代文学の発見』第一巻『最初の衝撃』(昭和四十三年)においてだった。十代の終りの頃で、それはすでに半世紀前のことでもあり、やはり『最初の衝撃』で再読してみた。するとかつての記憶が少しずつ蘇ってきた。イントロダクションを引いてみる。

 

 涯しない蒼空から流れてくる春の日は、常陸の奥に連なる山々をも、同じように温め照らしていた。物憂く長い冬の眠りから覚めた木々の葉は、赤子のようなふくよかな身体を、空に向けて勢いよく伸していた。いたずらな春風が時折そっと柔い肌をこそぐって通ると、若葉はキラキラと音も立てずに笑った。谷間には鶯や時鳥の狂わしく鳴き渡る声が充ちていた。

 この書き出しは同じように坑夫と炭鉱をテーマとするゾラの『ジェルミナール』、『木芽立』を想起してしまうのだが、『近代出版史探索Ⅳ』1180で既述しておいたように、堺利彦訳『木芽立』(アルス)が刊行されるのは大正十年で、宮嶋の『坑夫』のほうが先行していたのである。それだけでなく、本探索1255の小林多喜二『蟹工船』(戦旗社)、同1270の葉山嘉樹『海に生くる人々』(改造社)の出版が、前者は昭和四年、後者は大正十五年であることを考えれば、『坑夫』のプロレタリア文学としてのオリジナリティと先駆性が際立ってくる。だが小林や葉山と異なり、宮嶋の作品は同1261の改造社の円本『現代日本文学全集』には収録されることはなかった。それは大正五年に近代思想社から自費出版され、「全体が残忍」だという理由で発禁処分を受けたことに起因しているのであろう。

ジェルミナール (『木の芽立』)

 『坑夫』は水戸に近い高取鉱山での自らの体験と足尾銅山の暴動を反映させ、渡り坑夫の石井金次の「酒、喧嘩、嬶盗人」としての生活を描き、惨死していく姿を追っている。彼は「野州の山に大暴動や起った時も、暴動の主唱者よりも勇敢にたたかった」が、そのために「日陰者になって、山から山へ」と渡り歩くことになったとされる。最もよく戦った者が改革の後には日陰者扱いされ、ならず者と同様の死を迎えるという設定は確かに残忍な印象を与えるし、『ジェルミナール』に見られるクロージングにおける希望の気配はない。しかし冒頭に見られるような「木芽立」の描写は繰返し挿入され、それが『坑夫』の中の慰めのようにも思える。

 宮島は大正二年に露店で、大杉栄と荒畑寒村の『近代思想』を見出し、ただちに彼らのサンジカリズム研究会に参加する。やはり近代文学館編「複刻 日本の雑誌」の中に、大正元年十月の創刊号『近代思想』もあり、宮嶋が見つけたのはまさにこれだったのかもしれない。しかもこの薄い菊判、本文三二ページの創刊号は近代思想社として東京堂などの四大取次に口座があり、書店へと流通販売され、そのために『坑夫』の自費出版も可能だったと了解される。それに「九月の小説(批評)」は『青踏』の神近市(ママ)の「手紙の一つ」への寒村の「新らしい女の反抗的な一面の窺はれる作」との評が掲載され、後の宮嶋、神近、大杉の関係を予兆させてもいよう。

 さて宮嶋のほうは続けてゴーリキーの『三人』を読み、『坑夫』の原型となる短篇「坑夫の死」を書いた。それを窪田空穂に読んでもらい、空穂の勧めで長編とし、書き直すことになったのである。ゴーリキーの『三人』は吉江喬松訳で大正三年に早大出版部から刊行された一冊だと思われる。拙稿「出版者としての国木田独歩」(『古本探究Ⅱ』所収)で記しておいたように、それ空穂や吉江も明治末期の独歩社の雑誌編集者であり、ここに『青踏』や『近代思想』も連続するリトルマガジン人脈を想像することができる。

古本探究 2
 なお『最初の衝撃』に関しては拙稿「学藝書林『全集・現代文学の発見』と八木岡英治」(『古本屋散策』所収)を参照されたい。

古本屋散策

odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com

[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1348 三つの『家庭雑誌』

 もう一冊、博文館の雑誌があるので、これも取り上げておく。それは『家庭雑誌』で、大正十四年四月増大号である。菊判二〇八頁、編輯兼発行人は中山太郎治、すなわち『近代出版史探索』49などの中山太郎に他ならない。

