2016-01-01から1年間の記事一覧
三回にわたって続けてふれてきたイブラーヒーム=イブラヒムが初めてに日本を訪れたのは、日露戦争後の明治四十二年だったことを既述しておいた。これは後に知ったのだが、彼はその記録を残していて、平成三年になって、それは「イスラム系ロシア人の見た明…
前回の若林半の『回教世界と日本』の中に、彼の盟友田中逸平の回教葬の写真が収録され、イブラヒムが読経する場面も写っていることを既述した。残念ながら若林は見当たらないが、田中は平凡社の『日本人名大事典』(『新撰大人名辞典』)に立項されているの…
出版状況クロニクル98(2016年6月1日〜6月30日)16年5月の書籍雑誌の推定販売金額は962億円で、前年比4.1%減。 書籍は461億円で、同3.2%減、雑誌は501億円で、同4.9%減。 雑誌のうちの月刊誌は401億円で、同5.7%減、週刊誌は99億円で、1.4%減。後者の近…
本格的に集めておらず、その方面の知識もまったく欠けているのだが、昭和戦前期にイスラム関係の書物がかなり多く出版されていて、先日もある古書市で五、六冊を目にした。この時代における日本とイスラムの関係の詳細をつかんでいるわけではないけれど、日…
前回、井筒俊彦と大川周明の関係について述べたが、両者に共通している事柄がある。それは二人が『コーラン』を訳していることで、井筒訳は昭和三十二年に岩波文庫の三巻本として刊行され、アラビア語からの名訳と評され、現在に至るまで読み継がれているが…
私は格別うれしくもなく、「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ。」 と言いました。太宰治『ヴィヨンの妻』窪美澄の『ふがいない僕は空を見た』は五つの短編、中編からなる連作集で、それは次のような構成になっている。 1 ミク…
前回挙げた大塚健洋の『大川周明』(中公新書)の中に、大川がポール・リシャールと親交を重ねる一方で、東亜経済調査局に採用され、その編輯部長となったことが記されている。てもとにその東亜経済調査局編の一冊があるので、大川とイスラムや井筒俊彦との…
もう一冊、警醒社発行の翻訳書があるので、続けて紹介してみる。それはリシャル著、大川周明訳 『永遠の智慧』で、大正十三年に刊行されている。以下リシャールと表記する。 この一冊を古本屋で買い求め、それからしばらくしてこれも本連載204でふれた、…
(集英社文庫) 前回の森絵都の『永遠の出口』の中で、主人公の紀子が高校生になり、欧風レストランでアルバイトをする一章が設けられていた。しかしその店名と上質な料理には言及したが、そこでのアルバイトの具体的な仕事と人間関係についてはふれてこなか…
本連載558で海老名弾正『耶蘇基督伝』の書名を挙げ、また同560でルナンの『耶蘇伝』を紹介してきたが、やはり明治三十五年に再版とあるロボルトソン・ニコル著、柏井園訳『基督伝』が警醒社書店から刊行されている。 [f:id:OdaMitsuo:20150908202802j:…
前回の『イエス伝』を著わしたルナンは、一八二三年にブルターニュに生まれ、聖職者を志し、パリのサン=シュルピス神学校で学んだ。だがヘーゲルなどのドイツ哲学の影響を受け、『聖書』の文献的研究に傾倒する中で、教会に懐疑的となり、正統的信仰を失い…
二一世紀に入り、新しい作家や新たな物語が出現し、それまでと異なる郊外や混住社会が描かれていくようになる。だがそれらはまったくかけ離れているわけではなく、地続きであり、二〇世紀の風景をベースにして組み立てられた二一世紀の光景のようでもある。…
前々回の井上哲次郎の『釈迦牟尼伝』が、マックス・ミューラーを始めとする六人の西洋の仏教と釈迦研究者の影響下に成立していることを既述しておいた。そこには仏教や釈迦の研究者ではないけれど、もう一人の名前を付け加えることができる。それはルナンで…
出版状況クロニクル97(2016年5月1日〜5月31日)16年4月の書籍雑誌の推定販売金額は1259億円で、前年比1.1%減 。 書籍は612億円で、同6.5%増、雑誌は647億円で、同7.4%減。 書籍の前年比増は、店頭売上は1%増であるけれど、石原慎太郎の『天才』(幻冬舎…
前回は井上哲次郎の『釈迦牟尼伝』だったが、それらの仏教書ルネサンスの動向に併走するように、明治四十五年に聚精堂から津田敬武の『釈迦像の研究』が出されている。これは古代から近代に至る釈迦像を収集し、その変遷を比較研究した一書で、具体的にそれ…
