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…三好達治たちの好意的書評などが詳細にたどられている。(椎の木社) 伊藤はまだ二十三歳で、北海道の中学の英語教師だった。そうした社会的ポジションの中での処女出版とその臨場感は抑えて書いているけれど、『若い詩人の肖像』が戦後の昭和三十七年前後の作品、つまり『雪明りの路』刊行から三十年後に書かれたと思えないほどである。その最初のシーンを引いてみる。 大正十五年の十二月末になって、私の詩集が出来、宿直室に三百部積み上げられた。組版に取りかかってから五ヵ月目であった。白い切りはなしの表…
…ニクル』のエキスの要約といえるので、読まれてほしいと思う。 www.shinbunka.co.jp 14.論創社HP「本を読む」〈97〉は「水木しげると東考社版『悪魔くん』」です。 ronso.co.jp 『近代出版史探索Ⅶ』は「古本虫がさまよう」が書評を発信している。 いつもながら ありがとう。 https://www.honzuki.jp/book/322325/review/301191/ 『出版状況クロニクルⅦ』は3月上旬発売予定。 『近代出版史探索外伝Ⅱ』は編集中。
…その仕事の仕方』で、書評のための献本先として、まずこの両新聞が挙げられていたことからすれば、当時二千を数えたとされる新聞の代表的存在と見なせよう。そうした事実と「序」を寄せているのが大阪毎日新聞社社長の本山彦一などであることを考えると、隆盛を迎えつつあった新聞業界が初めて刊行に至った校正のための一冊といえるかもしれない。 『校正の研究』は大阪毎日新聞社校正部編とされているけれど、本山の「序」はそれが長年同新聞の編輯、整理部を担い、現在は校正部長の職にある平野岑一によると記して…
…第一銀行丸之内支店の峯文荘宛小切手の写真を掲載している。 取次口座開設と書店販売に伴う新聞広告、注文と売れ行きの実際、書評なども転載され、峯文荘と『出版事業とその仕事の仕方』のデビューをリアルに伝えていよう。すでに支那事変は起きていたが、同書の売れ行きからすれば、昭和十年代には出版事業を志す人々が多く存在していたことになるし、本探索で取り上げてきた文芸書の小出版社なども、そのようなトレンドの中で創業されていったと思われる。 [関連リンク] 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら
…年の10月刊行だが、書評を見ていない。それはこの「漫画村」のシステムがよく理解できないことに起因しているのではないだろうか。星野も語っている。 プラグラマーとして、「他の人がまだ取り入れていないシステムを作るために(中略)漫画村にもいろいろな工夫を施しました。その工夫の全貌を理解している人は、警察にも、検察にも、裁判所にも、有識者にも、もちろん政府にも、一人もいませんでした。説明してもわかってもらえなかったのです。」 そのシステムとは「リバースプロキシ」というもので、「漫画村…
…』シリーズはまったく書評されてこなかったし、紹介もなされていなかった。 しかし5で見たように、その危機は出版流通の現場にも及んでいるし、それは新聞業界も例外ではないのだ。 市橋とは面識がないので、中村文孝に確認したところ、紀伊國屋書店のニューヨーク支店長で、以前から再販制を批判していたとのことだった。 それゆえにここで「再販委託性の見直し」による「書店文化」のサバイバルが提起されていることになろう。 7.トーハン26社の中間決算は連結売上高1898億円、前年比0.9%減、営業…
…トライター、週刊誌の書評の仕事も入ってきた。ランサムの言を借りれば、それは「生活のためにせっせと書きまくった数年」で「不運だったように思う」が、「同時に、自分のかせぎだけをたよりに、自力で集めた蔵書のある自分の部屋で生活していた私が味わった幸福」はかけがえのないものであった。 こうしたランサムの「ツバメ号」シリーズ以前の実像にふれたのは、かつて拙稿「三文文士の肖像」(『ヨーロッパ 本と書店の物語』所収)において、十九世紀後半のイギリス出版業界と書物事情に言及したことがあったか…