(『家庭雑誌』大正13年1月号)

 表紙は寺島紫明が描く「輝く時」と題された若い女性のクローズアップで、口絵写真は「嬉しき日」とある着付をしている花嫁の姿、華族などの三組の「名士の結婚」となっている。その五つの「現代結婚号」と題された大見出しの内容を挙げてみる。

 *職業婦人の結婚研究
 *成功した結婚と失敗した結婚の実例
 *四十男と三十後家
 *婚期にに在る女性の注意
 *荘重で簡素な実用本位の婚礼調度三種

 これらにそれぞれ五本から十本以上の当時の著名人たちの原稿が寄せられ、中山も後の『日本婚姻史』の著者となる予兆のように、「我国に於ける婚姻の種々相」を書いている。それは「本誌記者」名での十本のコラムからなる「結婚と奇習」も中山によっているのだろうし、彼が女性史を中心とする民俗学研究へ向かうのも、この『家庭雑誌』の編輯者の体験がその原動力となったのかもしれない。

 本探索1331で見たように、明治三十九年の実業之日本社による『婦人世界』に始まって、四十三年の同文館『婦女界』、大正五年の主婦之友社『主婦之友』、同九年の講談社『婦人くらぶ』の創刊が続いていたし、博文館の『家庭雑誌』も、そのような婦人雑誌ブームの中に置かれていたはずだ。ところが『博文館五十年史』は大正四年のところに「『家庭雑誌』の創刊」として、創刊号の書影、及び「六月一日『家庭雑誌』を創刊した。四六判の本文二百五十八頁、定価十銭で毎月一回発行で、編輯主任は栃木県足利郡梁田の人、早稲田大学出身である」と記されているだけだ。巻末の「出版年表」を確認すると、大正十五年に廃刊となっていることがわかる。それでも十年以上にわたって刊行されていたのであり、『家庭雑誌』も大正時代の婦人雑誌の一角を占めていたことになる。

   

 しかし前々回の徳富蘇峰『好書品題』巻末の「民友社小史と出版の図書」において、「『国民之友』の刊行が、明治文化の促成に寄与したことは言を須たず、『家庭雑誌』を刊行して、婦人醒覚の先唱者となり」との一文が見えていたのである。しかも近代文学館の『複刻日本の雑誌』にはそれも含まれていた。明治二十五年創刊号は『国民之友』と相通じるA5判、本文三八ページの体裁だが、表紙には花や庭などのイラストもあしらわれ、『家庭雑誌』のコンセプトを発信しようとしているだろう。

 (『好書品題』)(『家庭雑誌』創刊号)(創刊号)

 だが発行所は家庭雑誌社となっていて、発行兼印刷人は垣田純朗、編輯人は塚越芳太郎で、一見しただけでは蘇峰の民友社の雑誌だとわからない。民友社と家庭雑誌社が京橋区日吉町と住所を同じくすることによって、ようやく両者が同一だと判明する。それは明治半ばの時代にあって、「国民」と「家庭」は別のカテゴリーに属し、その冒頭の社説の「家庭教育の事」が示しているように、「国民」以上に「家庭教育」が必要とされていたのかもしれない。同誌は明治三十年までに全一九九冊が出され、『国民之友』の姉妹的役割を果たしたとされる。

 ところがややこしいことに、『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」にはこの家庭雑誌社版に続けて、もうひとつの『家庭雑誌』も立項されている。それは本探索1217などの堺利彦の由分社が明治三十六年から四十年にかけて全五五冊刊行したもので、こちらは社会主義を標榜していたが、家庭生活を啓蒙し、近代化をはかろうとしていた。それに堺に続いて、西村渚山、深尾韶、大杉栄も編集に携わり、版元も家庭雑誌社、平民書房と移り、社会主義的色彩を有する家庭向け雑誌として独自の役割を果たしたとされるが、こちらは未見である。しかし博文館版は立項されていない。

(由分社版)

 つまり『家庭雑誌』は家庭雑誌社=民友社に始まり、堺の由分社を経て、博文館へと継承されていったことになる。当時の雑誌商標権やそのタイトルをめぐる出版権を詳らかにしないけれど、後発の由分社や博文館がまったく蘇峰の民友社と関係なく、創刊したとは思えない。何らかの権利委譲、バーター取引、あるいは金銭的問題も含めて処理された結果、このような三つの『家庭雑誌』の成立が可能になったと推測するしかない。そこにはまた三つの『家庭雑誌』における編集者問題も必然的に絡んでいたように思われる。


odamitsuo.hatenablog.com

odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

出版状況クロニクル176(2022年12月1日~12月31日)

