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古本夜話769 柳田国男『火の昔』とシヴェルブシュ『闇をひらく光』

 『実業之日本社七十年史』を読んでいくと、昭和十六年三月に『新女苑』が第一回文化講座を開催したことを知らされる。講師は佐多稲子、川端康成、柳田国男などで、「従来の女性向き講習会とは趣を異にした、講座の形式による充実した講師と講話とは、当時すでに文化的雰囲気に飢えを感じていた多くの女性に深い感銘を与えることができた」こともあり、この「新女苑文化講座」は十七年末までに四回開催され、いずれも多くの若い女性を集めて盛会だったとされる。

 『同七十年史』の中で、柳田の名前が出てくるのはこの部分と、昭和二十一年の柳田の『火の昔』の復刊のところだけだが、それを目にして、昭和十九年に『火の昔』が刊行されている理由がわかったように思われた。
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 それに関して、『柳田国男伝』は次のように記している。

 柳田と実業之日本社との関係にも、深いものがあった。直接の繫がりは、昭和十六年(一九四一)三月二十六日、同社発行の雑誌『新女苑』主催の第一回文化講座で、柳田が「楽しい生活」を講演して以来のことと思われる。戦時下の出版事情が悪いときでも、実業之日本社は柳田の『火の昔』(昭和一九年)の発行を引き受け、戦後は『柳田国男先生著作集』全十二巻(昭和二二~二八年)を刊行している。

 この記述は無理からぬことだが、少しニュアンスがちがうと思う。おそらく柳田は実業之日本社の『新女苑』などの雑誌に寄稿したことから、文化講座のメンバーに名を連ねた。そしてその後も三回催された「新女苑文化講座」において、『火の昔』の原型となる講演を行ない、それをベースとして、『火の昔』は書き継がれ、実業之日本社から刊行の運びになったのではないだろうか。それに「出版事情が悪いときでも」とあるけれど、この時代に柳田の著作は本連載457の創元選書に多く収録されたことで、売れる著者ともなっていた。それを示すように、『火の昔』の再版は一万部だから、初版はそれ以上だったと考えられるのである。

 柳田は大東亜戦争下において、女性と子どもに語りかける仕事を進め、後者が『火の昔』、『こども風土記』(朝日新聞社、昭和十七年)、『村と学童』(同、二十年)として結実したとされる。これらはいずれも『定本柳田国男集』第二十一巻に収録となっていること、及び柳田の子どもに読ませる「火の歴史」を書いているという発言をふまえて、『柳田国男伝』も同様の見解を示している。

 しかし実際に『火の昔』を読んでみると、これは子ども向けの「児童書」というよりも、現在の言葉でいえば、「ヤングアダルト」に向けて書かれた一冊であることが否応なく伝わってくるし、『明治大正世相篇』を彷彿とさせる火の歴史と変遷に他ならないことがわかる。そして何よりも、この『火の昔』は実業之日本社版で読まないと、そのアウラを感じられないし『定本柳田国男集』収録の『火の昔』は、まったく別の著作のように映る。

定本柳田国男集

 私の手元にあるのは、これも浜松の時代舎で入手した昭和二十一年三月の再版だが、『柳田国男伝』掲載の初版の書影と同じなので、そのまま再版されたと見なしていいだろう。このA5判並製の一冊は中村好宏の装幀によるもので、表紙の上の部分から5センチほどが朱の帯のように染められ、そこに黒抜きで『火の昔』というタイトルが置かれ、その下には火らしきものを手にした少女の姿が描かれている。そして柳田は火の話を始めていくのだが、それらには同じく中村による三十余に及ぶ火にまつわる道具などをめぐる挿画が付され、柳田の話体との絶妙な調和とイメージを喚起させてくれる。中村は春陽会に属する画家とされるが、同じ実業之日本社の『少女の友』などにも絵を寄せ、おそらく彼と同誌のセンスが表紙や挿画に投影されているのではないだろうか。
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 柳田は最初の「闇と月夜」で、まず燈火(ともしび)が出現する前の闇の暗さにふれ、「『親と月夜はいつもよい』といふ子守唄を、あなた方は聞いたことがありますか」と問いかける。そしてその「他人おそろし、やみ夜はこはい」と歌われる意味を明かしていく。それを読むと、昭和三十年代までの日本の田舎や農村の夜の闇の深さが思い出される。またその夜の闇は追放されても、現在でも変わりなく続けている夏の「盆の火」=迎え火送り火の意味についても同様である。柳田は書いている。

 以前の人たちには、自分があかり無しに夜道をあるくことがつらいので、眼に見えない神様でも霊でも、すべてが同様だらうといふ考へ方があつたと見えまして、旱魃の神や蟲の神を造るのにも火を焚いたやうに、盆に遠くから家の御先祖が帰つて来られるのにも、松明をともにして迎へなければならぬといふ心持が普通でした。それが盆の火といふものの起りであり、さうして又家の外で焚く火の中の、一番大切な又美しいものとせられて居たのであります。

 そして柳田は「火を大切にする人」にも言及し、火の歴史をたどり、火を起こし、火を保つ男女の分業から、燧石(ひうちいし)による火の出現後、火と台所の管理は女性に委ねられるようになったとし、「家と火の関係を、先づあなた方が考えて見なければならぬ理由はこゝに在ります」と述べている。それはマッチが一般的に利用されるようになってから、「火を管理する女たちの役目は前よりも骨折なもの」になっていったとも語っている。

 このような内容と、前述した私の推測、造本に観られる『新女苑』のコンセプトに通じるヤングアダルト性と表紙の少女、二ヵ所の引用に見られる「あなた方」という呼びかけから考えても、『火の昔』は子どもではなく、次代を担う『新女苑』の読者に象徴される若い女性たちに向けて提出された火という、もうひとつの「妹の力」の探究であったように思わる。

 それから『火の昔』を読みながら、フレイザーの『火の起源の神話』(青江舜二郎訳、角川文庫、ちくま文庫)が重なってしまうのは当然だけれど、それ以上にドイツの文化史家シヴェルブシュ『闇をひらく光』(小川さくえ訳、法政大学出版局)や、『光と影のドラマトゥルギー』(いずれも同前)を連想してしまった。このベンヤミンの影響を受けたシヴェルブシュの著作に関連して、かつて「宮武外骨と『東京電燈株式会社開業五十年』」(『古本探究3』所収)を書いているので、よろしければ参照されたい。
火の起源の神話(ちくま文庫)闇をひらく光 光と影のドラマトゥルギー 古本探究3


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