…の4紙の朝刊の単行本書評リストが届いた。 その10本以上書評された出版社と合計冊数を示す。 ■ 2023年1~6月、朝刊4紙 単行本・書評掲載社 順位出版社合計(訳本) 1講談社41(4) 2新潮社40(7) 3中央公論新社36(3) 4岩波書店35(8) 5文藝春秋32(3) 6河出書房新社30(18) 7みすず書房26(18) 8白水社22(16) 9早川書房20(19) 10日本経済新聞社19(9) 11朝日新聞社18(6) 12勁草書房16(11) 13筑摩書房15(…
…行の際に『新文化』で書評したことを思い出す。 jinbunkai.com 14.宮下志朗『文学のエコロジー』(左右社)が届いた。 この「エコロジー」というタイトルにこめられたタームは文学作品が「いかなるプロセスで成立したのか、また、いかなる環境で流通し、受容されたのかといった問題」に言及していることから選ばれている。 実は拙著『ヨーロッパ 本と書店の物語』(平凡社新書)もそのことをテーマとしている。 『文学のエコロジー』で関心を持たれたら、読んでいただければありがたい。 15…
…きである。これはその書評部分けの切り抜きなので、新聞名と年月日を特定できないが、大正十五年のものだと推測される。それは先述の『考註切支丹鮮血遺書』の松崎實による『切(ママ)支丹文学抄』と、これも前掲の姉崎正治の『切支丹禁制の終末』(同文館)の書評に他ならない。そこには「ほとんど期を同じうしてこの貴重な二文献が世に出た事はその方面のために実に祝福すべき事でなければならない」とあるからだ。 村岡の編著は既述しているので、姉崎の著書にふれてみる。『切支丹禁制の終末』は先に出た『切支…
…江と同席し、彼女が『書評紙と共に歩んだ50年』(「出版人に聞く」9)の井出彰と早大露文科の同窓で、啓隆閣という出版社を始まりとして編集の道へ入ったと知らされたからだ。迂闊なことに私はその出版社名を知らなかったので、その後も気になっていたのだが、しばらくして古本屋で、啓隆閣から刊行されたマーツア『二〇世紀芸術論』(伊吹二郎、笠井忠、西牟田久雄訳、昭和四十五年)を見出したのである。ただこのマーツアも初めて目にする人名で、いくつかの世界文学や西洋人名辞典に当たってみたが掲載されてお…
…ていた週刊誌で、その書評欄は数々のベストセラーを生み出したこともあり、『朝日新聞』の「歌壇」には休刊を惜しむ歌が多く寄せられたようだ。「佐佐木幸綱選」「永田和宏選」として、次の三首が挙げられているので、雑誌レクイエムとして引いておく。 スマホなど無かった時代の情報源「週刊朝日」が休刊するとふ (川越市) 西村 健児 残念な「週刊朝日」休刊よ、東海林さだおの見開きもまた (相馬市) 根岸 浩一 この国が軍拡に舵を切る最中「週刊朝日」休刊決まる (磐田市) 白井 善夫 6.みすず…
…社会科学書と異なり、書評の対象となることは少ない。それは小説や詩に象徴されるように、かつての書物の基本的イメージは無用の用にあることが前提をなっていたからだと思える。 これは近代出版業界の常識で、二十年前に拙稿を記した時代にも当てはまる構図だった。ところが今世紀が進行するについて、そうしたパラダイムは解体され、実用書自体がビジュアル本にしてセレブティビジネスと化し、パブリシティも活発となり、出版物のジャンルの境界も曖昧になってしまったように見受けられる。そうした事実は生活と実…
…毎日』の28年に及ぶ書評欄連載が終了してしまったことで、すでに本クロニクル173でも、その事実にふれている。それでも彼の証言にしたがい、もう一度週刊誌ライター事情をたどってみる。 岡武の1995年からの『サンデー毎日』書評連載は一ページギャラが3万円、月に4回で12万円、それに合わせて著者インタビュー特集記事、他の仕事などの余禄、書評、古本原稿の注文などの仕事も増え、2000年には年収1千万円を超え、フリーライターでも住宅ローンを組むことができたのである。 彼の証言からわかる…
…を進めよう」と題する書評が寄せられている。 これは前回の本クロニクルに対するコレスポンダンスだと思われる。きわめてまっとうな紹介の後で、次のように述べられている。 非常に大きく重要な問題提起で、かなりの議論が必要です。図書館外の分野から図書館に対してこのような《まとまった意見》が寄せられたことはなかったように思います。 本書を機会に、出版・書店関係者と図書館関係者が対話を進めること、書店・図書館の両方を含む《出版流通》について議論が進められることを期待します。議論をすると、様…
