2012-01-01から1年間の記事一覧
前回の『独歩名作選集』と大正三年の内外出版協会の倒産のことで思い出されたのは、それより八年前の明治四十年に破産した独歩社のことである。国木田独歩はその翌年に亡くなっているのだが、特価本と見なしていい『独歩名作選集』の出版は、この破産が尾を…
前回その後の内外出版協会の出版物をリストアップし、その1に大町桂月編著『作例軌範文章宝鑑』(以下『文章宝鑑』と表記)を挙げておいた。『独歩名作選集』の巻末二ページ広告は「大町桂月先生は遂に逝かれた!!」とあり、次のような文章が続いていた。 …
『アンダーカレント』と題された作品がある。鮮やかな紫みの青とされる花色のA5判のカバーに、一人の女性が川に沈んだオフェーリアのように横たわっている姿が描かれ、上の白い部分にこれもまた花色抜きで、そのタイトルが記されている。作者は豊田徹也で、…
『児孫の為めに余の生涯を語る』 前回予告したように、内外出版協会の終焉とその後について、レポートしてみる。山縣悌三郎は『児孫の為めに余の生涯を語る』の中で、大正三年における内外出版協会の終焉事情が営業不振のために、巨額の融通手形を発行するに…
出版状況クロニクル51(2012年7月1日〜7月31日)私は日常の習慣として、午前11時頃スーパーなどに買物に出かけている。たまたまその日は用事ができて行けなかったのだが、まさに同日同時刻に高齢者の運転する車が駐車場から猛スピードで同じスーパーに突っ込…
(愛蔵版) 水色はもちろんだが、水に関する物語も「ブルーコミックス」に属すると見なし、いくつか書いてみよう。漆原友紀の『蟲師』は連載中からのTVアニメ化に加え、大友克洋の脚本、監督で映画化されたこともあり、その特異な動物でも植物でもない生命の…
浜松の時代舎で東亜堂の佐々木邦訳『全訳ドン・キホーテ』を見つけたのであるが、その同じ棚には三十冊以上の佐々木の戦前の小説が並んでいて壮観であった。そのうちの一冊も購入してきたので、その本のことも書いておこう。それは昭和十六年に長隆舎書店か…
前々回に植竹書院のことを確認するために、宇野浩二の『文学三十年』などを再読し、島村抱月と片上伸の名前で出された『ドン・キホーテ』の翻訳は「村山何とかいう人」の名訳で、自分も牧野信一も愛読したし、植竹書院としては最も大きい仕事だったという記…
『Glaucos/グロコス』(以下『グロコス』とする)のタイトルの意味は最後の第4巻に至って、紅海におけるフリーダイビングで、200メートルの深度に挑むプロジェクト名にして、ギリシャ神話に登場する海の神とようやく紹介される。コミックでもあるし、里中満…
「胡蝶本」『刺青』前回植竹書院を取り上げたので、今回は籾山書店についてふれてみよう。といって私は初版本や美本にも通じていないこともあって、籾山書店の所謂「胡蝶本」に関してではない。もちろんほるぷ出版の復刻で、森鷗外の『青年』や谷崎潤一郎の…
硨島の『ロシア文学翻訳者列伝』には植竹書院のことも書かれている。硨島も参考資料に挙げているように、植竹書院については宇野浩二が『文学の三十年』(中央公論社)や『文学的散歩』(改造社、後に『文学の青春期』復刻沖積舎)の中で言及しているが、こ…
わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。宮澤賢治「春と修羅」もう一編、月にまつわるタイトルのコミックを取り上げておこう。それは最近作者の土田世紀が若くして亡くなったこともあって、ささやかな追悼に代えたいと思ったか…
硨島亘の『ロシア文学翻訳者列伝』は第三部第三章の「早稲田大学とロシア文学」が圧巻であり、そこに矢口達の名前も出てきて、次のような知らなかった事実を教えてくれる。 矢口の関心は恐らく泰西文学全般にあり、昭和の円本景気に伍して、かつての「アカギ…
前回取り上げた土方定一の『近代日本文学評論史』は、本連載203でふれた『ロシア文学翻訳者列伝』(東洋書店)の範となった一冊だと著者の硨島亘が書いている。そのこともあり、この機会に硨島の著作によって教えられ、啓発された事柄を何編か挿入しておきた…
前々回の『俺と悪魔のブルーズ』におけるテーマとしてのアメリカ音楽、しかも私はその悪魔を、フランシス・ベーコンが描いた肖像のようなと記したが、彼の画集が重要な役割を占め、さらに前回の『月光の囁き』のタイトルを組み合わせたかのような作品がある…