22年11月の書籍雑誌推定販売金額は915億円で、前年比4.2%減。
書籍は508億円で、同6.3%減。
雑誌は406億円で、同1.5%減。
雑誌の内訳は月刊誌が345億円で、同0.3%増、週刊誌は61億円で、同10.5%減。
返品率は書籍が34.7%、雑誌は40.4%で、月刊誌は39.3%、週刊誌は46.1%。
雑誌のマイナス幅の減少と月刊誌のプラスは、コミックスの『ONE PIECE』『HUNTER×HUNTER』『怪獣8号』(いずれも集英社)、『東京卍リベンジャーズ』(講談社)などの人気新刊が集中刊行されたことによっている。
週刊誌と同様で、月刊誌売上が改善したわけではない。
雑誌売上は新刊コミック次第という出版状況はこれからも続いていくだろう。

ONE PIECE 104 (ジャンプコミックス) HUNTER×HUNTER 37 (ジャンプコミックス) 怪獣8号 8 (ジャンプコミックス) 東京卍リベンジャーズ(30) (講談社コミックス)


1.出版科学研究所による22年1月から11月にかけての出版物販売金額を示す。

 

■2022年1月~11月 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2022年
1〜11月計
1,031,999▲6.6597,478▲4.6434,521▲9.2
1月85,315▲4.851,0020.934,313▲12.3
2月107,990▲10.367,725▲5.740,265▲17.0
3月143,878▲6.094,434▲2.749,444▲11.7
4月99,285▲7.554,709▲5.944,577▲9.5
5月73,400▲5.340,700▲3.132,700▲7.9
6月86,182▲10.844,071▲10.242,111▲11.4
7月74,567▲9.139,717▲6.934,851▲11.5
8月80,189▲1.142,322▲2.337,8670.2
9月105,129▲4.663,504▲3.741,625▲6.0
10月84,529▲7.548,443▲5.936,086▲9.7
11月91,535▲4.250,852▲6.340,683▲1.5

 22年11月までの書籍雑誌推定販売金額は1兆319億円、前年比6.6%減である。
 1兆2000億円台を割りこむことは確実で、23年には1兆円をキープすることが難しくなってくるかもしれない。
 再版委託制に基づく近代出版流通システムが最終場面を迎えると見なすべきだろう。



2.出版科学研究所の『出版月報』がコスト問題もあり、2023年から『季刊出版指標』に変更され、季刊となる。


shuppankagaku.com

 いうまでもないが、本クロニクルのリードや1の書籍雑誌推定販売金額は『出版月報』の取次ルートデータによっている。
 ただこれからも『季刊出版指標』定期購読者には特典として月次統計データをまとめた「出版指標マンスリーレポート」PDF版がメール提供されるということなので、本クロニクルでもそれを引続き参照するつもりだ。
 『出版月報』は発行所を公益社団法人全国出版協会、出版科学研究所として刊行されているが、東販によって設置された出版科学研究所は1969年に全国出版協会に移管され、今日に及んでいることになる。
 だが『出版月報』は頒価2200円で、本クロニクルの他に定期購読している読者や出版人は聞いたことがないことからすれば、発行部数は数百部と推定され、毎月の紙での発行は困難になってきたのであろう。

 近年アルメディアの休業によって、取次と書店の出店、休廃業データ、また出版ニュース社の廃業に伴い、年度版『出版年鑑』と『日本の出版社』を失い、出版業界の基本ベースとなるインフラ状況や数次の把握が難しくなってきている。そうした意味において、出版科学研究所の存在は貴重であり、データベースとしての存続を願うしかない。
 それに最近の特集は、前回ふれた「出版物の価格を考える」(10月号)に続いて、「GIGAスクール構想 デジタル教科書と出版界」(11月号)も啓発されることが多かったことを付記しておく。



3.日販の「出版物販売額の実態2022」が出されたので、こちらも昨年から紙の発行は中止となり、電子版だけの刊行である。
 

■販売ルート別推定出版物販売額2022年度
販売ルート推定販売額
(億円)
前年比
(%)
1. 書店8,342▲2.1
2. CVS1,172▲4.7
3. インターネット2,8076.5
4. その他取次経由371▲12.5
5. 出版社直販1,778▲1.7
合計14,473▲1.0

