前々回、石川三四郎の近傍の人脈として中西悟堂の名前を挙げたが、彼は思いがけないことに『日本アナキズム運動人名事典』にも長く立項され、それは『日本近代文学大事典』も同様なので、悟堂にまつわる一編も書いておこう。 小林照幸の「評伝・中西悟堂」と…
前回の最後のところで、本探索で続けて言及してきた田口運蔵、片山潜、近藤栄蔵、永岡鶴蔵たちと加藤勘十が社会主義運動史において、炭鉱と鉱(坑)夫というラインでつながり、そこにゾラの『ジェルミナール』の翻訳も必然的にリンクしていたことにふれておい…
22年9月の書籍雑誌推定販売金額は1051億円で、前年比4.6%減。 書籍は635億円で、同3.7%減。 雑誌は416億円で、同6.0%減。 雑誌の内訳は月刊誌が353億円で、同5.2%減、週刊誌は62億円で、同10.5%減。 返品率は書籍が30.9%、雑誌は39.4%で、月刊誌は38.4%、週…
前回、加藤シヅエ『ある女性政治家の半生』に関して、石本静枝時代をラフスケッチしただけなので、表記を加藤に代え、もう一編続けたい。 (日本図書センター復刻) 加藤は大正九年に渡米し、ニューヨークでバラードスクールに籍を置き、速記タイプライターな…
エリゼ・ルクリユ『地人論』の訳者の序には当時の石川三四郎の人脈が記され、この翻訳をめぐって吉江喬松、山下悦夫、芹澤幸治郎(ママ)、古川時雄の好意と助力を得たとされる。吉江は『近代出版史探索』189などで既述しておいたように、フランス文学者で、前回…
前回、石川三四郎が千歳村で「土民生活」を始め、望月百合子とともに共学社として『ディナミック』を創刊したのはルクリユの影響が大きかったのではないかと指摘しておいた。そして当時、石川がルクリユの『地人論』を翻訳していたことも。 それは昭和五年に…
本探索1321で、昭和二年に石川三四郎が世田谷の千歳村で土民生活の実践としての共学社を発足させ、それに望月百合子がパートナーとして加わったことを既述しておいた。 その共学社から昭和四年に二人の編集で、月刊紙といっていい『ディナミック』が創刊され…
前々回もふれたように、望月百合子は百合名義で、大正十三年に新潮社からアナトオル・フランスの『タイース』を翻訳刊行している。『タイース』は『近代出版史探索Ⅴ』810で、『舞姫タイス』として取り上げているし、望月訳はこれも同815で挙げておいた「現代…
望月百合子『大陸に生きる』を読んでいて、舞台は満州でありながらも、日本の昭和十年代を彷彿とさせたのは、『近代出版史探索Ⅲ』530の小川正子『小島の春』や『同Ⅴ』812の白水社の『キュリー夫人伝』 が取り上げられていることである。また周作人との対話の…
前回、『女人芸術』創刊号の「評論」は山川菊栄「フェミニズムの検討」、神近市子「婦人と無産政党」に続いて、望月百合子「婦人解放への道」が並んでいることを既述しておいた。その内容にふれると、婦人解放は単なる参政権の獲得や職業上の平等だけでなく…
前回、神近市子が長谷川時雨と『近代出版史探索Ⅵ』1054の生田花世に誘われ、『女人芸術』に加わったことにふれた。 (『女人芸術』創刊号) 私は「夫婦で出版を」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)を始めとして、『近代出版史探索Ⅲ』434、435などで、三上於…
前回、神近市子がバハイ教のアグネス・アレグザンダーの部屋の常連であったことにふれた。高杉一郎は『夜あけ前の歌』において、主として『秋田雨雀日記1』に基づくと思われるが、「エロシェンコはとりわけ神近市子がすきであった」と記し、続けて次のように…
これも高杉一郎の『夜あけ前の歌』で教えられたのだが、「バハイ教」と題する一章があって、エロシェンコの来日と同年の大正時代の日本に、アグネス・アレグザンダーがその布教のためにやってきて、住みついていたのである。(『夜あけ前の歌』) 「バハイ教…
22年8月の書籍雑誌推定販売金額は801億円で、前年比1.1%減。 書籍は423億円で、同2.3%減。 雑誌は378億円で、同0.2%増。 雑誌の内訳は月刊誌が315億円で、同0.3%増、週刊誌は62億円で、前年同率。 返品率は書籍が37.9%、雑誌は41.8%で、月刊誌は41.5%、週刊…
エロシェンコの人脈の中にはエスペラントや社会主義運動関係者以外にも親しい人たちがいて、高杉一郎は『夜あけ前の歌』において、「あたらしい友だち」という章を設け、大正九年に東京大学に入学した正木ひろしや福岡誠一の名前を挙げている。(『夜あけ前…
