出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

戦後社会状況論

混住社会論33 デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)

一九八〇年代にビデオの時代が到来し、それに伴うレンタル店の増殖によって、多くの未知の外国映画を観ることができるようになった。それらの監督の中で、とりわけ私を魅了したのは二人のデイヴィッドである。その一人のクローネンバーグについては本連載1…

混住社会論32 黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)

もう一本、映画を取り上げてみる。黒沢清も多くのVシネマを送り出し、彼自身が命名した「日本のジャン・ポール・ベルモンド」である哀川翔とのコラボレーションで、九〇年代半ばからの「勝手にしやがれ!!」六部作、「復讐」と「修羅」の各二部作などへと結…

混住社会論31 青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)

(映画)(小説) 一九九〇年代のVシネマの隆盛は前回の三池崇史のみならず、多くの優れた映画監督を輩出させた。青山真治もその一人であり、最初に『Helpless』(九六年)を観て、これまでと異なる郊外のロードサイドの犯罪と物語の萌芽を感じた。しかしそれ…

混住社会論30 三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)

日本映画状況とそのインフラを考えるにあたって、一九八〇年代に立ち上がったビデオレンタル市場を抜きにして語れないだろう。とりわけ九〇年代に入ると、Vシネマというジャンルが急速に台頭してくる。Vシネマとは劇場公開されないビデオレンタル専門映画の…

混住社会論29 篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)

(双葉文庫) 神 荒野の道より民を導きたまふ 「出エジプト記」 折口信夫が「国文学の発生(第三稿)」(、『古代研究(国文学篇所収)』所収、『折口信夫全集』第一巻、中公文庫)でいうところの神としての「まれびと」が、古代ならぬ現代の郊外に、しかも混…

混住社会論28 馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)

少しばかり時代が飛んでしまうけれど、前回の大沢在昌『毒猿』における新宿と台湾の関係の後日譚と見なしていい作品が九六年に刊行される。それは馳星周の『不夜城』である。『不夜城』は次のように書き出されている。 (角川文庫) 土曜日の歌舞伎町。クソ熱…

混住社会論27 大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)

一九九〇年に発表された大沢在昌の『新宿鮫』(光文社カッパノベルス)と九一年の第二作『毒猿』はいずれも一匹狼の刑事の新宿鮫を主人公とし、その舞台を新宿としていることは変わらないけれど、後者は私のいう混住小説のファクターを導入したことによって…

混住社会論26 内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)

前回の笹倉明の『遠い国からの殺人者』が発表された同じ八九年に、内山安雄の『ナンミン・ロード』が「特別書き下ろし長篇小説」として、講談社から刊行された。これは中絶してしまった船戸与一の「東京難民戦争・前史」の系列に位置する作品と見なせるし、…

混住社会論25 笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)

(集英社文庫) 前々回の佐々木譲『真夜中の遠い彼方』や前回の船戸与一「東京難民戦争・前史」に先駆け、八三年に笹倉明によって『東京難民事件』が三省堂から出されている。これは小説ではなくノンフィクションであるが、まったく無視されたようだ。だが幸…

混住社会論24 船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)

これは一九八五年に『問題小説』に「東京難民戦争・前史」の総タイトルで、「運河の流れに」(1月号)、「巣窟の鼠たち」(7月号)、「銃器を自由を!」(10月号)と三回にわたって連載され、残念なことにそのまま中絶してしまった作品である。その後、『男…

混住社会論23 佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)

混住社会という言葉が生まれたのは、都市近郊の農村地帯が郊外化する過程において、農家と非農家の混住が始まり、一九七〇年代にはその比率が逆転し、非農家数が農家数を上回ることになり、それが全国的な現象を示すようになったからである。これに続いて八…

混住社会論22 浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)

(完全版)かつて「図書館での暗殺計画」(『図書館逍遥』所収)という一文を書き、浦沢直樹の『MONSTER』にふれたことがあった。だがそれは二〇〇一年のことで、『MONSTER』はまだ連載中であり、完結していなかった。タイトルからわかるように、拙稿は主と…

混住社会論21 深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)

深作欣二のやくざ映画といえば、ただちに『仁義なき戦い』ということになってしまうが、このシリーズ以外にも秀作があり、一九七〇年代において、『仁義なき戦い』と併走していたし、時代を生々しく表象する作品として送り出されていた。 それらを私の好みか…

混住社会論20 後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)

前回の黒井千次と同様に、後藤明生も「内向の世代」の一人と目され、一九七〇年前後に団地を舞台とするいくつもの作品を発表している。これらの一連の団地小説は会社を辞めた男と団地を描いた『何?』、週刊誌のゴーストライターと団地の生活、及びその過去…

混住社会論19 黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)

一九七一年に小田切秀雄は、古井由吉、黒井千次、後藤明生、阿部昭たちを「内向の世代」とよび、彼らが外部社会との対決を避け、内向的になっていることを批判した。しかしそのような批判も生じる一方で、「内向の世代」の作家たちは戦後文学において、これ…