 これらに対して、タッチポイント別市場規模上位3位は書店(構成比38.5%)、電子出版物(同26.3%)、インターネット(同12.9%)である。
 インターネット販売は2807億円、前年比6.5%増だが、電子出版物は前年の4744億円に対し、5996億円と大幅に伸びている。
 電子出版物がさらに伸び続ければ、タッチポイント市場において、書店と電子出版物の構成比が逆転してしまう状況も生じてくるだろう。すでに電子出版物とインターネット販売を合わせれば、51.4%という半分以上を占めることになるのだから。



4.出版文化産業振興財団(JPIC)調査による全国自治体別無書店率が出された。
 それによれば、全国1741の市区町村のうちで、書店がひとつもないのは456、26.2%に及んでいる。
 これは日本出版インフラセンターの共通書店マスタに基づくもので、「無書店自治体」は沖縄県が56.1%、長野県が51.9%、奈良県が51.3%。それらに福島県47.5%、熊本県44.4%、高知県44.1%、北海道42.5%が続いている。

 
■全国自治体別無書店率
自治体数無書店自治体無書店率
全国 1,74145626.2%
北海道1797642.5%
青森県401537.5%
岩手県33721.2%
宮城県35925.7%
秋田県25832.0%
山形県351131.4%
福島県592847.5%
茨城県 44511.4%
栃木県25312.0%
群馬県351028.6%
埼玉県6357.9%
千葉県 541120.4%
東京都62711.3%
神奈川県 33618.2%
新潟県30516.7%
富山県 15213.3%
石川県1915.3%
福井県 17211.8%
山梨県27829.6%
長野県774051.9%
岐阜県42614.3%
静岡県3538.6%
愛知県5423.7%
三重県29620.7%
滋賀県19210.5%
京都府26519.2%
大阪府4349.3%
兵庫県4124.9%
奈良県392051.3%
和歌山県30826.7%
鳥取県19736.8%
島根県19421.1%
岡山県27414.8%
広島県2300.0%
山口県19526.3%
徳島県24937.5%
香川県1700.0%
愛媛県20210.0%
高知県341544.1%
福岡県601728.3%
佐賀県20420.0%
長崎県21419.0%
熊本県452044.4%
大分県18211.1%
宮崎県26934.6%
鹿児島県431432.6%
沖縄県412356.1%


 このような調査は『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に触発されたものだと考えられるし、書名は挙げられていないけれど、次のような一節にも明らかであろう。

 「公共図書館のベストセラーや新刊本等の過度な複数蔵書等により、公共図書館と書店の共存が難しくなっている側面もある。これは公共図書館の評価基準が利用者数や貸出冊数にあることが、その傾向に拍車をかけている。」

 こうした公共図書館と書店の相関関係は本クロニクル173でも示してあるので、それも参照してほしい。しかし書店の閉店問題は最近になって続出していることもあり、自治体における無書店率は加速していくばかりだろう。
odamitsuo.hatenablog.com



5.ノセ事務所より、2021年の「出版社実態調査」が届いた。
 今回は501社の出版社の実績が掲載レポートされ、それは次の3ランクに分類されている。

J1出版社 10億円以上売上 247社
J2出版社 5億~10億円売上 104社
J3出版社 1億~5億円売上 150社

 それぞれの売上高はJ1が1兆5320億円、シェア93.9%、J2が661億円、同4.0%、J3が341億円、同2.1%、合計売上は1兆6322億円、前年比0.4%増となる。
 その第1の特色は1000億円を超える4社の突出ぶりで、それらは集英社、講談社、KADOKAWA、小学館である。
 第2の特色は日本の出版社の零細性で、5億円以下は254社、50.7%を占める。しかもJ3の従業員数は150社のうちの129社が10人以下で、独自の専門性にもかかわらず、その零細性を浮かび上がらせている。
 第3の特色は利益の脆弱性で、J1は7割強が利益を出しているが、J2、J3の中小出版社の大半は利益が上がっておらず、売上も減少している。
 21年のトータルでの0.4%増も上位出版社の電子出版、版権ビジネス、新たなマーケット開発によるものである。

 これまでは上位10社の売上リストを掲載するだけにとどめてきたが、今回はコロナ禍における大手、中小出版社の明暗がコンクリートにレポートされているので、そちらの分析のほうを紹介してみた。



