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古本夜話 番外編その三の5 岩本和三郎と双雅房『清方随筆選集』

 前回、伊臣眞『観劇五十年』の装幀と口絵が鏑木清方によることにふれたが、数年前に『清方随筆選集』を入手している。これは四六判、六七六ページだが、昭和十九年九月という出版状況下にあって、粗悪で薄い用紙が使われていることに加え、第五部にあたる「絵具筥」二一〇ページはポイントが落とされ、活字が小さくなっている事情を考えれば、さらにページ数は増えていたはずで、立派な一巻本選集と見なすこともできよう。

(『観劇五十年』)   (「絵具筥」)

 『日本近代文学大事典』の清方の立項において、彼の随筆集の集成のように書名が挙げられているのはそうした事情によっていよう。ちなみに清方はその「付記」で、「作者の随筆は本業たる絵画と不可分の関係あり。絵画の表現に過せざるもの文に依り舒ぶ」と述べている。それらは先の「絵具筥」の他に「こしかたの記」「四季しのぶ草」「東なまり」「道中硯」に分かれている。

 このうちの「こしかたの記」が戦後の正続『こしかたの記』(中公文庫)へと結実していったのであろう。それらは『銀砂子』(岡倉書房、昭和九年)、『築地川』(書物展望社、同年)、『褪春記』(双雅房、同十二年)、『盧の芽』(相模書房、同十三年)からの自選によって編まれている。

こしかたの記 改版 (中公文庫 R 43)    

 これらの版元も挙げたのは、双雅房の岩本和三郎との関係からだ。岩本の名前は『出版人物事典』などには見えていないけれど、出版史には記憶されるべき人物だと思われる。拙稿「石塚友二と沙羅書店」(『古本探究Ⅱ』所収)において、岩本が東京堂出版部に在籍していたが、昭和六年創刊の『書物展望』編集同人となり、書物展望社に深く関わり、東京堂から身を引いたことにふれている。その一方で、同じく東京堂に勤めていた石塚も、書物展望社の嘱託となり、その後に沙羅書店を創業しているので、岩本のほうも双雅房を設立に至ったと推測される。

 古本探究 2

 そのように考えてみると、清方の『築地川』と『褪春記』の出版、それに続くやはり双雅房の挿絵入随筆集『御濠端』を受け、一巻本選集『清方随筆選集』が成立したとわかる。ただ残念なことにこれらの清方の単行本はすべて未見である。それでも『鏑木清方 逝きし明治のおもかげ』(『別冊太陽』)において、書影だけは見ている。

 鏑木清方: 逝きし明治のおもかげ (別冊太陽 日本のこころ 152)

 それらのことはひとまずおくとしても、かつて『鏑木清方随筆集』(岩波文庫)を読んでいただけで、清方に馴染んでいたとはとてもいえないけれど、その文体は端正であり、岩本素白の随筆を想起してしまった。そうした視座からすれば、『清方随筆選集』にしても、「春侘びし」や「菖蒲湯」としった随筆を取り上げるべきかもしれないが、本探索の出版史の絡みからいって、まったく散文的な「牛込話」に言及してみる。そこでは清方は硯友社時代の尾崎紅葉と泉鏡花を語り、後藤宙外編集の『新著月刊』の山岸荷葉の小説の口絵を描いたこと、それが清方の小説雑誌の初めてのもので、紅葉の「賛」をもらったことから始められ、次のような挿絵事情にもふれられていた。

鏑木清方随筆集 東京の四季 (岩波文庫 緑116-1)  

 その頃春陽堂と博文館とは小説出版の王国であつた。春陽堂の「新小説」博文館の「文芸倶楽部」その二大雑誌に採用されることによつてのみ、当時の文士の社会的地位は極まつたので、挿絵画家といへどもその支配から脱することは出来ない。小説でも巻頭へ載れば大したもので、それは一流の大家のものか、然らずんば売出しの花形で、中古の二流作家や、駈け出しの青文士はとてもその王座には上れなかつた。
 絵の方でも口絵と挿絵とがある。挿絵の分は編輯者に近づきがあるか、文壇の利け者の口添でもあれば描かしてもらふことも、さう難事ではないが、口絵となるとなかな手軽くは行かない。桂舟、永洗、年方、華邨、半古、それらの専門の挿絵作家といふべき大家の他に、省帝、廣業、などといふ人たちも控へてゐるし、編輯者が描かしてくれる腹はあつても、小説家の方ではなかなか承知してくれない。(後略)

 それでも清方の場合、明治三十三年に『新小説』の川上眉山の小説の口絵を頼まれ、挿絵の注文も入ってくるようになったが、念願の泉鏡花の挿絵などには縁がなく、それは翌年の鏡花との出会いを待つしかなかったのである。これが『近代出版史探索Ⅶ』1369などの昭和における挿絵事情と異なる明治後半の事実であったのだ。

 この一文を草するために久し振りに『鏑木清方/山口蓬春』(『現代日本の美術』5、集英社)を取り出してみた。するとそこに「一葉女史の墓」や「一葉」という肖像画、及び「にごりえ」の挿絵に再会することになり、このような一文をしたためることになったのである。


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