…日本読書新聞』出身の書評担当者が退職後は明らかに変わってしまった印象が強い。 それは『北海道新聞』『信濃毎日新聞』なども同じで、かつては小出版社の人文書にも目配りを見せていたが、最近はどうなのであろうか。 しかしそれよりも、新聞の凋落も加速していて、『朝日新聞』は早くも400万部を下回ったと伝えられているし、地方紙にしても次回には40万部を割りこむところも出てくることは確実だ。 それは1で示した「消費と支出と品目別支出金額の推移」とも連鎖しているのである] 7.宮後優子『ひと…
…ンキュータツオによる書評が掲載された。book.asahi.com この書評をきっかけにして、根本彰のブログにその書評と同書への批判が出され、「自らの誤ったイメージを垂れ流すこの本を、朝日の書評に出たからという理由で選書する図書館が多数あるとしたら、恐ろしい」と書いている。また本人が「この本について図書館関係者はもっと批判していくべきだ」と発信し、フォロワーが「拡散希望」と記したことで、国会図書館大場利康(tsysoba)、京都橘大学嶋田学らを始めとする図書館関係者のSNS、…
…が『サンデー毎日』の書評事情について語っている。それを要約してみる。 彼の『サンデー毎日』の書評ページとの付き合いは長く、1993、4年頃からレギュラーページを受け持ち、リニューアル、担当者の交代はあっても、連載ページが途切れることがなかった。見開き2ページを独占していた時期もあり、他の特集や企画記事にも関わり、家のローンの完済もそのおかげであった。 ところが部数低迷により、『週刊ポスト』『週刊現代』と同じく、『サンデー毎日』も5月から月4発行が月3となり、原稿料も4分の3に…
『近藤栄蔵自伝』で、片山潜の在米日本人社会主義者のメンバーに高橋亀吉が挙げられているのを初めて知った。高橋の名前を目にしたのはかなり前のことで、確か谷沢永一の『完本紙つぶて』(文藝春秋、昭和五十三年)においてだったと思う。 あらためて『紙つぶて(完全版)』(PHP文庫、平成十一年)を確認してみると、昭和「51・.2・25」付の「経済学教科書を捨てよ現実を視よ」で、「大正末期以来の経済現象を最も現実的に洞察してきた」「独学在野エコノミスト」としての「高橋亀吉著作集の編纂が望まれ…
…る自治会を論じたが、書評はひとつも出なかったし、行政もジャーナリズムも揃って黙殺した。 本当に地方において、書店もなくなっていくのと同時に、「ジャーナリズムはどこに息づくか」を問わなければならないのである。 興味をもたれた読者はぜひ『世界』の依光文に直接当たってほしい。 15.『近代出版史探索Ⅵ』は発売中。 今月の論創社HP「本を読む」〈78〉はまたしても宮谷の死もあり、急遽差しかえて、「けいせい出版と宮谷一彦『孔雀風琴』」です。 ronso.co.jp 中村文孝との対談『私…
…界へともはや入ってしまっていると見なすべきだろう。 16.またしても訃報が届いた。しかも二人である。 『書評紙と共に歩んだ五〇年』(「出版人に聞く」9)の元『日本読書新聞』『図書新聞』編集長井出彰、及び小泉孝一『鈴木書店の成長と衰退』(同15)のオブザーバーを務めてくれたJRC会長後藤克寛である。 謹んでご冥福を祈る。 17.『近代出版史探索Ⅵ』は発売中。 今月の論創社HP「本を読む」〈76〉は「ブロンズ社とほんまりう『息をつめて走りぬけよう』」です。 ronso.co.jp
…中巻には『読売新聞』書評も転載されているので、それなりに好評だったのかもしれない、ちなみに下巻までのページ広告は新聞や雑誌のものを転載していると思われるので、それをそのまま挙げてみる。 エミール・ゾラの傑作にしてその売行「ナナ」を凌げる書「地」(ラ・テール)はルーゴン=マッカール叢書の第十五巻目に当り、ゾラがその円熟の境に於てものした傑作である。 夙に世界農民文学の最高峰として喧伝せられ、我国の農民文学にも少からぬ影響を及ぼしてゐる、ゾラは大地を熱愛し、之に執着して骨肉互いに…