本連載209で、昭和九年に矢野文夫による全訳『悪の華』が耕進社から刊行され、その出版にあたって明治文学談話会の山室静と土方定一の助力を得たこと、耕進社が談話会の機関紙『明治文学研究』の印刷兼発行所だったことを既述しておいた。この事実は矢野もま…
前回左翼系出版社として補足を加えることができた一社に木星社書院があり、その社主が福田久道だと記しておいた。福田に関しては『日本近代文学大事典』に立項されているので、まずはそれを引いてみる。明治二十八年生まれは判明しているが、出身地、経歴、…
出版状況クロニクル50(2012年6月1日〜6月30日)今年もすでに半年が過ぎた。 出版危機は相変わらず深刻化する一方であるが、表面的には大きな倒産は起きていない。いわば擬似的な凪の状態に置かれているといっていい。しかしそれが嵐の前の静けさという不気…
前回少しだけふれた梅田俊英の『社会運動と出版文化』(お茶の水書房)は、大正デモクラシー期から始まる社会運動と出版文化の歴史をたどり、検閲を含めたその状況と動向を、サブタイトルにある「近代日本における知的共同体の形成」という視点から論じてい…
二十年以上前に古本屋の店頭で見つけ、表紙に創刊号と記されていたので、購入しておいた薄い雑誌があり、そのタイトルは『クラルテ』だった。菊判の表紙に赤く『クラルテ』、その上にフランス語のCRARTÈ がレイアウトされ、ビルの谷間に蠢く人々を描いた絵が…
少し前の山田たけひこの『マイ・スウィーテスト・タブー』に見たように、現代コミックは性とエロティシズムのテーマに果敢に挑み、これまでの文学や映画とはまた異なる様々な達成を遂げてきたと断言していいだろう。本連載でもそれらを取り上げてきたが、か…
前回、昭和五年に小牧近江が波達夫のペンネームで、ラディゲの『肉体の悪魔』をアルスから翻訳刊行し、発禁となったことを既述した。これはもう少し後のアルスに関する連載でふれるつもりでいたが、叢文閣との絡みもあるので、ここで書いておくことにする。…
これまでしばしば小牧近江と『種蒔く人』のことを取り上げてきたので、『足助素一集』に小牧の寄稿は見られないが、ここで叢文閣のとの関係を記しておこう。 小牧はパリでバルビュスのクラルテ運動に参加し、その日本での実現をめざし、大正八年に帰国する。…
ミシェル・パストゥローは『青の歴史』(松村恵理、松村剛訳、筑摩書房)において、色の歴史とはすべて社会史であり、その中でも青は歴史的問題を内包していると述べている。そして古代から近代に至る青の意味の変容をたどり、十八世紀末になってヨーロッパ…
私も『悪の華』は金園社の、矢野文夫のペンネームである北上二郎訳から入ったのであるが、金園社は所謂実用書出版社に属し、ボードレールの詩集の版元として似つかわしくなかった。しかし金園社のおそらく優に千点は超えるであろう、あまりにも散文的な実用…
昭和五年における足助素一の死によって、叢文閣には一応の終止符が打たれたと思われる。それは『足助素一集』が叢文閣から刊行されなかったことにも示されているだろう。しかし叢文閣は発行者と住所を変え、その後数年間にわたって存続していた。それを告げ…
中村珍の『羣青』を取り上げなければとずっと思っていたけれども、まだ下巻が出ていないこともあって、先延ばししてきた。その出版事情を記せば、上巻が二〇一〇年三月、中巻が一一年二月に出ているので、この刊行ペースから考えて、下巻が近々出されるので…
前回有島武郎の個人雑誌『泉』をめぐる取次正味についてふれたが、この問題に関する発言は、叢文閣の足立素一ならではのもので、他の出版者による同時代の正味に関する言及を見ていない。しかしあのように取次における高正味にこだわった、特異な性格とされ…
前々回ふれた『秋田雨雀日記』の大正十二年七月十日のところに、叢文閣の足助素一が有島武郎を死に追いやることになった最後の事件を告白し、『泉』の終刊号でそれらを発表することになったとの記述がある。それは有島の告別式の翌日のことで、その後も『泉…
山田たけひこは『柔らかい肌』『初蜜』から『マイ・スウィーテスト・タブー』に至るまで、一貫してぎこちないまでに真摯に「性」を物語のテーマにすえてきたといえるだろう。しかもその「性」の物語は、若き登場人物たちにおけるエネルギーとして表出し、そ…