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古本夜話750 宮尾しげを、『をどりの小道具』、能楽書林

 前回の小寺融吉『郷土民謡舞踊辞典』には民謡舞踊に伴う様式や、身体の動きを描いた多くの絵画が添えられていた。だがそれにふれられなかったので、続けてもう一編書いておきたい。
郷土民謡舞踊辞典 (復刻)

 まだテレビがなかった戦前の時代において、このような辞典を編むに際し、ヴィジュアルなイラストなどが不可欠である。『郷土民謡舞踊辞典』の場合、それらは歌や踊りにまつわる風俗画の転載、及び宮尾しげをによる絵画が担っている。ここで言及したいのはこの宮尾に関してで、そのような地方の民謡や舞踊を描けるのは、彼が民俗学に通じて画家であることを示してもいるからだ。宮尾は本連載365の岡多くおオックの単行本を出し、漫画家として知られていた。だがその後は集古会や民俗学の近傍にいたはずで、思文閣出版の『集古』全冊復刻は、宮尾の架蔵本に基づくものである。そのような宮尾の立ち位置ゆえに、小寺との関係も成立したと思われる。

 そうした民俗学を通じての小寺と宮尾の関係を伝える一冊がある。それは戦前の本ではないけれど、両者と新井国次郎の三人を著者とする『をどりの小道具』で、昭和二十八年に能楽書林から刊行されている。同書は菊判上製二八八ページの一冊だが、宮尾の手になる個道具をあしらった装丁で、江戸時代の風俗画の趣きを感じさせてくれる。まさにタイトルどおり、これは「江戸歌舞伎の所作事に現はれた小道具」に基づく「踊の小道具」の絵入り研究といえる。
をどりの小道具

 宮尾と小寺の連盟による「序」によれば、東京には踊の小道具専門店の老舗が三軒あり、それは親戚同士の新井、荒澤、司田で、そのうちの新井国次郎=蔦米(つたよね)の口述で、小寺が文章化し、宮尾が絵を添え、長唄、常磐津、清元物の三つの分野を取り上げ、上梓したものだとわかる。しかも宮尾と小寺がこの踊の小道具の研究を始めたのは十年以上前で、それが江戸時代の風俗史のための有力な参考資料になることを自覚し、日本青年館の雑誌『会報春秋』などに連載したことも語られている。これらの事実から考えると、宮尾と小寺は『郷土民謡舞踊辞典』のコラボレーションをきっかけにして、そのまま手を携え、踊の小道具の研究に向かったことになり、『同辞典』『をどりの小道具』は地続きの関係にあることが了承される。

 それにつけても考えさせられるのは、戦後になっても、このような古典芸能ともいうべき分野に関する専門書出版社が存在していたことで、能楽書林はそうした版元だった。このことは巻末の「能楽書林図書目録」にも明らかであり、能勢朝次『能楽研究』、野上豊一郎『能二百四十番』、坂元雷鳥『謡曲研究』、金春惣一『太鼓全書』、幸祥光『小鼓入門』などが並んでいる。それらは小津安二郎の同時代の映画『晩春』などに能の舞台が見えていたことを彷彿とさせ、また高度成長期以前の昭和二十年代には古典芸能が社会にあって、現在とは異なるかたちで息づいていたことを教えてくれる。

能楽研究 太鼓全書(『太鼓全書』) f:id:OdaMitsuo:20180202160404j:plain:h120(『小鼓入門』)晩春

 それにこの能楽書林は作家の丸岡明を社長とすることで、文学界ではよく知られていた。なぜか『日本近代文学大事典』の立項ではふれられていないけれど、『出版人物事典』にも立項されているし、それを引いてみる。
出版人物事典

[丸岡明 まるおか・あきら]一九〇七~一九六八(明治四〇~昭和四三)能楽書林社長。東京生れ。慶大予科在学中に水上滝太郎の推薦で『三田文学』に載った。「マダム・マルタンの涙」で文壇に出て創作活動を続け、戦後、『三田文学』を復刊、遠藤周作ら多くの新進作家を育てた。能に取材した「豹の沙汰」をはじめ、「贋きりすと」「静かな影絵」など多くの作品がある。父・桂の創業した能楽書林の代表となり、一九五四年(昭和二九)以来、三たび渡欧、能楽の普及や外国公演を推進した文化交流の功績に対して、フランスから叙勲された。

 また続けて、思いがけずに、その「父・桂」も立項を見出したので、それも示しておく。こちらも『日本近代文学大事典』に立項されていないからでもある。

[丸岡桂 まるおか・かつら]一八七八~一九一九(明治一一~大正八)能楽書林創業者。東京生れ。落合直文のあさ香社から出て、曙会、莫告藻会(なのりそかい)を結成、歌誌『あけぼの』『なのりそ』を発刊、新派歌人として知られ、歌集『長恨』などがある。一方、能楽研究に専念、一九〇七年(明治四〇)観世流改訂本刊行会を創業(昭和一一年合資会社に改組し、丸岡出版社と改称)、昭和二四年、合名会社能楽書林と改称、観世九暃会(きゅそうかい)の初代清之(きよし)と協力して、現在使われている節付けのなされた革命的な謡本をつくり、謡曲本の専門出版社としての基礎を築いた。

 この両者の立項によって、戦後の能楽書林へと至る軌跡、丸岡桂から明への継承をたどることができる。しかし昭和二十八年刊行の『をどりの小道具』の奥付は発行住所が神田神保町、発行者が丸岡大二となっている。この人物は桂の次男で、戦前に丸岡出版社を継承し、その後も実質的に能楽書林を担っていたことを意味しているのだろう。このことと能楽書林の出版物の全貌は明らかにされていないように思える。


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