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古本夜話898 情報局記者会編『大東亜戦争事典』と大本営海軍報道部『珊瑚海海戦』

 これまで本連載で言及してきた大東亜共栄圏や南進論などに関する大半が立項収録されている事典があり、それは前回の高丘親王も例外ではなく、次のように見出される。

 真如法親王 金枝玉葉の御身を似つて今から千百年の昔、仏道の奥義を求められて御渡印の途次昭南島付近に薨去遊ばされ御骨を南地に埋め給ふた。南方渡海の魁けを遊ばされた真如法親王の御名と御偉業は昭南島新生の息吹の裡に銃後国民の胸に蘇つて来、今更に偲びまつられてゐる。(後略)

 この立項は二段組一ページ近くに及び、「昭和十七年二月十二日、衆議院建議委員会では親王の御偉業に就ひて政府に調査研究を依頼する建議書を可決した」と結ばれている。とすれば、高丘親王は大東亜共栄圏と南進論の「魁け」として位置づけられ、いってみれば、大東亜戦争下で再発見されたことになろう。

 これを記しているのは情報局記者会編『大東亜戦争事典』で、昭和十七年に「編者代表者」を松本勇造とし、発行者を重山元とする、京橋区築地の新興亜社から出されている。立項は千三百ほどに及び、四六判、並製、四六四ページ、初版は五千部、定価は二円である。その「はしがき」の最初の一項を挙げてみる。
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 大東亜戦争の開始とともに、日本人の目は日本的視野から急激に世界的視界に拡大された。何もかもが大規模となり、新しい用語や、今まで知らなかった地名や人名が、或は記憶する暇のないほどの新しい事件が次々と登場して来る。そして大東亜戦争が総力戦である限り、一億国民は残らずこれ等の新事態を正しく理解しなければならない。本事典はその絶好の伴侶としてまた手引きとして編纂されたものである。

 この事典を編んでいる情報局記者会に関して説明しておく必要があるだろう。情報局とは昭和十五年以後の内閣情報局のことで、情報を収集、統制し、世論を操作するための国家機関であり、言論、文化、マスコミ統制に大きな力を発揮し、『週報』や『写真週報』を刊行していた。情報局の全体の活動については、山中恒『新聞は戦争を美化せよ!』(小学館)、『写真週報』に関しては玉井清編『戦時日本の国民意識―国策グラフ誌「写真週報」とその時代』、同編『「写真週報」とその時代―戦時日本の国民生活』(いずれも慶応義塾大学出版会)、保坂正康監修、太平洋戦争研究会著『「写真週報」に見る戦時下の日本』(世界文化社)を参照されたい。

新聞は戦争を美化せよ! 戦時日本の国民意識―国策グラフ誌「写真週報」とその時代 「写真週報」とその時代 「写真週報」に見る戦時下の日本

 また情報局組織図などについては『マスメディア統制』2の「情報局/組織人機能」(『現代史資料』41、みすず書房)が詳細を極めている。そのような情報局であるから、当然のようにマスコミの集まりである記者会が寄り添い、所謂記者クラブが設立され、その延長線上に『大東亜戦争事典』が編まれることになったと推測される。版元の新興社とは支那事変絡みの経済業務を担う興亜院と関係しているのではないだろうか。
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 しかしその一方で、軍事情報を含めた統制一元化は実現しなかったことにより、大本営陸海軍報道部は存続していた。それらは他の出版社と提携し、出版物を別個に刊行していたのである。そうした一冊も入手している。それは編者を大本営海軍報道部とする『珊瑚海海戦』で、昭和十七年十二月に文藝春秋社から初版三万部で刊行されている。これは同年五月のニューギニア島東南部における日本機動部隊による海戦である。同書は十六枚の口絵写真を通じて、帝国海軍とその航空部隊による米空母などの大破や沈没を示し、七つのレポートと巻末の「大東亜戦争日誌」において、「五月六日よりはじまる珊瑚海海戦、わが圧倒的勝利の下に終了」と記している。
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 ところが『日本近現代史辞典』(東洋経済新報社)などによれば、実際にはこの海戦の結果、オーストラリア北方海域制圧の困難は明らかになり、モレスビー海路進攻作戦は陸路侵攻へと転換され、ガダルカナル戦に至り、この敗北によって戦局の主導権はアメリカの手にわたったとされる。とすれば、この『珊瑚海海戦』という一冊も所謂「大本営発表」の言説を形成していたことになろう。
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 同署の巻末の案内によれば、これは「大本営海軍報道部監修/海軍報道班員現地報告」シリーズの第三輯に当たり、第一輯は『ハワイ・マレー沖海戦』、第二輯『スラバヤ・バタビヤ沖海戦』が既刊、第四輯『ソロモン海戦』が近刊で、「以下続々刊行」とされている。そこにはこの企画のコンセプトも提出されている。
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 大東亜戦争の進展と共に逐次発表される海軍報道班員のペンとカメラの現地報告を大本営海軍報道部の責任ある監修の許に収録したものであつて、戦時下全国民に聖戦の真精神と帝国海軍の勇戦敢闘の実態を具体的に明示すると共に将来大東亜海戦史の重大資料として永く児孫に読み継がるべき保存本たらしめんとして企画刊行せられるものである。

 このシリーズが何冊出されたかは不明だが、文藝春秋社にとっても、初版三万部、しかも製作費も海軍から助成金、もしくは大部数の買い上げが生じていたはずだから、いかにおいしい出版であったかがわかるであろう。それもあってか発行者は菊池寛ではなく、親族の菊池武憲になっているが、敗戦後、出版人がGHQによる追放や逮捕などを恐れたのは、このような出版にあったことは明白で、実際に敗戦とともに菊池は文藝春秋社を解散している。

 だが大本営陸軍報道部のほうとタイアップしたのはどの出版社だったのだろうか。残念ながら、まだそのような一冊と出会っていない。


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