6.日販GHDの連結中間決算は売上高2198億1300万円、前年比10.8%減。
 営業損失は1億400万円(前年は16億4500万円の利益)、経常利益は1500万円で、前年比99.2%減、中間純利益は11億7800万円で、三菱地所とのロジテクス蓮田(埼玉)の不動産交換差益21億円の計上による。
 日販単体の売上高は1775億4100万円、235億円のマイナスで、同11.7%減。
 営業損失は6億2600万円(前年は4億3700万円の利益)、中間損失は5億8400万円(前年は3億4800万円の利益)。


7.トーハンの連結中間決算は1913億8300万円、前年比10.2%減。
 営業損失は7億4300万円(前年は11億2600万円の利益)、中間純損失は9億5700万円(前年は4億7800万円の利益)。
 トーハン単体の売上高は1786億7300万円、同10.5%減。
 営業損失は9億6100万円(前年は5億200万円の利益)、中間純損失は6億2000万円(前年は2億7100万円の利益)。
 書店事業7法人249店の売上は235億5200万円、同9.8%減。

 日販にしても、トーハンにしても、取次業は二ケタ減の赤字で、それは通年決算でも変わらないだろう。
 もはや取次は限界状況を迎えているし、それは取次の書店事業も同様である。
 公取委はアマゾンのこともふまえ、日販とトーハンの合併も独占禁止法違反ではないという見解に至っていたようだが、双方の書店事業問題もあり、一体化は難しいと見なすしかない。
 日販とトーハンは流通と販売の双子の赤字の中で、23年を迎えようとしている。



8.日教販の決算は売上高268億7600万円、前年比1.4%減。
 営業利益は3億9200万円、同28.4%減、当期純利益は2億8700万円、同27.7%増。遊休不動産の売却益を含む。
 その内訳は書籍185億6500万円、同3.1%減、「教科書」72億4600万円、同6.5%増、「デジタル配送等」6億2100万円、同10.5%減、「不動産」5億8000万円、同2.6%減。
 書籍返品率は12.7%。

 本クロニクル173で、21年の「卸業調査」のところで、トーハンが赤字であることに対し、日教販が黒字であることを示しておいたが、それは何よりも12.7%という低返品率によっているのである。
 それはTRCにしても、日販を伍する利益を上げているのも、その事実によっている。しかし日販とトーハンは雑誌と書籍の総合取次であり、40%前後の高返品率から脱却できていない。しかもそれは再版委託制のメカニズムゆえで、近代出版流通システムの崩壊の最終段階ということになろう。
odamitsuo.hatenablog.com



9.紀伊國屋書店の決算は連結売上高1209億3170万円、前年比4.6%増。
 営業利益24億7420万円、同117.3%増、当期純利益20億3200万円、同34.8%増。
 連結売上高の内訳は「店売総本部」413億1320万円、同4.3%減、「営業総本部」499億2870万円、同5.0%増、「海外」234億1000万円、同36.8%増。
 期末店舗数は国内67店、海外39店の計106店。
 紀伊國屋書店単体売上高は968億8520万円、同1.0%減、営業利益は3億3600万円、同56.5%減、当期純利益6億5900万円、同4.1%減。15年連続の黒字決算。


10.有隣堂の決算は売上高522億1640万円、前年比22.0%減。
 営業利益6億1380万円、同27.4%減、当期純利益3億1340万円、同16.3%減。
 その内訳は「書籍類」157億9340万円、同6.4%減、「雑誌」32億2920万円、同5.7%減、「文具類」33億5350万円、同1.3%減、「雑貨類」9億7790万円、同30.4%増、「通販商品」152億7170万円、同3.9%増。
 期末店舗数は41店。

 紀伊國屋書店も湯林道も利益を出しているものの、日販やトーハンと同じく、再版委託制に基づく近代出版流通システムの最後の場面に立ち会っていることに変わりはない。



11.『日経MJ』(12/9)が「Tポイント、統合で目指すV」という大見出しで、CCCのポイント事業「Tポイント」と三井住友フィナンシャルグループ(FG)の「Vポイント」との統合に関する一面特集を組んでいる。
 三井住友グループがCCC傘下のCCCMKホールディングス(HD)に4割出資し、残りの6割はCCCが保有する方向で、年内に資本業務提携の最終合意を交わし、2024年4月をメドに統合し、「日本最大級のポイント決済経済圏の創出を目指す」と10月に発表されていた。

