出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

 ブルーコミックス論 1 

 序1
数年前にグレアム・グリーンの短編「ブルーフィルム」に言及したことがあった。
その短編はイギリス人のカーター夫妻が夕刻にホテルのティールームで話している場面から始まる。二人は倦怠期を迎えている夫婦で、子供はなく、東南アジアの一国にきていることが、会話と夫の独白から浮かび上がってくる。妻は異国での刺激を求め、「面白いショウ」を見ることを望む。夫はその妻の求めに応じ、ホテルを出て、街頭のポン引きと交渉し、妻と車に乗って場末の小路に出かけ、スクリーンのある小さな部屋に通される。そこでブルーフィルムが見られるのだ。最初の映画が終わると、夫人が言った。「これがブルーフィルムっていうものなのね」。二番目の映画が始まった。ほとんど筋らしいものはなかった。だが俳優は二人とも若く、この映画は最初のものより魅力的で、興奮させた。ただ男も女も帽子をかぶっていたので、顔はわからなかった。部屋に入り、女が帽子を取った時、カーターはあの顔を知っていると思い、昔の記憶が浮かび上がってきた。それでもまだ映画の中で「男はずっとカメラから顔をそむけていた」。カーターは妻に帰らないかと言うが、彼女は帰ろうともせず、彼の膝の上に乾いた手を置いた。すると青年がベッドに仰向けに寝て、「男はカメラの方を見た」。妻の手は夫の膝の上で震え、驚きの声を発し、「あれはあなたね」と言った。三十年前にその女は五十ポンドの金が必要となり、彼女を愛していたカーターは助けるために映画に出たのだった。だが彼はこの映画を一度も見たことがなかった。さらに妻は言う。「それを知っていたら、あなたとなんか結婚しなかったわ、絶対に」。この短編はこれで終わっているわけではないが、長くなってはいけないので、ここで止める。この作品は一九五四年に発表されていることからすれば、半世紀前の小説で、カーターがブルーフィルムに出演したのは一九二〇年代ということになる。

グリーンの「ブルーフィルム」にふれたのは、コンビニや書店で雑誌付録として膨大に流通販売されているアダルトDVDに関連してだった。それらを含めて現在のアダルトDVDはかつてのブルーフィルムに位置づけされるだろうし、そこには「男優=カーター」ならぬ無数の女性たちが「女はすべて女優である」(荒木経惟)を体現するかのように出演している。そしてその女性たちの数の増加に比例して、それを見る「カーター夫妻」ならぬ多くの観衆を誕生させ、年間文庫出版点数を超える一万点以上が製作され、アダルトDVDの全盛を示していよう。しかしそのようなアダルトDVDの活況は女性たちをカーターのような立場に追いやっているはずで、それらもまた「ブルーフィルム」とは異なる物語として、多様に発生しつつあるのではないかと思われ、グリーンの短編を取り上げたのである。だがここではアダルトDVDにこれ以上言及しないので、それらの問題に関心のある読者は拙著『出版状況クロニクル2』を参照されたい。
出版状況クロニクル2

その際にはグリーンの「ブルーフィルム」は前述のようなストーリーを紹介しただけだったが、今回はこの短編がもたらした波紋と影響について、少しばかり記すことで、この試論を始めることにしよう。

グリーンの「ブルーフィルム」は『二十一の短編』『グレアム・グリーン全集』13早川書房)所収の青木雄造訳を参照している。しかしこれは一九六〇年の再訳で、初訳は五五年に出ていて、その時には「青い映画」という邦訳タイトルであった。この「青い映画」に触発され、吉行淳之介が「青い映画の話」(『吉行淳之介全集』第二巻所収、新潮社)と題する短編を書いている。これはグリーンの短編をイントロダクションにして、「秘密映画に関してかなりの知識」を持っている「私」が語る、まさに「青い映画」の話である。「私」はかつて雑誌社に勤めていた頃、出入りの大野紙店の店員の森山君と親しくなり、紙屋の二階で催された「アノ映画」映写会に誘われた。当時「アノ映画」は稀少価値で、観覧料も高く、「私」が捻出できる金額ではなかったが、森山君は「私」を「特別タダ」で招待してくれたのだ。映画と映写機は大野紙店の主人のもので、森山君はそれらを借り、歩合をもらって自分の責任で映画会を催していたのである。

二十一の短編  高橋和久訳 吉行淳之介全集 第二巻

吉行の「青い映画の話」はそれらに加えて、「私」が勤めていた雑誌社の倒産、大口債権者である大野紙店の主人の方針に基づく「読者の性欲に訴える」雑誌への転換、紙店も含めた会社の「セックス雑誌出版社」化、敗戦後の出版業界の「百鬼夜行の時代」を描いている。そして最後に森山君が「ヒミツ映画の件で、三度目の検挙を受けたこと」が記され、結ばれている。

これは雑誌『日本』の六〇年一月号に発表され、「グレアム・グリーンの短編に『青い映画』(ブルー・フィルム)という、良い作品がある」との回想から始まっているので、五五年の初訳を読んだことがきっかけとなり、書かれたとわかる。

おそらく六三年に『小説中央公論』に連載された野坂昭如『エロ事師たち』も、グリーンや吉行の短編を範として書かれたのではないだろうか。実際に野坂は作家としてデビューする以前、しばしばブルーフィルム映写会のコーディネーターを務めていたようで、そのことをいくつものエッセイで述べてもいる。
エロ事師たち

ブルーフィルム文学史はここでひとまずおくとして、七五年に三木幹夫によって、「秘められた映画史70年」とサブタイトルが付された『ぶるうふいるむ物語』立風書房)が上梓されている。同書は日本と海外のブルーフィルムの歴史と具体的な作品紹介と分析に加えて、年表、文献も掲載していて、現在に至るまで類書のない映画史だと見なしてかまわないだろう。ここで三木もグリーンの「青い映画」を俎上にのせ、「ブルーフィルム blue film」という言葉や表現に言及し、グリーンのThe Blue Film の五五年初訳時には邦訳タイトルが「青い映画」であったことから、「ブルーフィルム」が日本にまだ定着していなかったのではないかと推測している。

そしてまた三木はblueが「わいせつな」とか「好色な」といったニュアンスを含んだ俗語として使われ始めたのが一八三〇年代で、二十世紀初めからblue jokeなどとして流布するようになったとも書いている。しかしこのblueとfilmがいつ頃、誰によってジョイントされ、定着したのかは不明だとも述べている。手元にある英語の辞書を引いてみると、「blue film ポルノ映画」とあり、現在では広く定着した言葉だと考えられる。

色彩がもたらすイメージは時代や国によって多種多様であり、そこにはそれぞれの社会と色彩の関係が投影されていると見なせるだろう。例えば、二十世紀に入ってから英語のblueに「わいせつな」とか「好色な」とかの意味合いが含まれるようになっていたにしても、日本の六〇年代において、「青」はそのようなエロティックなイメージを伴っていなかった。その証拠として、「わいせつな」「好色な」映画は「青い映画」ではなく、「ピンク映画」と称ばれていたではないか。また映画と色彩の関連でいえば、フランス語の所謂 「film noir フィルムノワール」 は「黒い映画」であり、これは犯罪映画と総称されていた。

次回へ続く。