混住社会論18 スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)

大友克洋の『童夢』と岡崎京子の『リバーズ・エッジ』におけるスティーヴン・キングの影響に関して指摘したこともあり、ここでキングについても一編書いておきたい。それは大友と岡崎のコミックのみならず、キングは一九八〇年代以降の日本の小説や映画に多…

混住社会論17 岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)

大友克洋の『童夢』に続いて、もう一冊コミックを取り上げてみる。それは岡崎京子の『リバーズ・エッジ』で、九〇年代の作品であるが、同じ郊外の風景を舞台とし、やはりスティーヴン・キングの影響を見てとれるからだ。さらに付け加えれば、梶井基次郎の「…

混住社会論16 菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)

この連載としては初めてのことだが、出たばかりの新刊の紹介と書評を兼ねた一編を挿入しておきたい。その新刊は菊地史彦の『「幸せ」の戦後史』である。彼はこの著作において、「私もまた昭和と平成を生きてきたひとつの社会現象」という認識のもとに、「自…

混住社会論15 大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年)

大友克洋の『童夢』において、まず迫ってくるのは、突出した団地の風景とその描写に他ならないし、それは冒頭の見開き二ページの夜の高層団地の風景に象徴されているといえよう。そこでは屋上も俯瞰されているが、まったく人影もなく、「どさッ」という小さ…

混住社会論14 宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)

(ベストブック社)(光文社文庫)これまで米軍基地やデペンデント・ハウスの「天国」的側面について、繰り返し言及してしまったけれど、占領は強制的混住であったことからすれば、そのような綺麗事ばかりのイメージですまされるはずもない。そのことを考え…

混住社会論13 城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)

前回、村上龍の『テニスボーイの憂鬱』において、テニスボーイが経営するステーキハウスでの、デニーズも出てくる「訓示」を引用し、一九八〇年代の外食産業の成長の一端を示しておいた。ステーキハウスはポピュラーなファミリーレストランに分類できないに…

混住社会論12 村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)

米軍基地や前回言及したデペンデント・ハウスに象徴される占領軍住宅を日常の風景として、また目に焼きつけて成長した少年がいる。彼はまさに「基地の街に生まれて」というエッセイを書き、そこで佐世保には米軍基地があり、朝夕にはアメリカ国歌に合わせて…

混住社会論11 小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)

本連載8で論じたハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』と同様に、『〈郊外〉の誕生と死』において参照すべきであったと思われる著作がある。だがそれも拙著の上梓後に出版されたので、残念なことにかなわなかった。それは『占領軍住宅の記録』上下で、小…

混住社会論10 ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)

(大久保康雄訳、新潮文庫) (若島正訳、新潮文庫)ナボコフの『ロリータ』については『〈郊外〉の誕生と死』でも少しだけ言及しているのだが、この連載でも再びふれるべきか、いささかためらっていた。 しかしこの小説がチャンドラーの『長いお別れ』と同様…

混住社会論9 レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)

残念なことに、前回のハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』にレイモンド・チャンドラーの名前は出てこないけれど、彼の『長いお別れ』も五四年に出版された、紛れもない五〇年代の作品なのである。 それは消費社会とハードボイルド小説が無縁でないことを…

混住社会論8 デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)

(新潮文庫版) 『〈郊外〉の誕生と死』において、言及できなかった著作が、大江健三郎や北井一夫の写真集だったことを、その理由なども含め、前回と前々回で既述しておいた。 そのような参考資料的著作がもう一冊あって、それはD・ハルバースタムの『ザ・フ…

混住社会論7 北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)

大江健三郎の『万延元年のフットボール』における村も、スーパーの進出後には郊外へとその道筋をたどり、『飼育』から続いていた村は、おそらく幻の村と化してしまったと思われる。 私は『〈郊外〉の誕生と死』の「序」を「村から郊外へ」と題し、一九五〇年…

混住社会論6 大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)

日本の戦後社会の大文字のストーリーは民主主義、文化国家のスローガンに始まり、それは高度成長期へとシフトしていった。しかしそのかたわらにあったのは敗戦と占領、それらに起因するアメリカ人たちとの混住、そして彼らによってもたらされた、世界に例を…

混住社会論5 大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)

(新潮文庫版)私は『〈郊外〉の誕生と死』において、当初の構想では第4章「郊外文学の発生」を、大江健三郎の『飼育』から始めるつもりでいたのだが、彼の作品は次回言及する『万延元年のフットボール』も含め、スパンの長い郊外や消費社会の前史に位置づけ…

混住社会論4 山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)

前回桐野夏生の『OUT』を論じるにあたって、2002‐3年版『首都圏ロードサイド郊外店便利ガイド』(昭文社)を手元に置き、参照していたことを既述しておいた。これはロードサイドビジネス900チェーンの、首都圏における2万店近くを掲載したものだが、それを繰…