 これは本クロニクル174でも既述し、日販にもリンクしていくので、本当に実現するだろうかと疑念を提出しておいた。
 それは会員数がPontaポイント1億992万人、楽天ポイント1億人超、dポイント9040万人で、Tポイント7000万人とVポイント2000万人をあわせても、「日本最大級のポイント決済経済圏」になるとは思えない。またTポイント加盟店は14万6000店で、21年から2万店近く減っているし、24年4月の統合時には楽天などとさらに差をつけられるかもしれない。
 それにCCCの6割出資、及び日販との関係も絡み、最終合意に至ることは難しくなっているのではないだろうか。
 これも本クロニクル171で、『日経MJ』による「文喫」と「蔦屋書店」の一面特集がリークに近いものではないかと指摘しておいたが、今回の特集もそれに類するもののように思われる。
odamitsuo.hatenablog.com



12.日販、トーハンの2022年ベストセラーが出された。


■日本出版販売・トーハン 2022年 年間ベストセラー(総合)
順位書名著者出版社本体(円)
日販トーハン
1180歳の壁和田秀樹幻冬舎900
2人は話し方が9割永松茂久すばる舎1,400
36ジェイソン流お金の増やし方厚切りジェイソンぴあ1,300
4920代で得た知見FKADOKAWA1,300
53同志少女よ、敵を撃て逢坂冬馬早川書房1,900
65メシアの法大川隆法幸福の科学出版2,000
78898ぴきいせいぞろい!ポケモン大図鑑(上・下)小学館編小学館各1,000
8770歳が老化の分かれ道和田秀樹詩想社1,000
910本当の自由を手に入れるお金の大学両@リベ大学長朝日新聞出版1,400
1015私が見た未来 完全版たつき諒飛鳥新社1,091
1111TOEIC L&R TEST 出る単特急 金のフレーズTEX加藤朝日新聞出版890
12WORLD SEIKYO vol3聖教新聞社編聖教新聞社227
1312ネイティブなら12歳までに覚える
80パターンで英語が止まらない!
塚本亮高橋書店1,200
14WORLD SEIKYO vol2聖教新聞社編聖教新聞社227
1514聖域コムドットやまとKADOKAWA1,300
16パンどろぼう柴田ケイコKADOKAWA1,300
1718マスカレード・ゲーム東野圭吾集英社1,650
18パンどろぼうとなぞのフランスパン柴田ケイコKADOKAWA1,300
1917ドラゴン最強王図鑑健部伸明、なんばきび他Gakken1,200
20だるまさんがかがくりひろしブロンズ新社850
2WORLD SEIKYO vol2、vol3聖教新聞社編聖教新聞社各227
4人は話し方が9割
人は聞き方が9割
永松茂久すばる舎各1,400
13パンどろぼう
パンどろぼうVSにせパンどろぼう
パンどろぼうとなぞのフランスパン
パンどろぼうとおにぎりぼうやのたびだち
柴田ケイコKADOKAWA各1,300
16コムドッと写真集TRACEコムドット講談社1,800
19ヒトの壁養老孟司新潮社780
20その本は又吉直樹、ヨシタケシンスケポプラ社1,500
(集計期間:2021年11月22日~2022年11月21日)

 かつては本クロニクルでも、「紅白歌合戦」のようなものとして、続けて掲載していたこともあったが、実用書や自己啓発書が多くなるばかりで、近年は紹介もしてこなかった。
 だがこのようなベストセラーが図書館のリクエスト本や複合本と連動している関係、及びここまできてしまった出版業界の行き詰まりを象徴しているように思われることもあり、あえて挙げてみた。
 これもそうした出版状況と時代を物語っているのだろうし、そこに出版業界の現在も投影されているのであろう。



13.能勢仁・八木壮一共著『明治・大正・昭和の出版が歩んだ道』(出版メディアパル)を恵送された。

昭和の出版が歩んだ道: 激動の昭和へTime TRaVEL (本の未来を考える=出版メディアパル No. 26) 平成の出版が歩んだ道: 激変する「出版業界の夢と冒険」30年史 (本の未来を考える=出版メディアパル No. 38)

 『昭和の出版が歩んだ道』『平成の出版が歩んだ道』に続く三部作の完成で、本クロニクルでも常に座右に置き、参照している。
 能勢も八木も長きにわたって出版業界、古書業界に身を置き、これまで体験してきた事実に裏づけられているので、それらの肉声が行間からも伝わってくる記述になっている。
 そうした証言はわれらが同時代人のものだと実感するのだが、『令和の出版が歩んだ道』は成立するのかと自問することにもなる。



