出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

戦後社会状況論

混住社会論153 三崎亜紀『失われた町』(集英社、二〇〇六年)

二〇〇六年に三崎亜紀の『失われた町』が刊行された。この物語はガルシア・マルケスの『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社)の消えてしまうマコンドという村、及びその住人であるブエンディア一族の記憶をベースとする変奏曲のように提出されている。 それだけで…

混住社会論152 エヴァン・マッケンジー『プライベートピア』(世界思想社、二〇〇三年)とE・J・ブレークリー、M・G・スナイダー『ゲーテッド・コミュニティ』(集文社、二〇〇四年)

マッケンジーは『プライベートピア』(竹井隆人・梶浦恒男訳)の中で、本連載59 のハワードの田園都市構想がアメリカに移植されるにつれて、コーポラティヴな思想と方向性を失うかたちで発展していったことを、まず指摘することから始めている。それはジェ…

混住社会論151 ミネット・ウォルターズ『遮断地区』(東京創元社、二〇一三年)

今世紀に入って、それも団地を背景とするミステリーがイギリスでも刊行されているので、やはり続けて挙げておきたい。本連載62や69などで、フランスの団地における叛乱や暴動に言及してきたし、ちょうど森千香子の「フランス〈移民〉集住地域の形成と変…

混住社会論150 三冊の日本住宅公団史

2009年に『週刊ダイヤモンド』(9/5号))が「ニッポンの団地」特集を組んでいた。これが現在まで続く団地をめぐる様々な特集や言説、出版などの先駈けになったように思われる。 1955年に日本住宅公団が設立され、翌年に大阪の金岡団地や千葉の稲毛団地の竣…

混住社会論149 カネコアツシ『SOIL[ソイル]』(エンターブレイン、二〇〇四年)

(第1巻) (第11巻) 消費社会の風景はまったく映し出されていないのだが、郊外のニュータウンそのものを舞台とする不気味な物語がずっと書き続けられてきた。それは小説でなく、コミックで、カネコアツシの『SOIL[ソイル]』 という大作である。エンターブレ…

混住社会論148 奥田英朗『無理』(文藝春秋、二〇〇九年)

本連載で、郊外消費社会が全国的に出現し始めたのは一九八〇年代だったことを繰り返し書いてきた。だからその歴史はすでに四半世紀の年月を経てきたことになる。それ以前の六〇年代から七〇年代にかけての郊外はまだ開発途上にあり、新しい団地に象徴される…

混住社会論147 伊井直行『ポケットの中のレワニワ』(講談社、二〇〇九年)

本連載23から26 にかけて、一九八〇年代に日本へと漂着したベトナム難民やインドシナ半島のボートピープルをテーマとする小説を取り上げてきた。二〇〇九年に刊行された伊井直行の『ポケットの中のレワニワ』は、その難民たちの二一世紀に入ってからの行方を…

混住社会論146 吉田修一『悪人』(朝日新聞社、二〇〇七年)

吉田修一の『悪人』の冒頭には、まずその物語のトポロジーを提出するかのように、三瀬峠を跨いで福岡市と佐賀市を結ぶ全長48キロの国道263号線の現在の風景が描かれている。その起点は福岡市早良区荒江交差点で、一九六〇年代半ばから福岡市のベッドタウンと…

混住社会論145 窪 美登『ふがいない僕は空を見た』(新潮社、二〇一〇年)

私は格別うれしくもなく、「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ。」 と言いました。太宰治『ヴィヨンの妻』窪美登の『ふがいない僕は空を見た』は五つの短編、中編からなる連作集で、それは次のような構成になっている。 1 ミク…

混住社会論144 畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社、二〇一一年)

(集英社文庫) 前回の森絵都の『永遠の出口』の中で、主人公の紀子が高校生になり、欧風レストランでアルバイトをする一章が設けられていた。しかしその店名と上質な料理には言及したが、そこでのアルバイトの具体的な仕事と人間関係についてはふれてこなか…

混住社会論143 森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)

二一世紀に入り、新しい作家や新たな物語が出現し、それまでと異なる郊外や混住社会が描かれていくようになる。だがそれらはまったくかけ離れているわけではなく、地続きであり、二〇世紀の風景をベースにして組み立てられた二一世紀の光景のようでもある。…

混住社会論142 本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)

やはりどうしても国土計画のことが気にかかるので、もう一回書いてみる。 本間義人は『国土計画を考える』(中公新書)において、国土計画は「時の政治権力の最大の計画主題(つまり国策)実現のための手段として利用される」機能を有し、「時の国家権力の意…

混住社会論141 田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)

これは拙著『〈郊外〉の誕生と死』でも記しておいたことだが、一九五〇年代から六〇年代にかけて、私はずっと農村に住んでいた。当時の村は商品経済、つまり消費生活とは無縁に近く、それらはかなり離れた町で営まれているものに他ならず、何かを買うために…

混住社会論140 『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)

(第一部) (第二部) 本連載123『アメリカ教育使節団報告書』で、私もその一人であるオキュパイド・ジャパン・ベイビーズ、つまり占領下に生まれた子供たちが遭遇せざるを得なかったアメリカの影に覆われた教育状況に言及しておいた。だが教育状況だけで…