…界』を初めてまともに書評してくれたのは立花であることもふまえていうが、『立花隆の書棚』(中央公論新社)における『血と薔薇』に関する発言は思いこみによる間違いだらけである。それは『血と薔薇』を創刊編集した内藤三津子の『薔薇十字社とその軌跡』(「出版人に聞く」10)を参照していないことを浮かび上がらせている。このことは『出版状況クロニクルⅣ』で既述している。 それから『田中角栄研究』(講談社)を労作だと認めるにやぶさかではないけれど、大宅壮一文庫、及び梶山季之とそのスタッフたちの…
…に示された多くの新聞書評からすれば、これは明治二十年代において漢字辞典として好評だったことを告げておいるようにも思われる。それに続いて「少年叢書漢文学講義」が二ページの見開きで紹介され、まだ二十編までの刊行だが、これらはすでに「二五万余冊ヲ販売」との言がキャッチコピーに見える。また「学生必読漢文学全書」全八冊の二ページ広告もあり、これらは確かに『博文館五十年史』がいうように、「漢文学が漸く頭を擡げ」てきたことの証左となるし、明らかに中学校などでの教科書採用も相次いでいたと判断…
…う。 すでに過褒的な書評が『朝日新聞』(3/20)や『文化通信』(3/22)にも出始めているが、かつての佐野真一の『だれが本を殺すのか』(プレジテント社、2001年)のように、読まれかたによっては現在の出版危機を別の方向へとミスリードしていく懸念を孕んでいるからでもある。 『出版と権力』はサブタイトルの「講談社と野間家の一一〇年」に示されているように、講談社というよりも、野間清治に始まるオーナー一族の軌跡をたどり、そこに集った人々の群像ドラマとして読まれるべきだろう しかもそ…
…を得ていなかったし、書評も見ていなかったので、書店の文庫コーナーで翻訳刊行を知り、購入してきた一冊である。 帯文にあるように、まさに「もうひとつの『ミレニアム』」とよんでいいし、著者はラーソンの残した未公開資料のアーカイヴと出合うことで、1986年のスウェーデンのパルメ首相暗殺事件の謎が追跡され、暴かれていく。 ラーソンが急逝し、『ミレニアム』(ハヤカワ文庫)連作において、首相暗殺事件の解明は途絶えたかに思えたが、ラーソンの遺志はここにその一端が実現されたことになろう。 15…
…。それに二段組の新聞書評などが加わり、これば十二ページくらいの「パンフレット」の内容だったとわかる。そこには珍しいことに長谷川巳之吉の「『冬の宿』に扱はれた問題」も寄せられ、それは最も長い八ページに及んでいる。『冬の宿』は春山を通じて出されたのであるから、このような第一書房の経営者自らが長い書評を掲載しているのは異例だといっていい。そのことからも、長谷川が『冬の宿』の販売促進に力を入れたことが伝わってくる。 『冬の宿』の語り手の「私」は地方出身の大学生で、身近な友達が社会運動…
…、評論、紹介、翻訳、書評など、多彩な記事を載せ、(中略)当時の有力詩人の多くが顔を見せている。 多くの詩人がよった『日本詩集』の最終巻大正十三年版が出されるのは同年四月である。『詩神』の大正十四年の創刊から考えると、その年間アンソロジーは詩集と詩話会解散を受けて企画されたために、多くの詩人たちが広範に集う詩誌となったのかもしれない。 ただ主催者の田中清一は『日本詩集』の消息欄に名前は見られても、詩の収録はなく、また『日本近代文学大事典』のなどでも立項されていない。しかし最初の…
…れているが、本格的な書評は出たのであろうか。 しかし戦後における春山へのまとまった唯一の言及である小島輝正の『春山行夫ノート 』(蜘蛛出版社)、及び第一書房と春山の関係に一章を割いている長谷川郁夫の『美酒と革嚢 』(河出書房新社)にしても、『ジョイス中心の文学運動』にはふれていない。だからこそ、すでに一世紀近く経ってしまっているが、ここであらためてその内容を紹介しておきたいと思う。 (『美酒と革嚢 』) だがこの浩瀚な一冊、エズラ・パウンドからヴァージニア・ウルフに至までの二…
…山薫や三好達治などの書評も出て、伊藤は北海道の中学教師から詩壇における詩人として認知され始めた。伊藤は『若い詩人の肖像』の中で書いている。この昭和の初期が自分にとって最も幸福な時で、数え年二十三歳の青年詩人として、詩集も多くの賞讃によって迎えられたと。 (日本図書センター復刻) それに加えて、伊藤は東京商大の入学試験も兼ね、百田を訪ねた。そして三好や丸山とも知り合い、昭和三年からは大学に通い始め、さらに百田を介して北川冬彦と出会い、梶井基次郎にも紹介される。二人は三好や淀野隆…