14.松本大洋の『ビッグコミックオリジナル』連載『東京ヒゴロ』2 を読了。

東京ヒゴロ (1) (ビッグコミックススペシャル) 東京ヒゴロ (2) (ビッグコミックススペシャル)

 本クロニクル165で、そのを読み、「出版関係者必読のコミック」として推奨しておいたが、それは2も同様である。
 主人公の編集者塩澤は大手出版社を辞め、小出版社を興し、新たな漫画雑誌を創刊するので、書店営業を試み、第14話は「本日、30軒の書店を訪問す。」と題され、実際のその書店の風景と営業シーンも描かれている。コミックにそのようなシーンを見たことはこれまでなかったように思われる。
 しかし気になるところもあって、塩澤が書店営業で苦労している目にしたかつての部下が、「ウチの販売コードを塩澤さんが作る本に利用するとか」できないかと営業部に相談したと語る場面が出てくる。
 だがこれはありえない話で、販売コード云々ではなく、「塩澤さんが作る本をウチが発売所となる」ということでないと辻褄が合わないと思う。
 最初の例でいえば、元筑摩書房の山野浩一が夕日社を設立し、夕日新書を創刊したが光文社を発売所としている。
 『東京ヒゴロ』は出版業界を舞台とする秀作コミックでもあるので、気になることを記してみた。
odamitsuo.hatenablog.com



15.笠井潔『新・戦争論』(言視舎)が出された。

新・戦争論「世界内戦」の時代

 これは本クロニクル173で、単行本化が望まれると書いておいた、聞き手を佐藤幹夫とするリトルマガジン『飢餓陣営』の「『世界内戦』としてのロシア―ウクライナ戦争」をメインとするものである。
 『新・戦争論』は笠井の『例外社会』(朝日新聞出版、2009年)に基づく国家の例外化としての世界内戦が語られ、それが日本の現在へともリンクしていくのである。 
 たまたま『新・戦争論』と同時に笠井の新作『煉獄の時』(文藝春秋)を読み、続けてこれも新刊の外山恒一を聞き手とする絓秀実『対論1968』(集英社新書)に目を通していたところに、『Les Anges』(レザンジュの会)第4号が届き、1960年代後半から2020年代に至る「世界内戦」の時代をいささか考えさせられてしまった。
 また同じ頃、『神奈川大学評論』101も届き、そこでの小野塚知二、藤原辰史の対談「食糧の平和」も世界内戦時代を迎えての食糧問題として読むことになった。
 とりとめのない本と雑誌の羅列となってしまったかもしれないが、1冊でも手にとって頂ければ幸いである。
例外社会 煉獄の時 対論 1968 (集英社新書)
odamitsuo.hatenablog.com



16.アマゾンの「カスタマーレビュー」(12/21)に「コーディネーター」名で、「『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』を読んで:出版関係者と図書館関係者の対話を進めよう」と題する書評が寄せられている。
 これは前回の本クロニクルに対するコレスポンダンスだと思われる。きわめてまっとうな紹介の後で、次のように述べられている。

 非常に大きく重要な問題提起で、かなりの議論が必要です。図書館外の分野から図書館に対してこのような《まとまった意見》が寄せられたことはなかったように思います。
 本書を機会に、出版・書店関係者と図書館関係者が対話を進めること、書店・図書館の両方を含む《出版流通》について議論が進められることを期待します。議論をすると、様々な問題が生じますが、それを克服して、お互いの立場を尊重した上で議論を進めていただきたいと思います。


 それは私も中村も望むべきところで、本当に出版業界と図書館の対話や議論がなされるべきだと思う。
 前回も既述しておいたように、私も中村も気軽に参加するつもりなので、論創社に連絡して頂ければと思う。
 なお前回のクロニクルの「図書館関係者」の投書は本人からの申し出により、無断引用でもあり、11の項目そのものを削除したことを明記する。
  



17.渡辺京二が92歳で亡くなった。

 私が4翁とよんできた人たちも次々に鬼籍に入っていく。
 それは読み続けてきた著者や作家たちがいなくなることを意味しているし、そのようにして私たちの時代も終わろうとしているのだろう。



18.『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』は重版発売中。
 論創社HP「本を読む」〈83〉は「 矢作俊彦とダディ・グース作品集『少年レボリューション』」で、これもまったく偶然ながら、『対論1968』とそのままつながっている。

ronso.co.jp

古本夜話1347 民友社「現代叢書」と『極東の外交』

 これは意図したわけではないが、本探索において、民友社に関してふれることが少なかった。それは前回既述しておいたように、民友社が当時は看板雑誌『国民之友』を有し、多くの書籍も刊行する大手出版社だったにもかかわらず、意外にその書籍を拾っていないのである。

