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古本夜話175 阿野自由里『ミスター弥助』

もう一冊、大正時代の小説とも旅行記とも見なせる作品を紹介しておきたい。それは阿野自由里の『ミスター弥助』で、これも本連載170の『飢を超して』と同様に、均一台から拾ったものである。これは記さなかったが、171の大泉黒石の『老子』と同様に耳本というのか、濃紺の布表紙が耳折れになっていて、当時の装丁として流行っていたのであろうか。また洋書の造本を意図したのか、裏表紙にそれを意味しているのではないかと推測される横文字が小さく表記されているが、残念なことに読み取れない。

『ミスター弥助』は文教書院から刊行されていて、大正十二年五月初版、同十四年三月六版となっているので、それなりに売れた本だったのではないだろうか。『飢を超して』が『革命の前』とつながる宗教小説のラインに位置していたとすれば、『ミスター弥助』は佐藤吉郎の『黒流』といったアメリカと移民の物語の領域にあると見なせるだろう。しかもそれは『黒流』に示された「叛アメリカ」的物語ではなく、中扉のタイトルには『ヤンキー化する迄のミスター弥助』と記されているように、「親アメリカ」的物語を形成し、また「この書を亜米利加土産として老いたる父母に捧ぐ」とあるように、小田実の戦前版『何でも見てやろう』的観察と体験から構成されている。それらの「親アメリカ」的な観察と体験は「ミスター弥助」の「ヤンキー化」した肖像、それは著者阿野自由里に他ならないだろう、から始まり、様々な写真によって彩られ、大正時代にこのようなアメリカ体験があったのだということを教えてくれる。そしてこの四百三十ページ近い体験記にあって、六十を超える小見出し的目次も、そうしたリアルなアメリカ体験を彷彿させる役割を果たしているように映る。
[f:id:OdaMitsuo:20101013213315j:image:h115] 『黒流』  何でも見てやろう

弥助がアメリカのタコマに上陸したのは第一次世界大戦が始まった大正三年十二月のことだった。有島武郎や永井荷風のアメリカ時代からほぼ十年後であり、弥助は彼らと異なり、裸一貫の身で商船会社の半荷物船から降り立った。唯一の荷物はスーツケースだけだった。税関検査の後、船で一緒だったアメリカ在住の日本人を先導者として、タクシーに乗り、タコマの日本ホテルへと向かう。そして弥助の前で、実際にアメリカと英語が動き出す。

 タキシと言ふ物に始めて乗つて弥助は人力車の無い不便を知らずにすんだ。チャージが幾らかと言ふ言葉を聞いてチャージとは賃金、値段と言ふ事だなと新しい言葉を覚えた気持がした。弥助の亜米利加に渡つた当時は日本には未だにタキシと言ふものは無かつた、英語も日本では流行して居なかつた。よし流行して居た所で、其れは徳富蘇峰の静思余録で覚えたインスピレーションとか、藤村操の巌頭の感で知つたオーソリテーとか言つた宗教家や文学家の説明してかゝる言葉位のもので、実用的英語は弥助の智識範囲内には更に無かつた。無かつただけに、チャージと言ふ言葉が弥助には到底日本の学校などでは教はる事の出来ぬ文字であると有難く響いた。

少し長い引用になってしまったけれど、この冒頭の弥助の述懐の中に、大正時代における日本とアメリカの社会の比較状況、日本における英語の伝播と教育事情、さらに「宗教家や文学家」ではない弥助の立ち位置、及び感傷的ではない即物的なアメリカとの初めての出会いが表出しているように思われたからだ。実際にこのようなリアリズムが『ミスター弥助』全体を貫いていて、それがまさにこの旅行記の特色となっている。

二十年ほど前に、修道社の『世界紀行文学全集』を通読したことがあった。以前のことで断言はできないにしても、『ミスター弥助』のようなリアリズムは類書があまり見当たらない貴重なアメリカレポートに位置づけられるのではないだろうか。また彼もそれを自覚し、「グリーンボーイ」、つまり田舎者のリアリズム的思いを告白しているし、それゆえに奥付に示されているように版を重ねることができたとも考えられる。

同じような弥助の眼差しで、そのホテル、タコマの街、商船会社支店、YMCAとその運動場(ジム)などが詳細に描かれていく。後に弥助は船の設計製図の仕事につくことになるのだが、『ミスター弥助』を貫いている、正確に映していこうとする執拗なまでの記述と描写は、そのような弥助の職業的性格に基づくことに、半ばまで読み進めていって、ようやくわかることになる。

弥助はタコマからシカゴを経て、ニューヨークへ向かおうとする。それは大陸横断鉄道による旅で、彼は同じく日本からきた写真結婚者の女性をニューヨークへと同行してくるように頼まれる。そして弥助とその女性の汽車の旅が始まり、その二人の旅の過程、汽車の実態、様々なアメリカ乗客の姿などが、細部にわたる同じ筆致で描かれていく。シカゴに着くまでに四日もかかるのだ。
『ミスター弥助』の最初の章とでもいう部分を紹介しただけにすぎないのだが、著者の阿野の説明と描写がほとんど省略する方法によっていないこともあって、これ以後の弥助のアメリカでの生活、就職と仕事、様々な人々との出会い、英語の問題、第一次世界大戦と日本人、徴兵検査などの「ヤンキー化する」過程を伝えることができなかった。

しかしこの『ミスター弥助』は稀覯本ではなく、近年になって文生書院より「初期在北米日本人の記」として復刻されている。紹介が中途半端のままで終わってしまったので、興味ある読者はぜひ復刻版を読んでほしいと思う。なお阿野はもう一冊『良っちやんの紐育』という著作も出されているようだが、こちらは未見である。
初期在北米日本人の記 第1期別冊

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