やはりどうしても国土計画のことが気にかかるので、もう一回書いてみる。 本間義人は『国土計画を考える』(中公新書)において、国土計画は「時の政治権力の最大の計画主題(つまり国策)実現のための手段として利用される」機能を有し、「時の国家権力の意…
かなり飛んでしまったが、本連載512、513、514などで続けてふれてきた仏教書の光融館や井冽堂と並んで、明治三十年代にやはり仏教書版元として文明堂がある。この出版社は、前回の井冽堂が加藤咄堂や南条文雄の民衆啓蒙教化本を柱にしていたように…
これは本連載170でもふれていることだが、大正文学や思想を考察する上で、筑摩書房から出るはずだった『大正文学全集』が未刊に終わったことは本当に残念至極というしかない。同じく筑摩書房の『明治文学全集』を抜きにしては、もはや明治文学や思想を語…
これは拙著『〈郊外〉の誕生と死』でも記しておいたことだが、一九五〇年代から六〇年代にかけて、私はずっと農村に住んでいた。当時の村は商品経済、つまり消費生活とは無縁に近く、それらはかなり離れた町で営まれているものに他ならず、何かを買うために…
前回の宮島新三郎と同様に、大正時代の英文学者、文芸評論家だった厨川白村も四十三歳で早逝している。それは鎌倉での関東大震災時の津波にさらわれたことによる死だった。厨川も残念なことに谷沢永一の『大正期の文芸評論』で取り上げられていないし、やは…
本連載では大正時代の出版物に言及することをひとつの目的としているし、このところずっと小説だけでなく、戯曲や旅行などにもふれてきた。だがこの際だから、ここで大正文学全体の位相を考えてみたい。私の場合、主として臼井吉見の『大正文学史』(筑摩書…
(第一部) (第二部) 本連載123『アメリカ教育使節団報告書』で、私もその一人であるオキュパイド・ジャパン・ベイビーズ、つまり占領下に生まれた子供たちが遭遇せざるを得なかったアメリカの影に覆われた教育状況に言及しておいた。だが教育状況だけで…
これは少しばかり番外編という色彩も帯びるけれども、本連載547などに関連し、しばらくぶりに『博文館五十年史』に目を通したこともあり、ここでその鉄道書や旅行書などについても記しておく。それらも大正時代を始まりとしているからだ。若い頃はまった…
前回『日本戯曲全集』にふれ、その箱文字が恩地孝四郎によるもので、これが同じく春陽堂の『明治大正文学全集』とも共通していることを指摘しておいた。 それに関連して装幀家の真田幸治の「雪岱文字の誕生―春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」(『タイ…
出版状況クロニクル96(2016年4月1日〜4月30日)16年3月の書籍雑誌の推定販売金額は1816億円で、前年比3.4%減。 書籍は1063億円で、同2.5%減、雑誌は753億円で、同4.7%減。 雑誌のうちの月刊誌は630億円で、同3.6%減、週刊誌は123億円で、9.9%減だが、3…
またしても戯曲全集のことになってしまうが、本連載の目的のひとつはできるだけ円本に関して言及することなので、やはりここで書いておきたい。それは春陽堂の『日本戯曲全集』全五十巻のことである。 (第21巻、『滑稽狂言集』) これは『日本近代文学大事典…
前回、前々回と続けて、大正末期から昭和円本時代にかけて近代社と新潮社の『近代劇大系』、同じく近代社『古典劇大系』『世界戯曲全集』、第一書房『近代劇全集』が連鎖するように刊行されたことを既述しておいた(『近代劇大系』)(『世界戯曲全集』)こ…
前回のニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』が範としたのは、一九八九年に刊行されたトマス・H・クックの『熱い街で死んだ少女』ではないかと述べておいた。さらにそれに関して補足すれば、デイヴィッド・グターソンの『殺人容疑』(高儀進訳)も同様だと…
前回の最後のところでふれた近代社の円本『世界戯曲全集』は一冊しか手元にないが、これもここで取り上げておこう。 かつて「近代社と『世界童話大系』」(『古本探究』所収)でも『世界戯曲全集』に言及しているけれど、それは第一書房の『近代劇全集』の側…
前々回の生田蝶介の処女作「今戸の家」に登場する女性がオスカー・ワイルドの『サロメ』を読み、マックス・クリンガーのセイレーンを彷彿させるということ、また前回の加能作次郎の出世作「厄年」における、結核を病む義妹が、イプセンの『海の夫人』に見え…