混住社会論139 デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)

前回のニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』が範としたのは、一九八九年に刊行されたトマス・H・クックの『熱い街で死んだ少女』ではないかと述べておいた。さらにそれに関して補足すれば、デイヴィッド・グターソンの『殺人容疑』(高儀進訳)も同様だと…

混住社会論138 ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)

本連載125で、日系二世トシオ・モリの『カリフォルニア州ヨコハマ町』を取り上げた際に、アメリカにおける日本人移民史、及びその太平洋戦争下までのクロニクルも示しておいた。それはもちろん戦後を迎えても切断されたわけではなく、前々回のカポーティ…

混住社会論137 アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)

前回のカポーティの『冷血』とほぼ時代を同じくして、アップダイクの『カップルズ』(宮本陽吉訳)が刊行され、日本でもほどなくして翻訳された。それは前者が一九五〇年代末のアメリカ郊外の犯罪をテーマとするノンフィクションだったことに対し、後者は六…

混住社会論136 トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)

(毎日新聞社版) しかしこれらの話法(ディスクール―引用者注)はそれだけで、それぞれの異質性によって、一つの作品や一つのテキストを形づくっているのではなく、様々な話法を通して、話法どうしの、独特の闘争、対決、力関係、戦闘を形成しているのである…

混住社会論135 山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)

続けてコミックの『団地ともお』や『ヒミズ』を取り上げてきたので、三回連続となってしまうが、ここでもう一編を追加しておきたい。それは山上たつひこ原作、いがらしみきお作画『羊の木』全五巻である。この作品もまた古谷実『ヒミズ』と通底する「不幸のD…

混住社会論134 古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)

前回の『団地ともお』とほぼ同時代の二一世紀初頭に、それとまったく対極的な家庭と社会状況に置かれた中学生を主人公とするコミックが提出されていた。それは古谷実の『ヒミズ』という作品である。 この奇妙なタイトルの「ヒミズ」とは『日本国語大辞典』(…

混住社会論133 小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)

それは「天皇制」とか「民主主義」とかいう公式の価値からすれば無にひとしいようなものである。 それは母親のエプロンのすえたような洗濯くさい匂い、父がとにかく父としてどこかにいるという安心感、といったようなものの堆積にすぎない。 しかしそういう…

混住社会論132 篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)

本連載「混住社会論」の読者とおぼしき未知の人物から著書を恵送された。それは篠原雅武の『生きられたニュータウン』で、サブタイトルは「未来空間の哲学」とある。著者紹介によれば、一九七五年にニュータウンで生まれ育ち、専門は哲学、都市と空間の思想…

混住社会論131 江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)

(『難かしい話題』、「現代文学の倫理」所収) 「われらは遠くからきた。そして遠くまでいくのだ。……」 白土三平『忍者武芸帖』 前回のカレン・テイ・ヤマシタのアメリカ人日系三世、おそらくブラジル国籍も有するであろう複数の国籍とその出自、彼女の存在…

混住社会論130 Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、2001年)

ここに挙げたカレン・テイ・ヤマシタの著作は邦訳されておらず、管見の限り、都甲幸治の『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)において、『サークルKサイクルズ』として紹介されているだけだと思われる。しかしここではそのタイトルにあるCyclesに関して…

混住社会論129 高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)

前回、太平洋戦争の日本の敗戦が植民地台湾にもたらした、蒋介石の国民党軍による占領と独裁、及び「本省人」と「外省人」の混住、それらに端を発する「二・二八事件」にふれておいた。それならば、植民地ならぬ日本人移民の地、まさに混住の地であるブラジ…

混住社会論128 邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)

太平洋戦争における日本の敗戦とGHQによる占領が強制的といっていい混住社会を出現させたことに関して、本連載でも繰り返しふれてきた。しかしそれは日本ばかりでなく、その混住の位相は異なっていても、日本の植民地でも起きていた現実に他ならない。例えば…

混住社会論127 宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)

前回の有吉佐和子の『非色』の舞台となったマンハッタンのハーレムから、さらに南に下ったところにイースト・ヴィレッジがある。『非色』にはプエルトリコ人たちのスラムとして、スパニッシュハーレム=イースト・ハーレムが描かれていたけれど、イースト・…

混住社会論126 江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)

私が同時代を背景とする現代小説を読み始めたのは、一九六〇年代前半で、しかも光文社のカッパノベルスが全盛だったことから、それらは松本清張、水上勉、黒岩重吾、梶山季之などの、所謂「社会派推理小説」が多かった。これらの作品群はミステリーでありな…

混住社会論125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)

南北アメリカへの日本人移民に関しては本ブログの「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」でふれてきたが、アメリカで生まれた日系二世、日系アメリカ人の物語にはほとんど言及してこなかった。ここではそれを取り上げてみたいと思う。これまで様々に論じてきたよう…

混住社会論124 スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)

(パンフレット) 本連載122で一九八〇年前後のタイの農村を見たように、様々な時代における日本やフランスやアメリカの農村の風景にふれてきた。そして日本の農村が八〇年代になって、ロードサイドビジネスの林立する郊外消費社会へと変貌してしまったこ…