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古本夜話363 北沢楽天と『楽天全集』

少しばかり飛んでしまったけれど、アトリエ社について、時間を巻き戻し、もう一度ふれてみる。白秋の弟の北原義雄は兄の鉄雄が経営するアルスに入社し、大正十三年にアトリエ社を創業し、美術雑誌『アトリエ』を創刊し、多くの美術書を出版していく。その一部は本連載で取り上げてきた。

ここで留意すべきことは、『アトリエ』の出現によって先行する春鳥会、後の美術出版社の『みずゑ』、中央美術社の『中央美術』に続き、三つの美術雑誌が出揃ったことであり、それは出版における美術市場が明らかに形成され始めていた事実を物語っている。またアトリエ社が関東大震災後の大正十三年に立ち上げられたことは、同社が必然的に円本時代に立ち合い、自らも参入していく巡り合わせとなる。その典型が『現代商業美術全集』であり、『東西素描大成』や『楽天全集』などへと継承されていく。ここでは『楽天全集』を取り上げてみる。

現代商業美術全集   (『楽天全集』第5巻)

楽天なる名称は現在のネット企業と紛らわしいので、まず先に『日本近代文学大事典』北沢楽天の立項を引く。
日本近代文学大事典

 北沢楽天 きたざわらくてん  明治九・七・二〇〜昭和三〇・八・二五(1876〜1955)漫画家。埼玉県生れ。本名保次。旧幕時代に家が幕府側小藩の重役だったので官途をきらって明治二八年横浜にいって米人漫画家について漫画を描きだす。三八年四月漫画誌「東京パック」を創刊、するどい風刺と明快な画風で人気を得、大衆から楽天漫画といわれた。大正から昭和初期には大御所的存在となり多くの門下を育成した。(中略)
 『楽天全集』全九巻(昭和五〜六 アトリエ社、うち四・八巻未刊)がある。

その後幸いなことに、『楽天』北沢楽天顕彰会、昭和五十五年)や『東京パック』(「漫画雑誌博物館」5、同書刊行会、同六十一年)の復刻が出され、そこに収録された年譜などによって、近代漫画の始祖ともいうべき楽天の詳しい生涯が明らかになっているので、さらに補足してみる。

楽天は横浜でオーストラリア出身の漫画家F・A・ナンケベルに出会う。彼は居留地の週刊英文新聞『ボックス・オブ・キューリオス』に漫画を描いていて、楽天に西洋漫画の描き方を教え、彼も同紙に発表するようになった。明治三十二年に福沢諭吉楽天の才に注目し、時事新報社に招いた。そして楽天の提言に従い、『時事新報』に「時事漫画」欄を設け、その主筆の地位を与え、その頃から楽天ペンネームを使い始める。

「時事漫画」欄が江湖に迎えられ、他社もそれに追随し、漫画ブームの趣を呈してきたこともあって、楽天は『団団珍聞』や宮武外骨の『滑稽新聞』に続く諷刺雑誌を企画し、有楽社の中村弥二郎を説得し、『東京パック』を創刊した。有楽社については本連載247などでふれているので、よろしければ参照されたい。明治三十八年に創刊された『東京パック』は四六四倍判の大型サイズ、全ページカラーで漫画という斬新さによって評判を呼び、翌年には表紙に「主筆北沢楽天」と謳って、月二回刊、四十年には旬刊となり、最盛期には月六万部に達したという。漫画は楽天の他に坂本繁二郎、川端龍子、山本鼎、石井鶴三、太田三郎なども描き、彼ら以外にも多くの弟子たちを育て、画号に「天」の字を与え、四十一年には児童誌『フレンド』も創刊に及んでいる。

団団珍聞 (『団団珍聞』、国書刊行会復刻)滑稽新聞 (筑摩書房)
これは『楽天』に紹介されているのだが、楽天は多くの弟子を育てたことによって、「漫画界の岡倉天心」とされている。しかし一方では福沢諭吉の弟子であるので、『学問のすすめ』の書き出しをもじって「楽天は天の下に天を造るといへり」と揶揄したという。このエピソードからも、いかに「天」の字をつけた弟子が多かったかがわかるであろう。

しかし明治四十五年になって、中村弥二郎が他の事業で失敗し、有楽社と『東京パック』は借金のために債権者の手に渡ってしまう。そこで楽天は退職し、第一次『東京パック』は終わり、楽天のいない第二次『東京パック』がスタートするのである。その編集に、江戸川乱歩がデビュー前に一時期携わっていたことも付け加えておこう。

有楽社を退職した楽天はただちに独自で漫画雑誌『楽天パック』、及び婦人向け娯楽雑誌『家庭パック』を創刊する。だがこれもよくある話だが、有能な漫画家、編集企画者だったとしても、出版経営は別の話で、この二誌は二年半ほどで廃刊になってしまう。風刺漫画ブームが日露戦争によって支えられていたこともあり、それが下り坂になっていたことも作用しているのだろう。

そこで楽天は『時事新報』の仕事に戻り、大正七年頃には弟子を養成するための漫画好楽会という研究会を結成し、その成果を、新聞日曜付録として定期刊行されるようになった『時事漫画』に掲載させた。そのかたわらで、大正時代には岡本一平が登場し、『朝日新聞』に新しい漫画を発表するようになり、楽天と並んで、日本漫画界の双璧と称された。

このような大正時代における漫画状況を背景にして、昭和円本時代を迎え、アトリエ社から『楽天全集』が刊行されたのである。私が所持するのは第五巻と七巻で、前者は『世界外交戦争漫画集』となっていて、「日露戦争篇」も含まれ、これらが年月の表記から『東京パック』掲載のものだとわかるのだが、国書刊行会の復刻ではほとんど見ることができない。

『楽天』において、この『楽天全集』は「明治二十九年から三十有余年に亘る楽天の画業の集大成として計画され、当初は十二巻の予定だったが、出版元の経済事情から、七巻で中止のやむなきに至ったのである」とされている。巻数に関しては前掲の『日本近代文学大事典』の説明よりも、こちらのほうが正しいように思われる。

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