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古本夜話1374 中里介山『日本武術神妙記』と国書刊行会『武術叢書』

 かつて国木田独歩とともに「同じく出版者としての中里介山」(『古本探究Ⅱ』所収)を書いた際にはその内容に言及しなかったけれど、昭和八年の介山の大菩薩峠刊行会版『日本武術神妙記』 の書影だけを掲載しておいた。

古本探究 2   

 ところが前回の隣人之友社版『遊於処々』の巻末にその一ページ広告があり、そこに見える内容紹介の文言は介山自らの手になるものとも推測される。いってみれば、大正の時代小説の勃興に伴う武術の発見という趣もあるので、ここにそのまま引いてみる。

(『遊於処々』)

 日本は武術の天才国である。これは神武天皇建国以前以後を通じての国民性であつて、邪を破り正を顕はす神聖なる力の体現である。決して蛮力の変形でも無ければミリタリズムの発現でもない。今や日本精神、日本精神といふ声が一代に満つるけれども、日本武術の神妙を知らなければ、日本精神を理解することは出来ない、日本武術のうち、戦国時代より徳川初期へかけての「流派」創成時代が即ち武術が科学的となり、芸術的となつて、この神秘を表象したのである、本書は爾来維新前後に至るまでの、数百流の日本武術の枠を抜き、各々典拠ある記録により、含蓄豊かなる筆を以て、その神秘の仕合、悟道、実験を写したものであるから読んで無限の趣味あり、旧来の小説講談の荒唐無稽を一掃するのみならず、人間の技術の神秘が超人間に達する極意を教ゆることに於て当時に於ても非常時に於ても、天下万人の為に此上無き修養書であるとしてお薦めすることが出来る。

 あらためて『日本武術神妙記』 を読んでみると、この宣伝紹介文がその「序文」の要約だとわかる。同書はそこに示されているように、「日本武術の名人の逸話集」で、介山所蔵本からの抜き書き、アンソロジー集、つまり編著ということになろう。登場人物は初期の「天の巻」だけでも三十人近くを数え、それらの中の「大家」として上泉伊勢守、柳生但馬守、「名人」として塚原卜伝、「上手」として小野次郎右衛門、宮本武蔵が挙げられている。

 このような試みに関して、やはり介山の言を引けば、「本書の要領は日本武術の神妙の動きを想像感悟せしむるにある」し、「もとの講談者流や、今日の大衆文学連の為すがごとき荒唐妄誕と乱雑冒瀆」を避け、「引用の書物も皆相当信用権威あるもの」ということになる。それらの「引用の書物」は『甲陽軍艦』『常山紀談』『甲子夜話』などの史書も見えるが、最も多く引かれているのは『本朝武芸小伝』と『撃剣叢談』である。

本朝武芸小伝 (「本朝武芸小伝」)

 しかし介山がこれらの武術資史料のすべての原本を入手していたとは思えないし、実際に『本朝武芸小伝』『撃剣叢談』は大正四年に刊行された国書刊行会の『武術叢書』全一冊に収録されているので、介山もそれを参照したと見なすべきだろう。同書は菊判上製、二段組五四八ページで、両書の他に『日本中興武術系譜略』『一刀齋先生剣法書』『柳生流新秘抄』などの十九の資史料が紹介され、校訂者は吉丸一昌で、これらの多くはその剣道の師である山田次郎吉の文庫に蔵された秘書だとの謝意も記されている。

武術叢書 (八幡書店復刻版)

 吉丸の解題によれば、『本朝武芸小伝』十巻は天道流達人の日夏弥助繁高による武芸一般にわたる列伝の最も古き書で、正徳四年に成り、享保元年に版行されている。『撃剣叢談』五巻は岡山藩剣術師範役の源徳修が見聞した全国各流の大要を記述したもので、天保十四年版行だが、本書は帝国国書館所蔵の写本によるとの断わりもある。これらの解題や内容について語るべき知識も資格もないけれど、介山のいうところの「旧来の小説講談の荒唐無稽を一掃」しようとする意図も含まれ、編まれたと判断できるし、それゆえに介山も「典拠ある記録」として採用したと思われる。

 ただ『近代出版史探索Ⅲ』494の村雨退二郎が『史談蚤の市』(中公文庫)で、「剣豪小説の種本」となった『武術叢書』はいかがわし伝記や机上の空論が入り混じり、武術の奥義などの文字化は不可能で、門外漢が読んでもわからないものだと指摘していることも付記しておくべきだろう。

史談蚤の市 (中公文庫BIBLIO)

 それらに加えて、『武術叢書』の版元の国書刊行会と編輯兼発行者の早川純三郎にふれておけば、国書刊行会は『近代出版史探索Ⅲ』405でその復刻出版事業、早川は『同Ⅵ』1075で、その後、昭和に入って吉川弘文館の『日本随筆大成』編纂者になっていることに言及しておいた。早川の詳細なプロフィルは不明だが、国書刊行会から吉川弘文館に至る復刻出版事業の系譜上に位置していたことがあらためて了解することになる。

日本随筆大成〈第1期 1〉


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