魯迅とエロシェンコの関係もあって、藤井省三の『東京外語支那語部』(朝日選書、平成四年)も読み、文求堂が東京外語グループによる『現代中華国語文読本』『支那現代短篇小説集』『魯迅創作選集』を刊行し、教科書革新運動と魯迅の紹介を担ったことを教え…
本探索1308、1309、1310と続けて魯迅にふれたので、ここでエロシェンコとの関係にも言及しておくべきだろう。魯迅の『吶喊』は北京の文芸クラブ新潮社の「文芸叢書」第三巻として刊行されたのだが、その第二巻は魯迅訳によるエロシェンコの『桃色の雲』であ…
前回の昭和十年代の東洋、支那、アジアという出版のコンセプトからただちに想起されるのは、吉本隆明の「〈アジア的〉ということ」(『ドキュメント吉本隆明』1、弓立社、平成十四年)である。その「序」にあたる「『アジア的』ということ」で、吉本はヘー…
続けて日本評論社「東洋思想叢書」や大東出版社『支那文化史大系』にふれてきたが、昭和十年代に入ると、東洋、支那、アジアにまつわる企画が多く出されるようになり、それらは単行本にしても、シリーズ物にしても、かなりの量に及んだと推測される。 (「東…
前回、大東出版社「東亜文化叢書」を挙げたが、その後、浜松の典昭堂で同社の『支那文化史大系』の一冊を入手している。これは菊判函入の学術書的装幀と造本で、巻末広告によれば、全十二巻とある。そのラインナップを示す。 1 呂思勉 小口五郎訳 『支那民族…
日本評論社の「東洋思想叢書」は企画編集者の赤木健介によれば、当初全八十三冊の予定だったとされる。ただこの「叢書」は『全集叢書総覧新訂版』にも記載されていないので、赤木が挙げている長与善郎『韓非子』を入手して確認してみると、「刊行予定書目」…
藤井省三『魯迅「故郷」の読書史』では近代中国における「故郷」の読書変遷史がたどられているのだが、日本での魯迅の受容とそのプロセスはどのようなものであったのだろうか。 それは前々回、竹内好訳『魯迅文集』第一巻所収の「故郷」をテキストとしたこと…
藤井省三は『魯迅「故郷」の読書史』において、「近代中国の文学空間」というサブタイトルを付しているように、「故郷」をコアとする国家イデオロギーのパラダイムの変容、つまり「近代中国文学の生産・流通・消費・再生産の物語」を描き出そうと試みている…
前回、エロシェンコの帰郷にふれて、魯迅の「故郷」を挙げたこともあり、この作品にも言及してみよう。それは『エロシェンコの都市物語』を著した藤井省三の『魯迅「故郷」の読書史―近代中国の文学空間』(創文社、平成九年)も合わせて読み、とても触発され…
22年7月の書籍雑誌推定販売金額は745億円で、前年比9.1%減。 書籍は397億円で、同6.9%減。 雑誌は348億円で、同11.5%減。 雑誌の内訳は月刊誌が284億円で、同13.4%減、週刊誌は63億円で、同2.4%減。 返品率は書籍が41.8%、雑誌は43.8%で、月刊誌は44.1%、週…
エロシェンコは大正十一年の『改造』九月号に「赤い旗の下に—追放旅行記」、後の「日本追放記」(『日本追放記』所収、みすず書房)を残し、日本を去っていった。それからの上海や北京での生活は、藤井省三『エロシェンコの都市物語』で描かれているが、『改…
藤井省三は『エロシェンコの都市物語』において、中村彝が描いた「エロシェンコの肖像」をカバー写真に採用している。また魯迅が東京留学中に文芸誌『新生』を準備していた際に、表紙画にするつもりだったG・F・ワッツの「希望」、及びその構図との類似が連…
前回ふれたエロシェンコは『日本アナキズム運動人名事典』だけでなく、『近代日本社会運動史人物大事典』『日本近代文学大事典』にも立項されるという異例の扱いを受けている。それはいずれもかなり長いもので、この盲目のロシア人が、いわばアイコン、もし…
盲目の来日アナキストとして、エロシェンコの存在はよく知られているし、それはロシア人にもかかわらず、『日本アナキズム運動人名事典』にも一ページ近い立項があることからも明らかだ。 しかしエロシェンコと親しく、同じ盲目で、「日本のエロシェンコ」と…
片山潜をめぐる人々として、その両頭とでもいうべき田口運蔵や近藤栄蔵に言及してきたが、異色の人物に挙げられる永岡鶴蔵にもふれておくべきだろう。そうはいっても僥倖のように、永岡に関しては中富兵衛による「犠牲と献身の生涯」というサブタイトルが付…