 その典型が「現代叢書」で、これは二十年ほど前に一冊だけ見つけている。『全集叢書総覧新訂版』によれば、大正時代に全二十四巻が出されている。しかしその後が続かず、ずっと書く機会を得なかった。だからここで取り上げておきたいし、まずそのリストを示す。

(第Ⅰ期) 全集叢書総覧 (1983年)

1 『オイケン』 第Ⅱ期 1 『婦人問題』
2 『巴奈馬』    2 『現代米国』
3 『帝国の国防』 3 『独逸軍国主義』
4 『現代欧州』   4 『最新科学』
5 『新支那]』   5 『近時の経済問題』
6 『南米』    6 『満蒙』
7 『日本憲政史』   7 『極東の外交』
8 『ベルグソン』   8 『極東の民族』
9 『独逸皇帝』   9 『欧州大戦』
10 『飛行機』   10 『新芸術』
11 『近代文学』   11 『新聞』
12 『極東の露西亜』   12 『南洋』

         

  (『新支那』)(『独逸皇帝』)

 タイトルを挙げていて、何かとりとめのない印象のシリーズだと思うのは私だけではあるまい。書籍出版社というよりも、雑誌出版社のジャーナリズム的視座から企画され、編まれたと考えるべきだし、その内容見本に見える「現代叢書」は「最新にして趣味あり且つ有用なる題目を簡明軽快に叙述し、以て現代読者階級の要求に応ぜんとす」はその事実を肯っているといえよう。それにこれらのアトランダムに映るタイトルには、他でもない大正時代の問題とテーマが表出しているといっていいのかもしれない。

 私が所持しているのは第Ⅱ期7の『極東の外交』で、機械函入、B6判上製四〇二ページの一冊である。おそらくこの「現代叢書」のフォーマットは同書に準ずると考えてよかろう。ただ徳富蘇峰監修はともかく、吉野作造編輯とあり、奥付は編輯者も同様で意外だったことだ。そして蘇峰の「序文」によって第Ⅰ期5の『新支那』と並んで、極東内外の形勢を明らかにする一冊で、著者が極東外交の研究を専門とする牧野義智であることを知らされる。とすれば、『極東の外交』は第Ⅰ期12の『極東の露西亜』、第Ⅱ期6の『満蒙』、同8の『極東の民族』とも通底していることになろう。

 (第Ⅱ期)

 それは「編者識」の「例言」にある次の一文と共通していよう。

 本書の目的は、極東外交の現勢を解説し、近時の如き複雑なる極東の国際政局が、如何なる関係に依て起り、如何にして益〱其局面を発展せしめたるかと説明し、更に進みて極東の均勢と、欧米各邦の対支政策との関係に論及し、之に対する本邦の地位、責務を明瞭ならしめ、以て奔放対外方針の確立に資せんとするにあり。

 ここに見られる「極東外交」を「露西亜」「民族」などに換えれば、先の二冊にも当てはまるであろうし、それは他のタイトルをもってしても同様であり、そうした視座は『国民之友』によった蘇峰と吉野作造の「現代叢書」にこめたコンセプトと見なすことができる。これは『極東の外交』の一冊しか手にしておらず、全巻を確認しているわけではないけれど、吉野が編輯者でない場合も、それほど異なるものではないと思われる。著者の牧野義智のプロフィルは判明していないが、『国民之友』というよりも、吉野の近傍にいた学究ではないだろうか。

 『近代出版史探索Ⅳ』623の『明治文化全集』へと結実してゆく吉野と明治文化研究会の関係は承知していたが、民友社と『国民之友』との関係は『極東の外交』を手にするまで知らないでいた。これらのラインナップを見ていて想起されたのは、「現代叢書」が大正三年に始まった企画であり、大正後年であれば、これらのすべてが総合雑誌の特集テーマとなったのではないかということだった。

明治文化全集 第25巻 軍事篇・交通篇

 ところがそうではなく、単行本シリーズとして企画刊行されたのは、『国民之友』がそのような器の雑誌ではなく、そうした特集を組むことになる『改造』『解放』『我等』などの総合雑誌の創刊は大正八年を待たなければならなかったのである。それゆえにこそ「現代叢書」が成立したと思えてならない。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら