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古本夜話 番外編その三の4 伊臣眞『観劇五十年』

 鱒書房「新日本文化史叢書」の「五十年史」シリーズにちなんで、ここで伊臣眞の『観劇五十年』にふれておきたい。同書は十年以上前に入手しているのだが、著者や版元に関して、ずっと手がかりがつかめない一冊だったのである。

(『観劇五十年』)

 三宅周太郎『演劇五十年史』との関連を確認するために、あらためて平凡社『演劇百科大事典』第六巻の「参考文献」を繰ってみた。ところが三宅の外に、大山功『新劇四十年』(三杏書院、昭和十九年)、戦後の柳永二郎『新派の六十年』(河出書房、同二十三年)、土方与志他『新劇の40年』(民主評論社、同二十四年)、戸板康二『演劇五十年』(時事通信社、同二十五年)は挙がっているけれど、伊臣の『観劇五十年』は見出せない。

   新劇の40年 (1949年)  

 そうはいっても、伊臣の著書は菊判ジュート装、本文五二四ページ、明治十八年から昭和十一年にかけての「演劇年表」一四六ページに及ぶ大冊で、演劇史から見て看過できない一冊のように思える。明治十八年の「五十年前の舞台」から始まって、俳優などの演劇の構成機関、劇場街と劇場構造の変遷、観劇と観客層、劇場の経営者とその経済の内実、さらには歌舞伎俳優、新派、女優劇、児童劇、農村劇場、喜劇、新劇にまで筆は及んでいる。それだけでも伊臣が劇場経済に通じた演劇の特異な観巧者であることが伝わってくる。

 しかもその「序文」を寄せているのは、日本演劇史の第一人者といっていい伊原青々園に他ならない。そこで伊原は日本の演劇に関して、「専制君主として王座に登つて居た」、「明治三十六年の団菊他界によつて大きな境界線が描かれ」たとして、次のように述べている。

 団菊の両優が去つてから、俳優の威力は次第に減じて、他の威力が頭を擡げて来た。それは第一に資本主である。第二に世論である。第三に作者や演出家である。昔も俳優以外のそういふ威力が全く無いではなかつたが、俳優に対しては殆ど白日の燈火であつた。それが今日では冠覆を顚倒する有様にならうとして居る。演劇そのもののために、いづれを可とし、いづれを否とすべきかは茲に断言するを憚るが、とにかく斯様な趨勢はこれからもますます激甚となるに違ひない。
 かくのごとき劇団の変動を、過去から現在まで五十年の間、始終局外の高所から瞰下しつゝその実相を叙したものが、わが伊臣眞君の「観劇五十年」である。著者はもと実業家の出身で、文筆はその本業でないが、自ら脚本を作り、また自らこれを演じた才人である。生来劇を嗜んで劇場に出入りし、その鑑識に秀づるのみならず、俳優に眼近して頗る梨園の内情に通じて居る。しかも彼れの視野はさういふ芸術の方面ばかりでなく、実業家としての積年の経験から、興行政策や経営法についても多大の関心をもつて居る。

 この伊原の「序文」には所謂「演劇の近代」とその後の動向が語られているし、そのプロフィルが定かでない伊臣の立ち位置も言及され、『観劇五十年』の「独特の長所と異彩」を伝えていることになろう。それはこの版元についてもいえることで、同書は昭和十一年初版で、私の手元にあるのは十三年の再版だ。定価は三円三十銭、発行所は中野区天神町の「観劇五十年」刊行所、発行人は同所の吉岡文次郎となっている。ちなみに奥付によれば、伊臣の住所は牛込区若宮町で、牛込といえば、装幀と口絵などを担っている鏑木清方も同じ住人だったし、そのことも関係しているのかもしれない。

 しかしそれらの出版の事実と重なってしまうのが、奥付検印紙に示された「SHINYOSHA KENIN」である。これが「観劇五十年」刊行会印ということならば、何の疑問も生じない。しかし伊臣らしき判の背後にそれが認められるのである。「SHINYOSHA」を『日本出版百年史年表』で引いてみたけれど、それに該当する出版社は見当たらないし、『出版人物事典』にしても同様である。

 それならば、もしくは吉岡の関係する会社が「SHINYOSHA」で、『観劇五十年』の出版のために、そのような検印紙をあつらえたということなのだろうか。それにまたこれは再版の事実であっても、初版は異なっていたのかもしれない。そうした出版の「独特の長所と異彩」のことも作用し、『観劇五十年』は『演劇百科大事典』にも見出されないように、演劇資料として後世に伝えられず、忘れ去られていったのかもしれない。


【付記】 
『日本出版百年史年表』において、昭和十一年十月の出版物として、新陽社『観劇五十年』が掲載されている。また国会図書館で検索したところ、『観劇五十年』は昭和十一年刊行で、出版者は新陽社あるいは観劇五十年刊行会とある。それゆえに「SHINYOSHA」は演劇、特に歌舞伎関係書や詩集などを出版していた新陽社だと思われる。(注:編集者)



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