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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1387 森鷗外訳『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』、自由劇場、画報社

 続けてふれてきた国際文化研究所や『若きソウエート・ロシヤ』などからわかるように、戦前において、秋田雨雀は社会主義や演劇運動のキーパーソンの一人であった。この際だから、そこに至る雨雀の前史を見ておこう。『雨雀自伝』(新評論社、昭和二十八年)において、明治四十年から大正三年にかけては「舞台上の自然主義時代」と題され、『新思潮』の編集に携わる一方で、イプセン会の文学者たちともつきあい、ロシア文学へとも引きずりこまれていったと述べられている。またその他の外国文学の翻訳状況も語られているので、それを引いてみる。雨雀は二十歳で、明治四十一年のことだった。

 

 他の国の文学では、森鷗外によって、シュニッツレル、ヴェデキント、ヘルマン・バールウが翻訳されていた。飯田旗軒のゾラの「巴里」の発売を禁ぜられたのもこの年であった。この時代の森鷗外の文壇的功績は記憶されなければならない。彼は日本における自然主義文学の勃興期に大して活躍していなかったが、自然主義が爛熟期に入り、自家中毒を起しかけているとき、これに刺激を与え、この運動を演劇活動の上に移行させたものは彼であった。日本における舞台上の自然主義運動は森鴎外の持っていた一種の推進力によって強められたものであった。

 この鷗外の「舞台上の自然主義運動」は具体的にいえば、イプセンの鷗外訳『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』と自由劇場による第一回試演をさしているのだろう。『近代出版史探索Ⅱ』204で、明治末から大正にかけての活発な劇団や試演会の設立、及びそのトレンドに伴う戯曲や脚本シリーズの出版にふれているが、自由劇場は明治四十二年に小山内薫と歌舞伎俳優市川左団次によって設立された最初の近代演劇団で、同三十九年結成の坪内逍遥たちの文芸協会と並ぶ存在であろう。また『日本近代文学大事典』の自由劇場の立項には『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』の舞台写真も収録され、そこから近代演劇運動も始まったことを伝えているかのようだ。

 実はこの鷗外訳『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』が手元にある。例によって浜松の時代舎で購入したもので、裸本だが、四六判上製、三五九ページの一冊で、そのまま脚本、台本として使われたであろうと推測できる活字の組み方、造本である。その事実を肯うように本扉には「自由劇場用脚本無断興行を禁ず」との断わりが記されている。

OD>昭和初期世界名作翻訳全集 18 ジョン・ガブリエル・ボルクマン (『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』、ゆまに書房復刻)

 奥付を見ると、明治四十二年十一月の刊行で、定価一円とあり、当時の文芸書としては低価格だと考えられるので、かなり初版部数は多かったのではないかと思われる。発行所は本郷区切通坂町の画報社、発行者は神田区小川町の木澤孚で、版元も発行者もここで初めて目にする。『日本出版百年史年表』にも見当たらない。そこでプロパーの『演劇百科大事典』(平凡社)も繰ってみたのだが、やはりそれらの手がかりはつかめない。想像するに当時の所謂「戯曲熱」、「演劇熱」の端境期にあって、雨雀ではないけれど、その渦中に引きずりこまれたのが発行者と版元だったのではないだろうか。それは急ごしらえの出版社だったとも見受けられるし、発行者と版元の住所が異なっているのも、その事実を語っているようにも思われる。

 しかしそうした出版事情が秘められているにしても、奥付の著作者森林太郎の下に押されている大きな「森」の印は、百年以上を閲しているのもかかわらず、褪色しておらず、あたかも最近押されたかのようで、赤く生々しい。鷗外自身によるとは思われないが、「戯曲」、「演劇」の時代の痕跡と見なしたい気にさせられる。それに加えて、この鴎外訳の一冊を読んでみると、同書が自由劇場初演のための脚本で、実際にこの『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』をもとにして演じられたことを想像し、その読み合せや稽古の現場に立ち会っている錯覚も生じてくる。

 幸いにして、先の『演劇百科大事典』には『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』の立項が見出される。

 ジョン・ガブリエル・ボルクマンJohn Gabriel Borkman ノルウェーの戯曲。四幕。H・イプセン作。一八九六年、「小さなアイヨルク」につづいて故国で書かれた晩年の作品。九七年一月のリスチャニア、ストックホルム、コペンハーゲンで初演された。強烈な自我をあくなき野心に倒れたボルクマンが、敗残の身を一室に閉じこめて八年たったある冬の物語。未来を託した一人息子のエルハルトの家でから絶望の極におちいったボルクマンは、かつての恋人エルラ、妻のグンヒルト姉妹の見守る中に、ふたたび栄光の幻想につかれながら雪の崖に息絶える。権力への妄執から愛を売った超人ボルクマンの悲劇は、我欲と執着の老境に達したイプセンの新時代の到来にたいするあこがれと恐怖の告白であり、現代社会にたいする痛烈な批判である。日本では明治四二年一一月小山内薫と二世市川左団次で自由劇場の旗揚げ公演で初演した。

 残念ながら鷗外訳には言及もなく、添えられた写真は大正十三年築地小劇場公演のもので、誰がボルクマンや妻のグンヒルト、息子のエルハルトを演じたかは明記されていないけれど、大正後年になっても、イプセンと『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』の時代が続いていたことを教えてくれる。

 このような明治から大正にかけての演劇の時代を背景にして、昭和円本時代を迎え、拙稿「第一書房『近代劇全集』のパトロン」(『古本屋散策』所収)、『近代出版史探索Ⅲ』550の近代社『世界戯曲全集』、同551の国民図書『現代戯曲全集』、同552の春陽堂『日本戯曲全集』などが刊行されていくのである。その中に雨雀の前史はあったことになろう。

(『近代劇全集』)(『世界戯曲全集』) (『現代戯曲全集』)


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